なつやすみ


陽に当たれば溶けてしまいそうな茹だる様な暑さ。六年生になった三郎はエアコンでキンキンに冷やされた自分の部屋を慌ただしく片付けていた。あと一時間もすれば例の四人がやってくる。仲間内で唯一の一人部屋を持つ三郎の家はたまり場となっていた。片付けも程々に携帯ゲーム機を充電器に繋いだ。
彼らに出会ってからというものの様々な事があった。勘右衛門がふざけて非常ベルを鳴らして叱られたり、八左ヱ門が子犬を飼い始めたり、兵助が自由研究で提出した豆腐の食べ比べによるレポートが賞を取ったり、雷蔵に弟が産まれたり。取っ組み合いのケンカや泣いて謝るのは日常茶飯事である。そんな中で三郎の猫かぶりは見事に剥がされていった。転入当初の殊勝な態度は一体どこに行ってしまったのか、今や完全に地の三郎だった。四年生になるまでは一人称だけは隠し通していたが、何がきっかけだったかポロリと言ってしまったのだ。その時の疑問符の付いた八左ヱ門、兵助、勘右衛門の顔は忘れられない。三郎はその時すべてが終わった気がした。そこで雷蔵が片寄った昼ドラの知識を楽しそうに披露してくれたおかげで女だ何だと言われずに済んだ。今思えばそこで雷蔵のフォローが無くても三人なら心の底から馬鹿にするような事は無かっただろう。それからは何の気兼ね無く一緒にいることができるようになった。
床に散らばっていたマンガをとにかく部屋の隅に積んでいると廊下から母親が三郎を呼ぶ声がした。雷蔵君から電話よ、母親の声に積み上げたマンガに躓き崩してしまうが、お構い無しに固定電話に駆け付けた。母親から引ったくるように受話器を受け取り耳に当てる。

「もしもし、雷蔵?」
「おはよう。今日なんだけど今から行ってもいい?少し早いんだけど」

雷蔵が約束よりも早く来たがるのはこの日に限った事ではなかった。三郎も雷蔵といるのは好きなのでいつも大歓迎なのだ。急に明るくなった三郎の表情に、横にいた母親はもうすぐ雷蔵が来る事を悟り台所に戻って行った。

「いいよ、部屋がまだちょっと汚いけど」
「大丈夫。僕の部屋よりキレイなんでしょ?」
「あ、ああ、うん…。君の部屋は事故現場だものね」
「大体あってるかな。じゃあ今から行くから」
「わかった。後でね」
「うん後でね」

受話器を置いた三郎は軽い足取りで廊下を引き返す。雷蔵はあと10分もしないうちに家に着くだろう。雷蔵なら気にしないのだろうが、できるところまでは片付けておきたい。雷蔵の部屋は事故現場の様に物が散乱している。彼に片付けの手伝いをしてもらうと余計に仕事が増えるのだ。だからいないうちに可能な限り片付けておかなければいけない。浮かれた頭のまま薙ぎ倒したマンガ達を再び山にした。三郎の部屋から聞こえる鼻歌は、隣の姉二人の部屋まで届いていたらしかった。
三郎の家のチャイムが鳴ったのは、受話器が置かれてから五分後の事だった。部屋の片付けも概ね終わった三郎は階段を駆け降りて玄関を開けた。敷居の先には予想通り雷蔵が立っていた。

「雷蔵いらっしゃい!」
「あ、三郎、おじゃまします。これ、お母さんが皆で食べなさいって」

雷蔵に手渡されたのはタッパーに所狭しと詰められた大量のクッキーだった。雷蔵母作のクッキーは当たりとハズレの差が激しく、いつもロシアンルーレット的なスリリングさを演出している。当たりのクッキーは砕ける食感と口の中でとろける舌触りが天下一、ハズレのクッキーは一体何がどうなっているのかまず割れない。そしてやたらと刺々しい味がするのだ。不破家のクッキーは最早名物と化していた。このロシアンルーレット式クッキーは身内に人気のギャンブルゲームだった。三郎に渡されたクッキーは不気味にカタカタと音を上げた。雷蔵は馴れた足取りで三郎の部屋に上がり込むと断りも無く三郎のベッドに飛び込む。三郎もそれを咎める事は無かった。雷蔵が三郎のベッドを占領するのはいつもの事なのだ。三郎は雷蔵の横に腰掛けるのか定位置になっていた。

「ああ、今年も八月が終っちゃいそうだね。夏休みは一ヶ月じゃ少な過ぎるよ」

三郎の枕に頭を埋めた雷蔵の声はくぐもって不鮮明だった。しかし聞き取り辛い声も雷蔵の声なら決して逃さないのが三郎だ。

「そうだね。夏休みはもう一月くらい続けばいいのに。来週から学校なんて早過ぎる」

雷蔵が三郎に話し掛けたその日から、三郎にとって雷蔵は周りとは少し違った存在だった。
三郎は転入してからしばらくクラスでも浮いた存在で、丸で溶け込む事ができなかった。その気が無かった訳ではないのだが、子供の警戒心と結束力と言うのは中々強固なものだ。一度出来てしまった輪に入るのは時間と折れない心が必要だった。昼休みに話す程度の友人ならいたが、休みの日にわざわざ水やり当番に付き合ってくれる程の友達はいなかった。そんな三郎に手を差し延べたのが雷蔵だった。すこぶる機嫌が良かった雷蔵が救世主の様に見えたのだ。
雷蔵が遊びに誘ってくれたおかげで、同じクラスの八左ヱ門や隣のクラスの兵助、勘右衛門と仲良くなり三郎は独りでは無くなった。毎日の様に会って毎日の様に遊んでいる内に三郎は雷蔵達に溶け込む事ができたのだ。特に雷蔵とは家が近いせいもあってか一番一緒にいる時間が長かった。朝は一緒に登校し、八左ヱ門達と合流。授業は同じクラスで受け、昼も一緒に食べる。一緒に下校し、また五人で集まる。そしてまた一緒に帰る。この数年間で何度かクラス替えがあったが、三年からは一度もクラスが離れないという奇跡も起きている。二人は常に一緒だった。

「まだやりたい事沢山あったんだけどな」
「今年は結局プールにも行けなかったからね。来年は私達も中学生だ。思い切って海にでも行こう」
「そうだね、来年、ね」

雷蔵は枕から頭を起こして体を横にして三郎に背を向けた。

「あのね、三郎」
「なんだい?」
「あ、いや、えっと」

言い淀む雷蔵。三郎は雷蔵の言葉を待つ。

「えっと、あ、充電、僕のPSP充電消えそうで、充電器借りていいかい?」

言い淀んだ割に出てきた何でもない事に三郎は酷く安心した。実のところ、なんだか嫌な予感がしてベッドの隅にあった掛布を手繰り寄せていたのだ。

「なんだいそんな事か。私のはもう大丈夫だからあれを使って」
「ありがとう」

雷蔵は起き上がり三郎の指差した充電器に自分のゲーム機を繋いだ。結局そのままスイッチを入れて二人でゲームをし始めた。そして八左ヱ門達が合流し、目的のゲーム大会になった。三郎はキャーキャー騒ぎながらも言い淀む雷蔵が気になって仕方が無かった。

楽しい時間というのは簡単に過ぎていくものである。昼過ぎ集合だったが気付けばカラスが鳴いていた。壁の時計は五時半過ぎを指している。どこの家も五時半が門限で慌てて帰り支度を始めた。それぞれ自分の荷物をかばんに放り込みバタバタと階段を駆け降りる。三郎が玄関まで送りに出ると、お邪魔しました!と一目散に帰って行った。騒がしい奴らだ、と消えた先を見ていると雷蔵が引き返して来るではないか。忘れ物だろうかと肩で息をする雷蔵に尋ねると、雷蔵は俯いて何も言わなかった。

「雷蔵?」
「あの、あのね、」

顔を上げた雷蔵は酷く悔しそうだった。

「急遽決まった事なんだけど、僕、その、」
「どうしたんだい?」

三郎の中に警鐘が響く。嫌な予感が体中の自由を奪った。

「新学期から別の学校に行くことになったんだ」

三郎の嫌な予感は的中した。そんなの、聞きたく無かった。

「本当は僕が小学校を卒業してからの予定だった。おじいちゃんもおばあちゃんも、二人とも体が悪くて、来年から一緒に暮らすはずだったんだ。でもこの前おばあちゃんが入院して、おじいちゃんの世話をしなきゃいけなくなって。お父さんはまだお仕事があるからこっちに残るけど、お母さんと僕と弟は先に行く事になった」

雷蔵の目は潤み始め、声に嗚咽が混じり始めた。

「僕、それ昨日聞いて、三郎の家に来てからずっと言おうと思ってたんだけど、言ったら本当になっちゃいそうで、でも言わないままさよならはもっと嫌で。勘ちゃん達には言えかったけど、三郎にだけは言わなきゃって、思って」
「いつ、行っちゃうの?」

三郎は緊張でカラカラになった喉から声を絞り出した。掠れた声が三郎の緊張を煽る。

「これから」

対して雷蔵の声は蚊の泣き声のような大きさだった。

「おじいちゃん足悪いし耳も遠いし、ボケも来始めてるから一人にできないんだ」
「そんな、急過ぎるよ」
「離れたく、無いよぉ…!」

雷蔵は玄関先にしゃがみ込んでしまった。三郎は動かない体を無理矢理動かし、雷蔵を抱き締めた。騒ぎを聞き付けた三郎の母親が出て来るまで、二人はずっとそのままだった。
二人から事情を聞いた三郎の母は三郎を連れて雷蔵を家まで送った。母親同士の関係も良好でたまの行き来もあった。道中、三郎と雷蔵はずっと手を繋いで一歩一歩を踏み締めた。強い西日に長い影が二人を繋いだ。
雷蔵の家の前では既に、雷蔵の母が車に荷物を運び込んでいた。雷蔵の母は三郎の母と三郎に気が付くとパタパタと駆け寄ってきた。大人が話を始める。雷蔵も三郎も手を離そうとはせず、ただ無言で立ち尽くしていた。

「おばあちゃんち、ね。車で何時間か掛かるような所なんだ」

短かったような、しかし長かったような、沈黙を破ったのは真っ赤な目の雷蔵だった。

「遠いんだね」
「そう簡単には帰って来れないんだ」
「うん」
「だからね、いつか僕が大きくなって、一人で戻って来れるようになったら、絶対に三郎に会いに行くよ」

雷蔵は三郎の手を握る力を強めた。三郎も応える様に握り返す。

「私達は今十二歳、じゃあ二十二歳になったら、きっと私に会いに来てほしい。私は待っているよ、雷蔵を」
「待ってて。必ず、帰って来るから」

雷蔵そろそろ車乗ってー、三郎の母との話を終えたらしい雷蔵の母。呼ばれた雷蔵は名残惜し気に三郎の手を離した。車に乗り込むと窓を全開にして身を乗り出す。

「手紙、書くね」
「うん」
「電話、もする、よ」
「、うん」

二人の声に嗚咽が混じった。雷蔵の母は車のエンジンをかけたが、話が終わるまではと待ってくれた。

「だから、だからね、ぼくの、こと、わすれないで」
「らいぞ、こそ、わたしを、わすれないで!かならず、あいにきて、ね!」
「ぜったい!」
「ぜったいだよ!」

じゃあ、そう言って三郎は車から一歩離れた。アクセルが踏まれる。雷蔵を乗せた車は動き出した。徐々にスピードが上がり三郎から離れて行く。三郎は堪らなくなって車を夢中で走って追い掛けた。涙を散らしながら大きな声で、雷蔵、ありがとう、雷蔵、と繰り返す。人間が車のスピードに勝てるはずも無く、やがて車は見えなくなった。三郎は路上で声を上げて泣いた。母親もそれを咎める事はせずに、三郎の頭を撫でた。
翌日雷蔵の事を八左ヱ門、兵助、勘右衛門に伝えると三人はショックで言葉が出ない様だった。いくら急な事とは言えその日に行ってしまうとは。お別れくらい言いたかった。残された四人は、せめて雷蔵に手紙を、という案が出るまで遊ぶ様な空気ではなかった。


さらに何度かの夏が過ぎた。帰省ラッシュの八月、お盆時期。ゲリラ豪雨が猛威を振るい、三郎は最寄り駅の構内から出られなくなっていた。ゲリラ的なものなので数分で止むのはわかっている。大人しく叩き付ける雨が止むのを待っていた。すると隣で誰かが足を止めた。いやあ、どうしよう、困ったな、うーん…。余程困っているらしく独り言が聞こえている。ちらりと隣の人間を盗み見た三郎は十年越しの約束が果たされたのを知った。三郎はたまらず名を呼び抱き着いた。

「おかえり、雷蔵」
「ただいま、三郎」

雨はすっかり止んでいて、強い陽射しが虹を渡していた。


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