泡沫の妄想に睡れ ※暗い |
「ふぅ、やっと終わった」 A級三輪隊所属のオペレーター、月見蓮は端末の電源を落として息をついた。 戦闘員は文字通り、戦場を駆けて人類の敵たる近界民を排除することが仕事。オペレーターの役割は、その戦闘員をあらゆる面でバックアップ・サポートすることだ。 最も大きな仕事である戦闘時の情報サポートに加えて他の隊のオペレーターとの連携、戦績報告をはじめとした事務作業、作戦室の管理など、その業務は多岐にわたる。 つまり、戦闘が終わったあとも、オペレーターの戦いは続いているのだ。 「三輪くん、どう? 何か良いアイデアは浮かんだ?」 夜も大分遅いため他の隊員のほとんどはすでに引き揚げている。しかし、隊長である三輪は今日の結果を元に何か考えたいことがあるとかでただ一人残っていた。 月見の問いに対する返事はなかった。律儀な三輪にこういうことは珍しい。 「……あら」 その理由は振り返ってすぐ分かった。月見の目に映るのは、ブリーフィング用に備え付けられている机に向かう三輪の姿。机に大量に積まれた書類の前、腕を組んで椅子に腰掛けている三輪の頭はこくりこくりと傾いでいる。 それを見た月見の唇の端が苦笑でゆがんだ。 (やっぱり、こうなるか。限界だったのね) 三輪が居眠りをすることについて、普段の彼をよく知る人であれば、「あり得ない」と返すだろう。真面目、と一言で表現すれば事足りる、三輪はそんな気質の持ち主だ。同じ高校に通っている米屋陽介によれば、学校での成績もかなり優秀な方で、教師からの評判も良いらしい。 ……そういう米屋はどうなのだと突っつけば、不可思議なポーズと表情でカサカサと逃げていった。昔の(いや、今もか)幼なじみとそっくりである。 そんな三輪が居眠りをする理由は、彼の目の下の隈と、明らかに血色の悪い顔が物語っている。おそらく、きっかけは先の黒トリガー争奪戦だ。 戦場での会話まで全て把握しているわけではないから、月見はそこでどのような会話が行われていたか全容を知ることは出来ない。だが、そのとき相対していた相手である嵐山に何かを言われたことが引き金になっていることは分かっている。月見と嵐山は同窓だが、そのことについて尋ねてもうまくはぐらかされてしまっていた。彼はあれで意外と食えない気質の男だ。 シャツの上に学ランを着ただけの三輪の肩がぶるりと震えた。当然といえば当然だ。今の季節は冬。これからどんどん冷え込んでいく季節だ。いくら空調が入っているとはいえ、そんな格好で寝たら体を壊してしまう。 「三輪くん、起きて。こんなところで寝たら風邪を引くわよ」 月見は三輪の傍まで歩み寄り、肩を軽く数回叩いた。反応はない。 「ちょっと、三輪くん」 声を少しだけ大きくし、肩を軽く揺する。 「――」 「え?」 やはり目が覚める様子はなく、三輪は相当深く眠り込んでいる様子だった。が、その閉じられていた唇から何か音が漏れた。何と言ったのか、月見には聞き取ることは出来なかった。 三輪の口元に耳を近づけた月見は、続く三輪の台詞に目を見開いた。 「もう少し寝かせてよ……姉さん」 安眠を妨害されたのが不快だったのか、三輪は眉根を寄せたしかめっつらである。だが、その言葉を聞いた後だと、月見にはそれが姉にだだをこねる弟の拗ねた表情に見えるのだった。月見が黙ったことに満足したような面もちで、再び三輪は船を漕ぎ始める。 ――何か聞いてはいけないものを聞いてしまった気がした。 三輪がボーダーに入った理由を、知らない者はほとんどいない。ボーダーの中で多数を占める「抗戦派」――別名城戸派の中でも、三輪は特別近界民に対する憎しみが強い。その理由は、姉が殺されたことなのだと。 家族の命を奪った近界民への復讐のため、彼は武器を取り戦い、たったの数年で、未だ高校生の身で、A級まで上り詰めたのだと。その姿は近界民を憎む者が多いボーダーの中でも、とりわけ鮮烈だ。 でも、今の彼は、そうなる前の、ただの少年だったころの彼なのだ。 彼の姉の人となりを、月見は知らない。そこに触れるのは禁忌だ。昔からなじみのある陽介ですら、そこに言及したことは一度としてない。未だまどろみのうちにいたがる弟を、叱りつけて起こしたのか、仕方ないと寝かせてあげたのか、月見には分からない。 だが、一つ言えることがある。 ……今の彼の幸せは、この世界には存在しないのではないか、ということだ。 月見は花火を見ることが好きだ。水泳が好きだ。夏、プールで一泳ぎしたあとに、和菓子を食べながら花火を見ることが出来たら、それは至福の時間である。 それほど長い付き合いではないが、陽介はいつ見ても何かしらの飲み物を持っているし、奈良坂が新作が出るたび買いこむほどの某菓子愛好家であることを知っているし、オペレータールームにわざわざコーヒーミルを持ち込んでいる章平がコーヒーに相当なこだわりを持っていることも知っている。 では、三輪はどうか。近界民を殲滅しているときの彼は笑みを浮かべているが、それは陽介のように「楽しんで」いる顔ではない。そして、近界民の全てを殺し尽くしたとして、彼はそれで幸せだと言えるのか。 これは推測に過ぎない。きっと、彼の姉を殺した近界民は、彼の好きなものを奪うと同時に、他の彼の好きなものをも全て、奪っていってしまったのだ。 今。夢の中で姉を失う前に立ち戻った今が、彼の幸せの時間なのかもしれない。たとえかりそめであっても。 夢はいつか醒める。そこで待っているのは姉が失われた現実だ。それに傷つく前に、彼を呼び戻した方がいいのだろう。 けど。 あどけない表情で眠る三輪をもう一度揺らすことは、月見には出来なかった。彼は寝不足なのだ、とそれらしい理由で自分を納得させて。自己満足なのかもしれない。自嘲しながら月見はそっと三輪から離れると、自分用に常備してある膝掛け代わりの毛布を手に取った。 (私はあなたの「姉さん」の代わりにはなれないけれど、) 月見を姉と間違えた少年の肩に、月見は毛布をかける選択をした。 (……おやすみ、「秀次」) (おわり) - - - - - - - - - - ぴくしぶから再録 本当はこのあと目を覚ました三輪と会話するシーンがありましたが、蛇足感があったので切りました。 |