距離想


ジワジワと蝉が自己主張をし、青い空に積乱雲がくっきり浮かぶ季節になった。毎年海の日を過ぎてしまえば雷蔵の機嫌は極端に跳ね上がる。雷蔵の住まう町はそれはもう山奥にある田舎だった。辛うじて町と呼べるのは、一応小さな駅があるためだ。雷蔵は長期休みになると毎度、同居している父方の祖父を残し、休み丸ごと都会のど真ん中にある母親の実家にお世話になる事になっている。祖父母に会いに行くのが恒例になっているが、雷蔵の楽しみはそこではない。メインは祖父母宅に同居している従兄弟で同い年の三郎に会う事だ。昔から目を疑う程そっくりで兄弟の様に仲が良かった。しかし住んでいる所が離れていて長期休みでもないと滅多に会えない。普段からメールや電話をかなりの頻度でしているが、それでも実際に会いたいのだ。高校生の雷蔵は今年も夏休みに入るなり、両親より一足先に新幹線に飛び込むのだった。雷蔵はひとり、新幹線に揺られながらも到着が待ち切れずメール作成画面を表示した。宛先は三郎である。電車に乗った事と道中が暇である旨を打ち込むと慣れた手付きで送信した。パコン、とケータイを閉じて窓の外に視線をやる。乗り込んでから一駅も越えていないのでそこまで代わり映えはしなかった。手持ち無沙汰な雷蔵は再びケータイを開いた。何か目的があった訳ではなかったが、何にせよとにかく暇なのだ。生憎重くなるから、と本の類も置いてきてしまっていた。そしてまたケータイを閉じて開いてを何度か繰り返した頃、ケータイが雷蔵の手の中でプルプルと震え始めた。即座に確認すると三郎からのメールを受信した合図だった。三郎は余程待ち遠しいのか、普段は文字だけのメールのくせに、今日はやたらと絵文字や顔文字を多用してきていた。雷蔵はにやける口元を隠しもせずに返信をした。今度は間を空けずメールが返ってくる。速いテンポのメールはまるで三郎と会話をしている様だ。夢中になって特に意味も無い短いメールを送受信し続けた。結果として元より履歴という履歴が三郎で埋まっていた雷蔵のケータイが、さらに三郎の名前で一杯になり、雷蔵の
頬が緩む原因を作っただけだった。
やがて景色から田畑が消え建物が増え、高いビルばかりになった。メールは新幹線を降りてバスに乗っても続く。バスに乗った旨を伝えれば大量のビックリマークと共に、すぐバス停まで迎えに行くね、と返ってきた。バス停が待ち遠しい。雷蔵はケータイを閉じると膝に乗せていた荷物を抱き締めた。
バスに乗って約10分で三郎宅の最寄りのバス停に到着した。重い荷物を抱えてバスを降りた雷蔵は、自分を呼ぶ声に反応しそちらを見遣った。宣言通り迎えに来ていた三郎がパタパタと走って来るところだった。

「三郎久しぶり!」
「よく来たね雷蔵!会いたかったよ!」
「走らなくてもよかったのに」
「なに、君に早く会いたかったのさ」

三郎は走ったせいで少し息を乱していた。親戚で従兄弟である三郎に、同性に抱くべきではない感情を持つ雷蔵は、それだけで気持ちが柔らかくなるのを自覚した。行こうか、と三郎が雷蔵に微笑みかける。雷蔵は頷いて三郎の隣を歩いた。時々ぶつかる三郎の左手を何度掴んで絡めたいと思ったかわからなかった。雷蔵はその度に拳を握った。
三郎の家はバス停から比較的すぐにある。2分もあれば着くであろう距離だが、その道すがらすら雷蔵には至福の時だった。三郎の家に着くと、雷蔵の祖父母や叔母が笑顔で迎えてくれた。大きくなったわね、と言われるのは恒例の儀式と化していた。そして今年もお世話になるので荷物の殆どの重みだったお礼のお土産を引き渡す。地元の名物は何だかんだで喜ばれるのだ。一通りの行事を済ませると雷蔵は三郎に連れられて三郎の部屋に通された。毎度毎度寝泊まりするのは三郎の部屋なのだ。雷蔵の荷物も三郎の部屋に運び込まれる。洋服はいつも三郎のを借りているので持ってきていない。軽くなった荷物は三郎の部屋の隅に放られた。

「君が来たら何を話そうか考えていたんだけど、実際に会うと全て飛んでしまったよ。積もる話があったはずなんだが、まったく困ったものだ」

三郎はベッドに腰掛けて困った様に笑った。三郎の椅子に座る雷蔵も同じ様に笑って頬を掻いた。

「僕も三郎に話したい事がたくさんあるんだけど、何から話せば良いかわからないよ」
「まあ時間はまだまだあるからな。叔母さん達が来るのは今年もお盆の頃だろう?」
「うん、そうだよ。それまでは僕ひとりがお世話になります」
「ああ。ずっと居てくれても構わないのだけどね」
「あはは、そんなこと言ったら本当に居座るよ?」
「雷蔵なら大歓迎さ!私の大好きな雷蔵だからな!」

雷蔵に"大好きな"という言葉が刺さった。簡単に言葉にできた三郎の"大好き"は友としての最上級であって、雷蔵の"好き"とは最も掛け離れたものなのだろう。雷蔵は自然と笑顔を貼付けた。

「もう、三郎は僕をおだてるのが上手だね」

おだてるどころかエベレストの頂上から地に叩き付けられた気分だった。
その日から雷蔵の三郎との短い一つ屋根の下生活が始まった。有名なデパート街や名所巡りに行く日もあれば家でずっとゲームをしていたり徹夜で話をしたり、存分に三郎との生活を謳歌した。その間も三郎は雷蔵に好きだ何だと言い続けた。それが何の気無しに発される度に雷蔵は生爪を一枚一枚剥がされた様な気分だった。いっそ気持ちを伝えられればどんなに楽だろうか。笑顔を貼付ける度に涙が零れそうだった。
状況が変わったのは八月の初旬だった。ベッドで寝転んで雑誌を読んでいた三郎がいつもの様に、雷蔵が大好きだ、と言った。雷蔵にはそれを笑って流せる程の余裕が無くなっていたのだ。

「ねえ三郎、そんなに僕が好きかい?」
「ああ。大好きだとも」

雷蔵は座っていた椅子から立ち上がり三郎の雑誌を取り上げる。

「じゃあね、仮に僕が今お前を襲ったとして、それでもお前は僕を好きでいられるかい?」
「は?」
「そうだろう。意味わからないだろう。僕は三郎が好きな訳だけど、お前の好きとは大分違うんだよ。だからね、三郎はあんまり僕に好きって言っちゃダメだよ。僕に何されても文句言えないからね。わかったかい?」

三郎は目を見開いては瞬きをしている。混乱しているのだろう。雷蔵は三郎に雑誌を返して再び椅子に戻って本を読み始めた。ベッドが軋む音が部屋に響く。視界の隅で三郎がベッドから這い出るのが見えた。三郎は部屋を出ていくのだろうか。視界の隅で三郎を追いかけると、今度は雷蔵の本が奪われた。

「雷蔵、君は何か勘違いをしている様だね」

雷蔵の本が机に置かれた。

「私はね雷蔵、君がしたいのであれば別に構わないよ。でもね、それが君の本意ではない事位私にもわかる。私は昔から散々君が好きだと言っていただろう?君が好きなんだよ。君と同じ意味で」

雷蔵は開いた口が塞がらない。

「いつになったら気付いてくれるかと思っていたけど、思わぬ告白をされてしまったよ」
「え、あ、えっと」
「さあ雷蔵、両想いってやつなんだが、どうだろうか。ここはひとつキスでもしてみないかい?」
「え、ええ?」
「あ、やだ?まだ早い?」
「いやいやいや、ごめんあの、僕頭が付いていってない」

話をトントンと進める冷静な三郎だが、雷蔵はひとり置いてきぼりになっていた。今までずっと雷蔵の片想いだと思って生きてきたのだ。自分が仕掛けたとは言え、雷蔵の計算ではあそこで三郎が唖然とし、軽蔑されて部屋に独り取り残されるはずだったのだ。普段からあまりにも軽く好きだと言うので友情の好きだと思っていたが、まさか自分と同じ恋慕の好きだとは思わなかった。

「あのね三郎、こんなはずじゃなかったって言いたい」
「そうだろうね。でも君が悪いよ。私の長年の告白を流し続けたんだからね」

お代は君のファーストキスで構わないよ。しれっとした三郎の要求に雷蔵は立ち上がりとりあえず三郎を抱き締めてみた。そして三郎の要求通り雷蔵のファーストキスをくれてやった。触れるだけのキスだったが思いの外三郎が真っ赤になったので雷蔵は満足した。
それからと言うものの、三郎は事あるごとに雷蔵にべったりとくっつき、雷蔵も三郎から離れる事はなかった。周囲から見れば通常運転だったのだがそこは触れてはいけない。これは雷蔵の両親が合流し、雷蔵が帰る日まで続いた。毎回帰り際は辛いものだが、晴れて恋仲になったからには余計に悲しみも一塩だった。ケータイがあればメールも電話もできる。また冬休みになれば会いに来る事ができる。無理矢理納得して帰りの新幹線に乗った雷蔵は後悔する事になった。
次の日三郎からメールが来たのだ。父親の転勤で遠くに引っ越す事になった。祖父母は残して自分達だけ引っ越す。三郎から送られた地名は雷蔵も驚く程遠い地だった。もう滅多に帰ってはこれないだろうと三郎は言う。休みには祖父母の家に行くのが口実で三郎に会いに行っていたのに。しかもそんなに離れていては今以上に会えなくなってしまうではないか。漸く三郎と恋仲になれたのに、一方通行は終わったはずなのに。雷蔵の中に色んなものが渦巻いて、それ以上の返信ができなくなってしまった。母に聞いても、残念ね、としか言わず、現実を否定してはくれなかった。結局メールをもらってから数日が経ち新学期が始まってしまった。三郎は新学期から向こうの学校に通うのだと言っていた。メールを切ってしまった手前こちらから連絡を取るのは気が引けたが、それでも雷蔵は三郎に宛てたメールを作成した。

この間はメール切っちゃってゴメン。今日から新学期だね。新しい学校はどう?
これからは今まで以上に会えなくなっちゃうんだね。今までも会いたくて会いたくて仕方なかったけど、もっと辛くなるんだね。僕は三郎に忘れられちゃうのが一番辛いです。僕はね、会えなくても三郎が大好きだからね。三郎のこと、ずっと大好きだからね。
お正月とかには会えるのかな。やっぱり難しいかな。早く大人になって三郎に会いに行きたいよ。

完了ボタンを押しメールを電波に流した。騒がしい教室に始業のチャイムが響く。雷蔵は、三郎も遠くでチャイムを聞いているのかなぁ、とぼんやりと考えた。夏休みの出来事が忘れられず、三郎の事しか考えられない。この夏休みをひと夏の思い出にする気はさらさらなかった。卒業したらこのド田舎を出て、三郎が住む町で進学しようとすら考えている。雷蔵が固く決意をすると、背を押すようにケータイが震え出した。


END


お返事















あれで終わりたい方は戻りましょう





















受信のバイブレーションと同時に担任が教室に入って来た。新学期に入って初めてのHRに気合いが入っているようだ。しかし実際はそんなに話す事も無かったらしく朝のHRを軽く済ませて、生徒一同は授業の支度を始めかけた時だった。担任が、あ、忘れてた、と声を上げたのだ。立ち上がりロッカーを漁る生徒たちをもう一度席に着かせるとニヤリと笑った。

「転校生が来ました」

そんな大切なことを忘れるとは何事だ。クラスがざわめいたのを気にする事も無く廊下に向かって、いいぞー、と声を掛けた。雷蔵は開いた口が塞がらなかった。遠くの地にいるはずの三郎が教壇に立って黒板に名前を書いているのだ。三郎は名前を書き終えるとクルリとこちらを向いた。

「はじめまして、鉢屋三郎です。そこの雷蔵君と同じ顔なのは従兄弟だからです。どうぞこれからよろしくお願いします」

三郎を囃し立てる歓迎の声に混じって、担任が座る席を指定した。もちろん雷蔵の隣だった。雷蔵は頭の整理がつかず、もうどこから突っ込んでいいのかわからなくなっている。横の机に着いた三郎は、教科書見せてねダーリン、とウインクをかましてきた。今度こそ終わったHR。雷蔵が三郎にどういうことかと詰め寄ると、三郎はアッサリと事の顛末を吐いた。三郎から聞いていた遠くの地は雷蔵を驚かせるための嘘だということ。それに母親は喜んでノリまんまと雷蔵は騙された訳だ。実際三郎が引っ越してきたのは雷蔵の家のすぐ近くだった。

「これでもう会いたい時に会えるじゃないか」
「お前なあ」
「いいじゃん雷蔵。私も雷蔵が大好きだ。ずっと一緒だよ」

雷蔵からは溜息しか出て来なかった。僕の決意を返せ、と口から出かかったが出したら笑いのネタにされるだろう予測はついたので必死に飲み込んだ。


今度こそEND
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -