戦の狼煙は鉄板に
※影浦家を色々とねつ造しています。






 ――もしもし。ぼくだ。おまえ、随分遅いけど、今何してるんだ?
 ――まあ、本部にいるなら個人ランク戦だとは思うけど……。
 ――連絡がなかったから、夕飯は先に食べた。
 ――空閑は外で食べるか、買ってきて済ませてくれ。
 ――もし何か分からないことがあったら電話しろ。
 ――……あと、遅くなるなら前もって連絡入れるんだぞ。それじゃあ。
 ――メッセージは、以上です。

 耳元に、聞きなれた声が流れる。そのあと、機械的な女性の声がメッセージの終了を告げ、それを最後に手の中の機械は沈黙した。
 時刻を確認すると、なるほど。夕飯の時刻を大幅に過ぎている。
(………またやった。しまった)
 ボーダー本部の、出入口に繋がる通路を歩きながら、遊真はそう思った。
 通路の突き当たり。出入口の扉を開ける。ようやく見えた空は吸い込まれるように真っ黒で、真っ白な月が輝いていた。
(やっぱ、「あっちの世界」とは勝手がちがうな。分かってたけど)
 心のなかでひとりごちる。
 遊真が人生のほとんどを過ごしてきた近界においては、時刻の概念も昼夜のようなざっくりした区切りくらいしかなく。また通信技術も発達していなかった。必要があれば、お目付け役のレプリカがどうにかしてくれていた。
 最近になって彼もこの世界の通信端末である「すまーとふぉん」を与えられたが、結局のところ連絡をする習慣そのものがないのだから仕方がない。しょっちゅう連絡を忘れては、今回のように相棒のお小言を食らうのが常だった。彼には「こちらの世界」の常識について色々と教えてもらっているのだが、やはり完全な理解にはまだ遠い。
 今日も、修の言う通り午後一杯個人ランク戦に興じていたのはいいが、またしても時間の概念がどこかにすっとんでしまったようで。個人ランク戦会場には窓がないので時間の経過にも気づかなかったのだ。
「おい」
 ずっと横を歩いていた青年が唐突に言を発した。遊真の一連の行動を不審に思ったらしい。
「どした?」
「夕飯の連絡を忘れてたようで」
 問うてくる、今日のランク戦の相手でもあった黒髪の青年。名は影浦という。
 知り合ってから間もないが、それなりの頻度で個人ランク戦をしている相手だ。使用する得物は遊真と同じスコーピオン。ただし、多くの隊員が用いるような短剣型ではなく、刃を鞭のように伸縮させるスタイル。その強さは、同じく遊真がよく個人ランク戦を行っている攻撃手4位の村上鋼をして、勝ち越せないと言わしめた。実力は折り紙付きだ。
 その影浦は、遊真が返した答えに表情を険しくした。
「はあ? んだよ、メシねーのか」
「どうやらそのようです」
「なら食堂で………………あ〜〜、今から行っても閉まってっか」
 影浦は来た道を振り返りながら提案をするが、すぐさまそれを自分で打ち消した。
 遊真は食堂が閉まる時間を知らない。けれど、影浦はウソをついていない。ならば、彼の言うことはおそらく正しいのだろう。
 時刻はすでに二十二時を回っていた。閉まっていたとして不思議はなかった。
 それよりも、と。遊真は手のひらを見せて影浦を制止する。
「まあてきとうに買って帰るからだいじょぶ」
「…………」
 すーぱー。こんびに。この世界には、便利なもの、店がたくさんある。使い方は一通り修が教えてくれた。
 なかでも「こんびに」は、どこにでもあって、食べ物飲み物だけではなく文具なども揃うから重宝していた。
 おカネもある。なにも問題はない。
 そう言ったつもりだったのだが、返ってきたのは無言だった。影浦は険しい表情のまま頭をぼりぼり掻いている。そして。
「……空閑。ついてこい」
「ふむ? なに?」
「いいから来い」
 言いざま、影浦は遊真を置いて先行し始める。方向は、外。
 遊真が投げる質問にも、答える気はないらしい。来れば分かる、とでも言いたげだ。どんどんと、基地から離れていく。
 「ついて来い」と言われたので、とりあえずそのとおりに追従する。ずんずん前へ進んでいく影浦の足取りに、迷いはなかった。
 やがて、影浦は一軒の建物の前で足を止めた。少し古いと感じる家屋や、使い古された看板が並ぶ通りの一角だった。
 建物の中は灯りが点いていて、夜にも関わらず賑やかな話し声が中から聞こえてくる。引き戸の扉の前には「のれん」が下がっており、影浦が扉に手をかけると、出来た隙間からもくもくと煙が漏れた。影浦は扉の内を示して、言う。
「着いたぞ。入れ」
「……なに? ここ」
 自身の記憶を辿ってみると、その雰囲気はかつて迅に連れて行ってもらったことがある「ラーメン屋」というのに近い。ただ、「ラーメン屋」が湯気で満たされていたのに対し、こちらは煙で満たされているようだ。煙でいっぱいの店は、遊真の経験にはなかった。
 ただ、煙と混ざって、なんとも香ばしい匂いが漂っていた。だから、遊真の問いは警戒ではなく、好奇心が多くを占めている。遅まきながら身体も空腹を訴え始めていた。
 道中遊真の疑問に答えなかった影浦は、ここにきてあっさりと解を与える。
「見りゃ分かんだろ、お好み焼き屋だよ。んで、」
 ほとんど頭二つ分高い位置から遊真を見下ろして、影浦は言う。
「一応、俺ん家だ」
「へえ……」
 どうやら、気づかぬ間に自宅に招待されてしまったらしい。
 ぼんやり建物を見上げてしまう遊真をよそに、影浦はさっさと扉をくぐっていってしまう。
「オイ、何ぼさっと突っ立ってんだよ」
 それどころか、遊真に早く入るよう急かすので、遊真も影浦の後をついて引き戸をくぐった。
 中は、思った以上に賑やかだった。店内は簡素な間仕切りで区切られたスペースがいくつもあり、たくさんの人がその中で談笑している。煙の出どころはスペースの中、テーブルの上の鉄板のようだ。鉄板の上の「なにか」を、不思議な形の小さな板のような、棒のようなもので切り分けては、次々に口に運んでいる。
 そして、入った途端、視線がこちらに集まってくるのが遊真にも分かった。
「おぉ雅人くん、今日は帰ってきたのか」
「おかえりー。お、そっちの子は友達か? 珍しいな」
 声をかけてきたのは、どうやら店の客のようだった。集まる視線を明らかに鬱陶しそうにしながら、特に声に返事をすることもなく、影浦は勝手知ったる様子で空いていたスペースに遊真を通す。ほとんど無視された客たちは、それを気にする風でもなく、再び自分たちの会話へ戻っていく。
 不思議な空間だった。覚えはある。父親がまだ生きていたころ、たまに連れて行ってもらっていた酒場に雰囲気が似ていた。
 酒に酔った父の顔見知り達が、自分が父親の子と知って親しげに話しかけてくるのだ。父はそんな顔見知り達を適当にあしらったり、ときに親しく話し込んだりもしていた。
 ここは、その酒場に空気がよく似ていた。なにもひとつの国だけでなく、どこの国にも似たような施設があった。たぶんこの世界もそうで、見た目は異なるが、この建物がその酒場に相当する施設なのだろう。実際、客たちの前には酒と思しき液体に満たされた大きなグラスがいくつも並んでいる。
 影浦は通路を歩き回っていた、影浦と似た面差しの人物――おそらく、影浦の家族だろう――に二言三言話すと、大きな薄い板のようなものを持って戻ってきた。そして、それを遊真に向かって突き出す。
「おら、メニュー」
 手に取った薄い板には、この店で出していると思われる食べ物が一覧になって並んでいた。
 ときおり遊真には分からない漢字も混ざっていたが、横に写真が付いているので、何を示しているのかはなんとなくわかる。
「ふむ、いっぱいあるな。どれがうまいの?」
「知らねーよ。てめーが好きなの選べ」
 遊真の問いに、影浦の答えは取り付く島もない。
 言われて、メニューの写真をとっくりと眺めてみる。
 ぶた玉。いか玉。もちチーズ。
 遊真の目には、そのどれもが旨そうに映る。腹が減っているからなおさらだ。
「ふむ……。このいか玉っていうのもうまそうだし、ぶた玉とやらもうまそうだ。迷うな……」
「…………」
 うーむ、と悩み続ける遊真に、影浦が呆れたようにため息をつく。そして、
「空閑おまえ、食えないもんは」
「……? べつにないけど」
「ふうん」
 影浦は遊真の答えを聞くなり、店の奥に向かって声を張り上げた。
「おい! デラックス一つくれ」
「……でらっくす?」
 知らない言葉だ。遊真は首を捻る。
 一方、影浦に対し間髪入れずに返ってきたのは「自分で作りな!」という怒鳴り声だった。舌打ちする影浦。
「チッ、めんどくせーな……ちょっと待ってろ」
 頭を掻いて立ち上がると、影浦は店の奥に消える。その間に、最初に影浦が声を掛けていた家族と思しき人物がテーブルに水の入ったコップを二つ置いて行った。思いなしか、面白がるような表情をしていた気がするが、特に何かを言うこともなくテーブルを離れていく。
 しばらくして、影浦が戻ってきた。手に二つボウルを持っている。
 一つは豚肉が乗ったボウル――おそらくそれがぶた玉、とやらだろう。
 そしてもう一つは、――ぶた玉とはそもそもボウルの大きさすら異なっていた。ぶた玉より一回り大きい器に、さまざまな具がふんだんに盛り付けられている。豚肉も乗っていれば、いかも、チーズも。
 影浦は豚のほうは自分の手元に置き、大きいほうは遊真の目の前に置いた。
「ほう……これが「でらっくす」か」
「迷うなら全部食えよ、めんどくせーから」
「なるほど、その手があったか。……で、かげうら先輩。これ、どうやって作んの?」
 ボウルと、メニューの写真は見た目が違う。どうすればこのボウルの中身が写真のようになるのか、遊真には分からなかった。
 尋ねると、影浦が胡乱な目でこちらを見てくる。
「アァ? おまえ、知らねーのかよ」
「知らないもなにも、見るのも食べるのも初めてだよ」
「マジか」
「“外国暮らし”が長かったもんでね」
「ふーん……?」
 影浦は一瞬、何か引っかかるような顔つきになったが、それ以上追及することはなかった。
 正式にボーダー隊員になった後も、遊真は自身が近界民であることを周囲に明かしていない。そのことを知っているのは、玉狛支部の隊員と、上層部の偉い人たち。あとは木虎と、時枝、嵐山、三輪隊、あと会議にいたから風間。他にもいるのかもしれないが、少なくとも自分で分かる範囲ではそのくらいだった。
 近界民を嫌う隊員が多い以上、その近界民を組織に引き入れていることはあまりおおっぴらにしないほうがよい。上層部や、玉狛支部の人たちが、そう判断した。だから遊真もそれに従っている。
 影浦や村上など、遊真が親しくしている隊員が近界民についてどう思っているか、遊真には分からない。ただ、「こちらの世界」の人たちが近界民を憎むのは仕方がないことだと思う。だから、もし遊真が近界民と知られ、騙したと思われても。嫌われてしまったとしても。それも仕方のないことだと、遊真はどこかで割り切っていた。
 影浦は、テーブルの上にあった、例の「不思議な形の小さな板のような、棒のようなもの」を手に取った。へら、というのだそうだ。
「……しゃーねーな。ほら、見てろ」
 影浦はまず、テーブルの横を何やら操作してから、鉄板に油を引いた。遊真のボウルの上に乗っていた具を一旦更に避難させ、ボウルの中身をかき混ぜる。
 そして、混ぜたボウルの中身を鉄板に引いて、焼き始めた。じゅう、と油の焼ける音がした。
 丸く整えた生地の上に、今度は一度避難させた具を乗せていく。無駄がない動きだった。「見てろ」と言われた遊真はそれを学習するべく目に焼き付ける。
 遊真の「お好み焼き」を焼いている間に、影浦は自分の分も用意し始める。やはり遊真はそれを眺めていた。
 しばらく経つと、生地の色が少し変わってくる。どうやら鉄板に接している面が固まってきているようだった。影浦はそれをへらを使って確かめると、おもむろに両手にへらを持って生地の下に差し込み、くるり、と生地を裏返した。鮮やかなものだった。それは、レイジがパンケーキを焼いている手つきにもひけを取らない。おお、と思わず遊真は歓声を上げていた。
 何度か生地をひっくり返したりしながら、生地を焼いていく。この店に入ったときと同じ、香ばしい匂いと煙が、狼煙のように鉄板から立ちのぼる。
 生地は完全に焼けたらしい。影浦は今度は机にあった調味料――これは知っている。「ソース」と「マヨネーズ」だ――、そのうち、ソースを生地に塗り付け、マヨネーズは生地の上に絞り出す。その上に、――これも知っている――「かつおぶし」と、「青のり」をばさりとふりかけた。影浦はへらを一本、遊真に渡すと、「あとは自分でやれ。食うだけならできんだろ」とつっけんどんに告げ、自分の手元で焼けているもう一つの生地に視線を移す。「もう自分の仕事は終わった」と言うように。
 周りの客の様子を見ていたから、ここから先どうすればよいのか、遊真にも分かった。
 遊真は渡されたへらで完成した「お好み焼き」を切り分けると、それを取り分ける皿に移す。箸――はまだうまく使えないので結局もうひと手間、フォークを持ってきてもらう羽目になったが、どうにかそれを口に運ぶ。
 さきほどまで鉄板の上にいたから当たり前だが、「お好み焼き」はとても熱かった。表面はかりかり、さくさくとしていて、油でこんがり焼けた具材と、ちょっと焦げたソースの香りが、口いっぱいに広がる。でも、中はふかふかだ。
 とても、旨い。ものすごく旨い。遊真はそれを素直に口に出した。
「おお……! これ、うまいね」
「そーかよ。おまえ、荒船と気が合いそうだな」
 目を輝かせる遊真に対し、さすがに実家なだけあって、影浦の態度は素っ気ない。
 むしろ、知っている名前が出てきて遊真が驚いた。
「あらふね先輩? なんで?」
「あいつ、ここの常連だからな。今日はいねーみてーだが」
 影浦は事もなげに言う。
 荒船は、遊真が2回目のランク戦で対戦した、荒船隊の隊長である。狙撃手だが、元攻撃手で、弧月を用いることもある。
 そういえば、村上と知り合ったのも荒船を通じてであった。影浦とはその村上を通じて知り合ったのだし、思い返すと初めて影浦に会ったとき、影浦は自分を「鋼と荒船が負けたヤツ」と称した。三人はお互い既知の間柄なのだろう。
「ふむ、そうなのか。おれもまた来よう」
「……勝手にしろや」
「オサムとチカも連れてくるよ」
「そりゃ、ウチの親は大喜びだろうよ。おら、焦げるからさっさと食いやがれ」
「うん」
 もう一切れ、「お好み焼き」をほおばる。やはり美味だった。
「うまい。作ってくれてありがとう、かげうら先輩」
「……どーいたしまして」
 感謝を込めて遊真は頭を下げる。影浦の返事はぶっきらぼうだったが、遊真の見る限り、決して不愉快そうではなかった、と思う。
 ……遊真はその日、お好み焼きをごちそうになった。
 もちろん遊真はおカネを払うと申し出たのだが、当の影浦自身がそれを拒否したのだ。「今日はいい。が、次来たときは払えよ」、そう言って。
 その中には、遊真を遅くまで付き合わせてしまったせいで遊真が食事にありつけなかったという罪悪感もあったのかもしれない。しかし遊真は気づかなかったし、影浦も説明することはなかった。仮に影浦がそれを指摘されても、おそらく否定しただろう。
 この日の思い出は、遊真の記憶の中にお好み焼きの味・匂いとともに刻まれることとなる。

・・・

「……ということがありまして」
「そうなのか。影浦先輩と……」
 翌日。玉狛支部で、修は昨日の顛末を聞いた。
 遊真が時間を忘れることはいつものことだが、修が付き添いで行っていることが多いので、食事を食べ損ねる回数は実はそれほど多くはない。だから、昨日は結局どうしたのだろうかと、少し心配していたのだ。
 しかしそれは思い過ごしであったようだ。個人ランク戦をしているのであれば、当然相手がいるわけで。戦いのあと、食事にでも行くか、となってもなんらおかしくはない。先日の対戦相手であったはずの影浦といつの間に仲良くなったのかと、少々意外に思いはしたが。
「今度はオサムとチカとしおりちゃんも一緒に行こうぜ」
「あ、ああ、そうだな。何なら先輩たちも一緒に……」
 そのとき、遊真のポケットの中で、何かが震える音がした。言うまでもなく、遊真のスマートフォンである。
 遊真はポケットから玉狛支部のマークが入ったスマートフォンを取り出すと、その表示を見て声を上げた。
「メール……お、かげうら先輩からだ」
 そのまま、遊真はメールを開いて読み始める。
「なになに……「今荒船と鋼がウチに来てる。ヒマならお前も来い」だって。……行って来ようかな。ヒマだし」
「そうか」
「オサムも来るか?」
「……いや、ぼくはいいよ。やること残ってるし、呼ばれたのは空閑だろ。今度、千佳や宇佐美先輩たちと一緒に行こう」
「そうか、んじゃ行ってくる」
「ああ」
 軽やかな足取りで駆けていく遊真を見送って、楽しそうだな、と修は思った。
 どうやら今日も、鉄板に戦の狼煙が上がるらしい。

(おわり)

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遊真には色んな美味しいものを食べてもらいたい。
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