箱庭通信 ※ランク戦期間中のどこか |
こち、こち、こち、こち。 ぴ、ぴ、ぽ。 かり、かり、かち。 時計の針が回る硬い音と、軽快な電子音。そしてマウスのホイールとクリックの音が静かな室内で交差する。 ダイニングテーブルを囲み斜向かいに腰掛ける二人の少年。一人は黒髪で、銀縁の眼鏡をかけており、机の上のノートタイプのPC端末の画面を目で追っている。もう一人の少年は眼鏡の少年とは対照に真っ白な髪、幼い顔つきをしており、小型の機械を片手に悪戦苦闘していた。 テーブルの上に放置されたジュースの中で、氷が揺れる。 結局勝敗は白い髪の少年の負けで片が付いたらしく、少年はあっさり白旗を揚げた様子で眼鏡の少年に助けを求めた。救援たる眼鏡の少年は相手の手元を覗き込むと機械を指でさしながら二言三言口にして視線を再び画面に戻す。それで伝わったのか、白い髪の少年は何度か頷くと機械とのリベンジマッチに挑み始めた。 ぽ、ぱ、ぴ。 かち、かちり。 音が繰り返される。 開け放たれた窓。柔らかな春風に揺れるカーテンの隙間からは、さわやかな青空がのぞいていた。 言うまでもなく、眼鏡の少年はボーダー玉狛支部に所属するチーム「玉狛第二」の隊長である三雲修であり、白い髪の少年は彼のチームメイト兼友人の空閑遊真。そして空閑少年がいまのところ惨敗を喫している相手とは人々が「携帯電話」、あるいは「スマートフォン」と呼んでいる通信端末であり、三雲少年が読んでいたのはその説明書であった。 玉狛支部、とある昼下がりの出来事である。 時刻は、少し前に遡る。 エレベーターの稼働音が停止すると共にベルが鳴り、扉が開く。そうして姿を現したのは、あまりその場所で見かけることのない人物だった。 「よう。二人とも、ここにいたのか」 「おっ、ボス」 「林藤支部長、こんにちは」 「今日は千佳はいないんだな」 人物――二人が所属するボーダー玉狛支部の長である林藤匠は、軽く手を上げて挨拶し、二人が今いる地下の作戦室をぐるりと見渡すと、いつもならいるはずのもう一人のメンバーの名前を疑問と共に口にした。 修は頷くことでそれを肯定する。 「はい。合同訓練で本部に行ってます」 「あー。そういやそうだったな」 林藤は納得した顔で咥えた煙草を上下させた。 狙撃手の場合、B級であるためには定期的に本部の訓練に参加し、一定の結果を残さなければならない。それは「玉狛第二」のもう一人のメンバーにして狙撃手、雨取千佳とて例外ではなかった。 「チカになんか用事?」 首を傾げる遊真に林藤はあっさりと首を横に振ってみせた。 「いや? 用があるのはおまえだよ、遊真」 「ほう」 「空閑に……?」 思わず修は身を固くする。遊真はそこまでではないが、真意を探る目つきになった。 今までの経験上、遊真に対する「用事」は大抵の場合、組織の機密に事項に触れるようなあれやこれやそれだったものだから、それも仕方のないことと言えよう。 そんな二人の様子を見て林藤は失笑した。 「いや待て待て、身構えるな。今日はそんな堅苦しいやつじゃない」 言いつつ、林藤は提げていた紙袋を遊真に差し出した。 「ほれ。おまえにプレゼント」 「ふむ?」 紙袋を受け取った遊真は端の部分を両手で持って中を覗き込む。 袋の大きさは中くらい。白の無地に、修も知っている携帯キャリアのロゴが印刷されている。それで修にはおおよそ中身の見当がついた。 一方、中を覗いただけでは分からなかったらしい遊真は袋に手を突っ込むと中身を引っ張り出す。 中身は小さな紙の本と、一枚の紙。そしてB4ほどの大きさの箱。紙に印刷されていた写真を見てはじめて遊真は「プレゼント」の正体を理解したようだった。 「おお、これ見たことあるな。すまほ、だっけ」 「支部長。これは……?」 「修か千佳と大体一緒っつっても、やっぱ個別の連絡手段がないとなにかと不便だろ。手続きも全部済ませてあるからすぐに使えるはずだ」 開けていいぞと許可をもらった遊真がいそいそと箱を開封する。 ダンボールの梱包材の中にすっぽりと収まっている「それ」に遊真は興味津々という顔をした。 「これはりっぱなものを……。おれがもらっちゃっていいの?」 「プレゼントっつったろー。利用料金の方もボーダーで補助金が出るから気にしなくていい」 隊員同士の連絡には携帯電話を使うことが多い。個人的に集まって作戦会議をしたり、生身での作戦行動の際など。そのため、正隊員には通信費補助が出る。それは修も知っていることだった。 携帯電話の箱を胸に抱え、遊真は林藤にぺこりと頭を下げた。 「ふむ、そうか。ボスありがとう」 「どういたしまして。まあボーダーとしても、おまえとは常に連絡が取れる状況にしておきたいからな。遠慮なく使ってくれ」 けらけらと笑った林藤は修に向き直る。 「つーわけで修」 「はい」 「俺はこれからまた別件で出かけるから、説明とか細かい設定なんかはおまえに任せる」 「あ、はい。分かりました」 「どうぞよろしく」 律儀にも遊真は今度は修に頭を下げる。 そんな様子を微笑ましげな目で見た林藤はくるりと二人に背を向けた。 「じゃあな、俺はもう出る。後よろしく〜」 「行ってらっしゃい、ボス」 「お気を付けて」 ひらひらと手を振って再びエレベーターに乗り込む林藤を見送った二人は、机上に乱雑に積まれていた書類を片付け、地上のダイニングに場所を移した。 遊真がジュースの準備をしてくれている間に修は携帯を起動し、初期設定を行った。 予め充電はされていたのか、林藤の言うとおり本当にすぐ使える状態であった。 そして戻って来た遊真に「携帯電話」のなんたるか、また機能の一つ一つとその使い方を手ほどきし、――今に至る。 時計の針は、おやつの時間を示していた。休憩がてら支部に常時ストックされている菓子をつまみながら遊真は渋面で唸る。 「デンワと、メール……なかなかむずかしいですな。一回で覚えられる気がしないぞ」 「まあ、ぼくでも千佳でも先輩たちでも、分からなかったらそのとき訊けばいいさ」 「ふむ……。ニホンジンはみんなこれを使いこなしてるんだな、なかなか侮れん」 実際、ある程度使いこなしているからこそ、説明するのにも相当苦労した。 修からすれば「電話」自体生まれたころから存在し、当たり前に使いこなしてきたものだから、個人用の携帯電話を与えられたときもさほど苦労した覚えがない。 ……ただし、修の携帯は遊真のものとは異なり、俗に「ガラパゴス」と呼ばれるタイプのものだったため、少々操作に難儀したが。 だが一方の遊真はろくに馴染みがなく、修にとっては自明のことであっても一つ一つ説明していかなければならない。しかも遊真が苦手としている漢字も多く使用されていたためなおさらだった。 「要は慣れだよ。空閑がトリガーを使いこなしてるのと同じだ」 「ふーん……そんなもんか」 「そんなもんだ。一応、おさらいしとくか?」 「おう」 菓子で汚れてしまった手を洗ってきた遊真は再び携帯電話を手に取る。 「デンワ……それぞれのデンワに割り振られてる「デンワバンゴウ」にかける。あとはあらかじめ相手のデンワバンゴウを登録しておけば、すぐにデンワをかけられる」 一度修の携帯電話を鳴らしてみて、うむとひとつ頷く遊真。 「あと、メールだな。手紙が便利になったような感じのやつで、文章を相手の「メールアドレス」に送る。……あれ?」 釈然としない、という表情を浮かべた遊真が不意に首をひねった。 「どうした?」 「デンワがデンワバンゴウで、メールがメールアドレス、だろ? どっちかに統一しちゃえばいいじゃん」 「ああ……まあそうだな。一応、電話番号でメールを送ることも出来るけど……」 「ふむ、初耳だな」 「悪い、説明を忘れてた。もしかするとこっちの方が空閑にはやりやすいかもしれないな」 遊真から一旦携帯電話を受け取り、遊真にも画面が見えるようにして修は順序立てて「ショートメール」の説明をした。遊真が長文を送って寄越すイメージは全くないため、メールはこれだけで十分だったかもしれないと話しながら思う。 再びためしに修の携帯電話にショートメールを送ってみて、遊真はやはりふんふんと頷いた。どうやらこちらも彼の中で得心が行ったらしい。 「ふーん、なるほど……ついでに、ほかにできることって何かないの?」 「え? ああ、そうだな……うーん、カメラとか」 「ふむ、かめら」 遊真がオウム返しにつぶやく。 「ああ。簡単に言えば目の前の光景を映して、保存できる機能だ」 「ほう」 「ぼくがやってみせるから、見ててくれ」 再び遊真から携帯電話を借り受け、修は操作をする。遊真が練習している間説明書を熟読していたこともあり、遊真の携帯電話のことは既にだいたい把握していた。 メニュー画面を呼び出し、リスト表示されるメニューの中から「カメラ」を選択。背面についているレンズが光景を映しているのだと教える。 「……で、このボタンを押すと、撮影ができる」 「おお〜、すごいな」 「ためしにやってみろ」 一旦待ち受け画面まで戻し、携帯電話を遊真に戻す。 何度目か携帯電話を手にした遊真がたどたどしい手つきでカメラ画面を立ち上げる。 てっきりダイニングの適当な風景でも撮影するのだと思っていたら、どういうわけか遊真はレンズを修に向けた。 ――ぴろりん、と間の抜けた音がダイニングに響いた。 おそらく、携帯電話の画面には修の間抜け面が収まったことだろう。 「……おい」 「……お、ぼやけた。もう一回だな」 冷や汗をかく修をよそに遊真はむっと唇を突き出す。不満げな表情。携帯電話を持つ手は動かない。依然レンズは修に向けられたままだ。 ぴろりん、ぴろりん、ぴろりん。ぴろりん。 何度も携帯電話特有のシャッター音が修に向かって放たれ、何度目かでとうとう限界がきた修はレンズに向かって掌を突き出した。 「こら、やめろ。そんなに連続で撮る必要ないだろ!」 「練習だよ、練習。……で、このシャシンは何に使うんだ?」 「自分で持っておくか、メールに付けて誰かに送るか――おい空閑、送るなよ!」 早速とばかりに携帯を操作し始める遊真を慌てて止めると、遊真はつまらなそうに唇をとがらせる。 「なんだ、チカに送ってやろうと思ったのにな。それじゃ、しおりちゃんに――」 「あーもう、人の写真をオモチャにするな!」 ぎゃあぎゃあ、と騒ぐ二人。 テーブルにほったらかしにされたジュースは、中の氷が溶け出し、修と同じに汗をかいていた。 まるで、いつになったら飲みきってもらえるのかなあ、とでも言いたげに。 「はあ……空閑のやつ、遊ぶだけ遊んでいなくなったな……」 玉狛支部の修の私室。積み上がった書類の前で修はテーブルに突っ伏した。 カメラ、電話その他もろもろで修を振り回すだけ振り回した遊真は、一通りの操作を覚えて満足すると、「個人ランク戦をしに行く」と言ってさっさと本部に行ってしまった。 そして残された修は膨大な書類と格闘しているという次第だ。 遊真の課題の一つに「個人の力をさらに磨く」があり、試合相手の情報収集・分析は修の仕事だ。だから特に文句を言う筋合いはないのだけれども。……だけれども。 ふう、と溜息をひとつ吐く。 ――レプリカさえいれば。 そう、まさか知り合い全員にレプリカの分身を配って回る訳にもいかないだろうから、いつかは遊真も携帯を持ったかもしれないが。レプリカとの離別がその時期を早めたことは確かだ。 そして、その責任の一端は、修にある。 遊真の行動に文句をつける権利などそもそも、あるわけがない。 不意にテーブルの上で修の携帯が震え、暗い思考に陥りそうになった修の意識は現実に引き戻された。 メールの着信だ。送信主は、先ほどまで思考に上っていた人物、空閑遊真本人だった。 本部でなにかあったのかと思い、急いでメール本文を見るも、どういうわけか本文に何も書かれていない。タイトル欄も空っぽだ。代わりに、一つの画像が添付されていた。 添付ファイルをクリックし、画像を展開する。 「……!」 修の目の前に広がったのは、笑顔。 どうやら狙撃訓練場に顔を出したらしい。遊真と、千佳と、千佳と親しい狙撃手仲間の夏目が顔を寄せて笑っている。 楽しげな風景に思わず見入った修の携帯が再び震える。 今度は電話の着信。発信者の名前は言うまでもなかった。 通話ボタンを押すと、『ようオサム。おれだおれ』と聞き慣れた声が耳朶を打った。 『やっぱり「メール」というやつはむずかしいな。こっちのほうが話しやすい』 「…………はは、そうだな」 いかにも楽しげに、遊真の声は弾んでいる。 修は、さきほどの陰鬱とした考えが綺麗に吹き飛ぶのを感じた。 レプリカを失ったことを今更どうこう言っても帰ってくるわけではない。 今、やるべきことをやるしかないのだ。ただ、上へ。 遠征部隊へ。 「……空閑。頑張ろうな」 『……? おう』 電話の向こうで疑問符を浮かべているだろう遊真を考えると、少し面白かった。 修は携帯を握る手に力を込め、顔を上げる。 窓の向こうには、夕日色に染まった街が広がっていた。 (おわり) - - - - - - - - - - BD/DVD1巻ドラマCDで遊真が携帯を持っているようなシーンがあったので。 当初はガラケーを想定して書いていたのですが、原作123話を受けて書き直しました。 書き直す前はこちら。 ちなみに自撮りではなく、居合わせた絵馬くんが写真を撮ってくれました。 |