お隣りさんちのお


勘右衛門は学校をサボり自宅でゴロゴロしていた。二年前大学入学を期に一人暮らしを始めた勘右衛門である。サボりを咎める者は誰もいなかった。一人暮らし生活自体に困った事は特にない。掃除も洗濯も一人でできる程度には勘右衛門も一人前だった。しかし食事だけは日に日に自分の好きなものばかりになって栄養の偏りが著しくなってくる。

そんな食生活を救ったのはお隣りさんの鉢屋三郎だった。
一年半前のある日、勘右衛門が大量のケーキを持って帰宅したところ、三郎と玄関先で遭遇したのだ。それまでは特に交流もなく、いつも怠そうにしているいけ好かない野郎だとすら思っていた。勘右衛門が抱えた大量のケーキに興味を示した三郎に本日の夕食である旨を説明すると、物凄い嫌な顔をした三郎に腕を掴まれ三郎の部屋に連れ込まれた。
中には鼻に目がいく人間ともうひとり、粗野な印象を受ける人間がいた。それは後に不破雷蔵と竹谷八左衛門だと認識する者だった。三郎は二人に、今日の晩飯こいつも一緒だから、と短く説明すると勘右衛門の腕を解放し台所に立った。目まぐるしい場面展開についていけない上、やたらとアウェイな印象を受ける部屋の中。勘右衛門は雷蔵に進められるがまま床に座り八左ヱ門の入れたお茶に口を付けた。話を聞けば、二人は夕食をたかりに来たらしい。三郎の料理は美味しいから期待しているように、とまで言われた。
それから一時間位だっただろうか。夕食の準備が出来るまで雷蔵や八左ヱ門と話しをした。三人も大学生で、自分と同じ学校に通っている事。学部は全員バラバラだけど幼なじみで腐れ縁だという事。ああ見えて三郎は驚く程家庭的な男だという事。勘右衛門が連れて来られた経緯など。勘右衛門は三郎が大学生なのは知っていたが、同じ学校だとは思わなかった。
勘右衛門が二人の話に夢中になっていたところに夕飯が運ばれてきた。ここで勘右衛門は忘れもしない感動のビーフシチューを味わうのだ。家庭の味ではないが、ファミレスの味でもない。例えるならそう、本場の味。三郎のビーフシチューは勘右衛門の期待を大きく裏切った。いくら期待をしてていいと言われても所詮大学生の料理である。そう考えていたのだ。しかし現実は違った。一緒にテーブルに並べられたビシソワーズと生ハムサラダも想像を絶するものだった。足りなかったら適当におかわりしろよ、という言葉がこんなにも目の奥を熱くしたのは初めてだろう。勘右衛門にとって久しぶりだった他人との賑やかな夕飯は胃も心も満たしてくれた。
これが勘右衛門の食生活を変えたきっかけだった。以降勘右衛門は度々三郎の部屋に入り浸っている。元々三郎の部屋にたむろしていた雷蔵や八左ヱ門とは直ぐに打ち解けた。三郎も、勘右衛門の次の日の予定とメニューの希望を取るになったのだから異論はないのだろう。今じゃ勘右衛門は雷蔵と八左ヱ門と一緒に月の食費を納める位には入り浸っていた。

布団の上でゲームをしていた勘右衛門は空腹を感じ、キリの良いところで電源を落とした。時計を見れば既に4時を過ぎていた。夕飯には少し早いが、三郎はもう家にいるだろうか。考えるや否や勘右衛門は適当に着替え、部屋の隅にある段ボールを抱えて部屋を出た。実家から送られてきた野菜達を三郎への貢ぎ物にするつもりだ。玄関の扉を開けたところで調度今帰ってきたらしい三郎と鉢合わせた。三郎の手には今日の夕飯の物だろう、スーパーの袋が握られていた。

「あれ、今日学校は?」
「うん、今日初めて外の空気吸った」

勘右衛門は呆れ顔の三郎に抱えた段ボールを差し出した。

「はいこれ実家からのお野菜共です。使ってやってください」
「おー助かる。こんなに沢山悪いな」
「いえいえ、お世話になってますから」

そのまま三郎が部屋の鍵を開けるのを見届ける。勝手知ったるお隣りさんちは相変わらずキレイに整頓されていた。勘右衛門は靴を脱ぎ散らかして部屋に踏み込んだ。野菜の入った段ボールを台所の床に置いて振り返れば、三郎が買い物袋から戦利品を引っ張り出していたところだった。テーブルに出されているのは、じゃがいも、人参、玉葱、牛肉。これを見たら思い付く物は一つしかない。

「お、今日の夕飯はカレーだね」

ニヤニヤと様子を伺う勘右衛門に、三郎はチラリと目線をやると、そう思うか、と涼しく返した。

「はっちゃんと雷蔵は?」
「雷蔵は後で来る。ハチはバイトだとさ」
「そっか。あ、手伝うよ!」

勘右衛門はサッと手を洗い指示を仰いだ。最初の指示は玉葱を刻むこと。一瞬表情が固まったが勘右衛門は手際よく皮を剥いでカレーサイズ刻んでいく。その間三郎は買ってきた日用品をしまい込み、深鍋に油を敷いて火を着けた。勘右衛門が玉葱を刻み終えるとそれを炒めていく。勘右衛門は次に人参とじゃがいも、牛肉を切った。そして三郎は、玉葱の色が変わってきたところに人参、じゃがいもを投入し、最後に牛肉を投げ込んだ。炒め終えると水を入れるのだが、そこで出てきた調味料に勘右衛門は驚いた。

「え、みりん入れちゃうの?」
「砂糖と醤油と酒もな」

三郎は目分量でみりんをダバダバと注いでいく。砂糖も醤油も日本酒も、カレーの隠し味にしては少々斬新過ぎやしないだろうか。

「まだわからないか」

鍋の蓋を閉じて片頬だけで笑った三郎。勘右衛門はまったく何もわからなかった。

「全っ然わかんない」

首を振る勘右衛門。三郎は嫌な笑みを深めた。その表情から勘右衛門は、もしかしたらとんでもない下手物料理を食わされるのだろうか、と考えてしまい固唾を飲む。途端に三郎は失笑した。小さく震えながら笑う三郎に勘右衛門は目が点だ。

「そんなビビるなよただの肉じゃがなのに」
「肉じゃが!?」

そういえば確かにそんな匂いがしていた。勘右衛門はカレーだという固定観念からまったく正解に近付けなかった。なにより肉じゃがの作り方なんて露ほども知らなかった。

「なんだよ肉じゃがかあ…」
「あれ、肉じゃが嫌いか?」
「肉じゃが大好きだよ」
「そうか」

三郎は安心したように息を吐いた。

「ご飯は炊けてるしあとは煮るだけだから、向こうで雷蔵を待とう」

三郎は勘右衛門が持ち込んだマグカップと自分のマグカップを用意してケトルのスイッチを入れた。勘右衛門が好きなとびきり甘いココアの準備をする。一緒に台所に立てたのが少しだけ、ほんの少しだけ嬉しかったなんて言うつもりはさらさらなかった。だからせめて、このココアは美味しく作ってやろう、と牛乳とレンジの用意をした。
居間で勘右衛門が、雷蔵の帰りが少しでも遅くなりますように、なんて願ってる事を三郎は知らなかった。



END

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