あげな


放課後の平和な図書室で、雷蔵は受付に座りのんびりと読書を楽しんでいた。BGMは廊下を走るドタバタした足音と、三郎と勘右衛門の悲鳴と、小平太の笑い声だ。どうせまた暇な小平太にちょっかいを出して目を付けられたのだろう。そんな日常的な風景を思い描いて大きな欠伸をした。平和がなによりだ。雷蔵はゆったりと押し寄せる心地好い眠気にまどろみ始める。生憎今日の図書室はガランとしていて、利用者の姿はとんと見当たらない。少しくらいいいだろうか、用があれば起こしてもらえるだろう。いやしかしそうもいかない。図書委員としての責任や真面目な性分が必死で抵抗した。霞む意識の中、雷蔵はギリギリまで眠気に身を委ねるかどうかを悩んだが結局眠気には勝てなかった。悩んでる間に雷蔵の意識は遠退いた。
手放した意識が戻ったのはカラスの声と廊下のざわめきのおかげだった。どうやらそろそろ夕食の時間らしく下級生達が図書室の前を軽い足取りて駆けていく。雷蔵は慌てて閉館の用意をした。限りなく少ない利用者名簿を綴じ込んで、数少ない貸出カードを仕舞う。開けていた障子を閉めて、後は軽く掃除をして施錠すれば終わり、というところでまさかの来客があった。

「三郎いるかー?」

同じクラスの八左ヱ門である。三郎が雷蔵と一緒に行動したがるのを知っている八左ヱ門は、わざわざ雷蔵のところに三郎を探しに来たのだ。雷蔵の平和だった世界に黒い墨汁が垂らされた。

「三郎なら今日は来てないよ。用があるなら伝えておこうか?」
「ああいや、別に大した用じゃないんだ。三郎に宿題教えてもらおうと思ったんだけど、後でいいや」

八左ヱ門の、ニカッという効果音すら聞こえてきそうな笑顔に、雷蔵は曇る表情を自覚する。

「どうした?」
「ううん、なんでもない。もしあれだったら僕が教えてあげようか?」

貼付けた良い人全開の笑顔で精一杯良い人ぶった。だがそれで引き下がる八左ヱ門ではないのを雷蔵は知っていた。

「や、大丈夫。三郎に教えてって言ってあるし。三郎に教えてもらいたいんだ。それじゃ、邪魔してごめんな」

八左ヱ門は颯爽と図書室を去って行った。雷蔵は足音が聞こえなくなったのを確認すると渾身の力でカウンターの内側にある椅子を蹴飛ばした。椅子は激しい音をたててカウンター内を転がり回る。やがて椅子が動かなくなると大きな舌打ちが静かな図書室に響いた。雷蔵の長い髪が汗ばんだ頬に張り付いている。それを払う事も無く掌をカウンターに叩き付けた。

「ああもう何なんだよ本当に嫌になっちゃうなあハチってばあれわざとやってんのかなあ本当にうざったいなあ三郎は僕のなのに何様のつもりなんだろう一度キチンと釘刺しておかなきゃダメかなあ」

普段の雷蔵からは考えられない程低く小さな声で早口に紡がれる一連の言葉達。本当、邪魔だなあ。虚空に囁いた雷蔵の表情は何も映していなかった。

図書室の施錠をして自室に戻ると、三郎が八左ヱ門に宿題を教えていた。雷蔵が、ただいま、と言うと三郎は跳ねる様に顔をあげて、お帰り雷蔵遅かったじゃないか、と駆け寄ってくる。

「うん、なんだか眠くてうとうとしていたらこんな時間になっちゃった。ごめんね三郎」
「ああ、まったく寂しかったとも!いっそ君を迎えに行こうかとも考えたがハチの宿題を見る約束だったからな」
雷蔵が八左ヱ門に目をやると、八左ヱ門は一瞬だけ豊かなはずの表情を消して雷蔵を見ていた。しかし次の瞬間にはいつもの眩しい笑顔で、いやあ今日の宿題全然わかんないし、と笑い飛ばした。八左ヱ門に背を向けている三郎には見えないだろう変化だ。疲れただろう、お茶を入れようね。と三郎は嬉しそうに振り向き部屋に常備しているお茶セットを弄り始めた。

「しかし三郎に教えてもらうとわかりやすくていいな。おかげでサクサク終わったもん。ありがとな」

白々しい。八左ヱ門の貼付けられた眩しい笑顔に雷蔵はギリリと奥歯を噛む。

「なに、これくらいなんて事はないさ。雷蔵がいなくて暇だったしな。はい雷蔵、今日のおやつは学級委員長委員会御用達の三色団子だ。勘右衛門イチ押しだから美味しい事間違いないぞ」
「わあ、本当だ、美味しそうだね。でも三郎とハチは食べたの?」

三郎が用意をしたお茶と一串の団子が机に並べられた。見る限り向こうの机には団子を食べた形跡はない。雷蔵としては八左ヱ門などどうでも良かったのだが、やはり美味しいものは三郎と食べた方が美味しいに決まっている。文脈上仕方なく八左ヱ門の名前も上げておいた。

「私はさっき八左ヱ門に饅頭をもらったから大丈夫だ。それにその団子は委員会で食べたのだが、美味しくてどうしても雷蔵に食べてもらいたくて一串失敬してきたやつだから気にしないでくれ」
「そうかい?でも夕飯前だから、僕が二つ食べるから、三郎、ひとつ食べてもらえないかい?一緒に食べよう?僕は三郎と食べたいな」
「雷蔵、君ってやつは本当にもう!お安い御用さ!」

八左ヱ門の置いてきぼり全開の不愉快そうな顔に、雷蔵は顔がにやけてしまって仕方がない。八左ヱ門がどんなに食べ物で釣ろうがアプローチをかけようが、三郎には雷蔵しか見えていないのだ。雷蔵は勝者の笑みを心に仕舞い、団子に口を付けた。これは確かに勘右衛門も認めるだけある。程よい甘さと固すぎない触感。歯ざわりも良く淡い風味を残していく。こんなにも美味しい団子を、三郎はわざわざ持ち帰ってまで雷蔵と共有する事を望んだのだ。雷蔵は八左ヱ門に止めの一撃を放った。

「これ美味しいよ!ありがとう三郎。ああそうだ、ハチ、もし暇だったら先に食堂行っててもいいよ?」

八左ヱ門の顔色が見る見るうちに悪くなっていく。流石に三郎が、大丈夫か?と聞けば、ああうん、位は発したがまるで絶句してしまっていた。三郎を掠め取ろうとするハイエナにはこれくらい灸を据えてやらないと気が済まない雷蔵だった。

「あ…、じゃあ俺先行ってるわ。三郎、宿題ありがとな」
「おう、構わんぞ」

雷蔵は去り際に向けられた確かな敵意を無かった事にし、団子がひとつだけ残った串を三郎に差し出した。串を受け取った三郎ははにかみながらそれに噛み付いた。団子を咀嚼する三郎のなんと愛らしい事か。雷蔵は三郎可愛さに今なら獣より速く走れそうな気すらした。

「三郎、美味しい?」
「ああ、君と一緒に食べる団子がまずい訳ないだろう」
「そっか。今日は僕も三郎が来てくれなくて寂しかったんだよ。だから、今日はずーっと、一緒だからね」
「それじゃあ、私はこれから今日はずっと幸せだという事だね」
「僕もね、幸せだよ」

部屋の扉のすぐ横でこのやり取りを聞いていた八左ヱ門は拳を握り締めた。雷蔵が委員会でいない今日なら、邪魔をされる事もなく三郎と二人でのんびりできると思っていたのだ。しかし八左ヱ門には誤算があった。まずひとつは、三郎が雷蔵にお土産を持って来ていて、雷蔵の帰りを待ち侘びていた事。もうひとつは雷蔵がもう少しまともな神経の持ち主だと思っていた事だ。一見三郎が雷蔵を追い掛け回しているように見えがちだが違うのだ。雷蔵が三郎を離そうとせず、三郎はそれを心地好く感じているのだ。あわよくば三郎を掠め取ろうと画策していた八左ヱ門だが、無駄に被弾しただけで終わってしまった。三郎のベクトルは完全に雷蔵にしか向いていなかった。しかしこれでのこのこと尻尾を巻いて逃げる八左ヱ門ではない。またチャンスがあればそこに乗じてジワジワと間に入り込もうとするだろう。八左ヱ門は自らの左腕に爪をたててその場を離れた。
三郎との時間を取り戻した雷蔵は小さくニヤリと口を歪めた。八左ヱ門がいなくなったこの空間は三郎と雷蔵だけのものになる。こうして雷蔵は平和で幸せな時間を手にすることに成功し、すぐ側の三郎を引き寄せ抱きしめた。


END


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