月夜に吠える
※とりまると小南が普通にお付き合いしています。
※直接的ではありませんが若干性を匂わす描写がありますのでご注意を。







 10月31日は、言うまでもなくハロウィンである。
 陽太郎というおこさまを擁するここ玉狛支部では、毎年この日には簡単なパーティーが行われている。らしい。
 と言っても、一昨年この支部にやってきた烏丸は去年以前のパーティーがどのようなものだったかを知らない。
 知っているのは毎年レイジが凝ったジャック・オー・ランタンを自作しているらしいこと。そしてくり抜いたカボチャでパンプキンパイを焼くこと。去年は林藤支部長が無理矢理コスプレをさせられて(というのは本人の弁だが傍目にはどう見てもノリノリだった)、ヴァンパイアの格好をしていたこと。ついでに烏丸もその巻き添えを食らい、一緒にコスプレをさせられたこと。その程度だ。
 今年のハロウィンは去年と違い、新人が三人も増えた。しかもそのうち二人は見た目小学生にしか見えないものだから、陽太郎によって「ハロウィンなかま」に引き込まれるのは必然だった。修はその様子にひたすら汗をかきつつ見守っていたが、とりあえずパーティー帽を被せられている。余ったので烏丸も被らされている。
「とりまる先輩、とりっく・おあ・とりーと」
 修がレイジを手伝っているのでキッチンは飽和状態。部屋の飾り付けが終わったあとは大人しく壁の花になっている烏丸のもとへ、シーツおばけになっている遊真が駆け寄ってきてそう言った。舌足らずな発音。多分英語の意味を解してはいない。
 烏丸は上着のポケットから小袋の飴を取り出した。こうなることは分かっていたのであらかじめ仕込んでおいたのだ。もとはといえば、バイト先のおばちゃんに大袋でもらったものである。
 言うだけ言って満足している風な遊真に手を出させ、飴をその上に置いた。赤い水玉模様の個包装がころんと転がる。
「これは、おれがもらっていいの?」
 シーツの穴からのぞく、水玉模様よりも真っ赤な目がもの問いたげに烏丸を見る。烏丸は首肯してみせた。
「そういうもんだ。逆に菓子がもらえなかったらいたずらしていい」
「ほう……ニホンの文化は面白いですな」
「いやこれは日本じゃなくて、外国の文化」
「なんと」
「あとクリスマスとかもだな。ああいうのは全部、余所の国からやってきたやつだ」
「ふむ、そうなのか」
 不思議そうに手のひらを眺める遊真を後目に、烏丸は壁にかけられている時計に目をやった。時間は十九時を回っている。
「こなみ先輩、来ないね」
 あ、しおりちゃんもか。取って付けたようにそう付け加える遊真は訳知り顔でにやにやしていた。ぎくりとする。遊真は姿こそ小学生にしか見えないが、中身は十六歳。しかも生育環境が生育環境なものだから、そういうところが非常にオープンだ。烏丸はそこまで開放的にはなれないので、無言のまま頷くくらいしか出来ない。
 10月31日。ハロウィンパーティー。烏丸にとって、それはそれ以上の意味を持っていた。
 ――小南が、支部にやってくる。

 小南と烏丸が正式に付き合い始めてから、もうしばらく経つ。だが、付き合いは順風満帆とはいかなかった。付き合ってみたらやっぱり違った、とかそういうやつではない。
 障害は、小南の受験であった。
 もともと、私立のお嬢様高校でもトップクラスの成績を修める小南である。ボーダーでは市内の大学にいくつかの推薦枠を持っていて、ほとんどの大学生隊員はそこに通っているが、小南はもっと都市部にある偏差値の高い大学を志望していた。それは宇佐美も同じであるらしい。
 自然、受験勉強に力が入り支部からは足が遠のきがちになる。二人ともボーダーの務めである防衛任務はしっかりとこなしてはいるものの、烏丸自身もアルバイトで忙しくしていることもありもっとプライベートな……はっきり言ってしまえば小南が烏丸と二人きりになる時間は夏辺りからめっきり減った。もちろん烏丸もそれを理解した上で付き合っている。だからそれについて特段文句があるわけではないのだが、やはり寂しい気持ちはあった。
 今日は、久々の息抜きと称して小南と宇佐美が泊まり込みで遊びに来る予定だ。だから烏丸はそれなりに……いやかなり期待していたりする。それに合わせて、今晩はバイトを入れていない。
 あたりになんとも言えぬ芳醇な香りが漂ってきていた。「お、できたか?」遊真がぱたぱたとキッチンへ走って行く。
 遊真に付いていく形でキッチンをのぞくと、そこはかわいらしい天国だった。
 湯気の立つ大量のポークソーセージを添えられて、かぼちゃ型・おばけ型に整えられたおにぎりが大皿の上に行儀良く並んでいる。おにぎりにはひとつひとつ海苔で顔がつけられているが、ときどき不格好な顔が混じっているのはどうやら陽太郎が手伝った結果らしい。
 魔女の格好をした千佳がTVヒーローのコスプレか甲冑を身に付けている陽太郎の手を拭いてやっているのを見て烏丸はそう推測する。(……まさかとは思うがコスプレはレイジが作ったのだろうか?)
 シーツをどこかへうっちゃって、つまみ食いをしようとこっそり皿に手を伸ばす遊真に「こら、みんなが揃ってからにしろ」と注意をしている修は、人数分の取り分け皿をテーブルに並べている。
 片手に唐揚げととんかつの載った大皿、そして今回の主役であろうパンプキンパイの載った皿を両手に掲げた、シェフであるところのレイジがぼけっと立ち尽くしている烏丸を見て、
「京介、冷蔵庫から飲み物を出してくれ」
「了解」
 大好物のとんかつに柄にもなく気分が高揚してくるのを感じながら、烏丸は冷蔵庫を開ける。……だが、思っていたよりも本数も量も少ない。この大所帯ではすぐに尽きてしまうだろう。
「あれレイジさん、飲み物少なくないすか」
「大丈夫だ。補充分は迅に買って帰ってくるよう連絡してある。ある分だけ出してやってくれ」
「分かりました」
 ありったけのジュースのペットボトルを抱えて烏丸テーブルに向かったとき、部屋の中の喧噪に混じって外から複数の話し声が聞こえた。まもなく、ダイニングの扉が開く。
「うぃ〜〜〜す」
「おつかれさま〜」
 腕にはジュースのペットボトルと酒類とおぼしき缶と乾き物、が大量に詰めこまれたビニール袋を腕にかけた迅がのんびりした調子で扉をくぐる。その後に続くのは学校から直接来たのか制服姿の宇佐美。そして。
「ちょっと、まだ食べ始めてないでしょうね!?」
 あいかわらずの騒がしさで飛び込んでくる、烏丸の待ち人だった。


 宴もたけなわとなり。今年成人した迅がレイジ・支部長と酒盛りし始めたあたりで烏丸はこっそり宴会場を抜け出した。パーティー帽を脱いで、向かったのは屋上である。
 レイジの特製料理を心ゆくまで味わったあとだ。冷たい空気が宴の温度で火照った身体に心地よい。雲一つ無い空には見事に半分に割れた月がぼんやり光っている。さきほどまでは喧噪の中心地にいたのに、一転して自然の静けさに心が鎮まっていくのを感じた。足下では今が盛りとばかりに大きな笑い声。
 その中でぎいい、と重たい扉の開く音がして、烏丸は待ち人の訪れを知った。
「小南先輩」
「ちょっとなんなのよとりまる、わざわざメールで呼び出したりして」
 待ち人――小南は携帯電話を振って少し不満げな表情。直接声を掛けると目立つかと考え、回りくどいかとは思いつつも小南にメールで連絡を取ったのだ。知ったからといって出歯亀をするような人たちではないのだけれど、やはり遊真のように開けっ広げには出来ない烏丸である。
「……すみません」
「別に謝んなくてもいいわよ。……で、何の用?」
 烏丸の横に小南が並ぶ。宇佐美にでもいじられたか、支部に到着したばかりのときはいつも通り背中に流されていた長い髪はかぼちゃの髪飾りに顔の横で括られて、胸の辺りに垂らされていた。晒け出された首筋が月光りに眩く光る。
 心臓が妙な動悸を起こす。が、鳥丸はそれを抑え込んだ。すでにがっついてしまいたい衝動は心の内にあったが、下手を打って嫌われたくはなかったのである。待ち合わせにどちらかの部屋を指定しなかったのもそういう理由だ。
「受験勉強、調子どうすか」
「順調よ。このままなら十分合格圏内だって」
「それは何よりです」
「なに、それが聞きたかったの」
「いや。最近、二人で話す時間がなかったと思って」
「電話はしてるじゃない」
「そりゃそうですけど」
 一歩。少しだけ、距離を詰めた。気配に鋭い小南は一瞬だけ怪訝な表情になったが、特に気にする様子もない。それに少しだけもの哀しくなる。
 小南は先ほどからちらちらと下を気にしている気配だ。彼氏であるはずの烏丸よりも、パーティーのほうが大切なのかと狭量な嫉妬を感じそうになる。
 それを紛らすようにもう一歩距離を詰めた。もともとそれほどの距離は開いていなかったので、腕と腕が触れあう。すり寄せるように手を握った。久しぶりに触れた手は風に冷やされたのか少し温度が低かった。
 烏丸より二回りは小さな手は、一瞬びくりとしたが抵抗はしなかった。
「なに」
「……小南先輩」
 少し不機嫌そうに見える小南の耳元へ、烏丸はそっと唇をよせた。
 そして、小さな可愛らしい耳へ、声を吹き込む。

「trick or treat」

 ――構ってくれなきゃ、いたずらしますよ。

 もちろん本来の意味は「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」なのは承知しているが、そういう意味で烏丸は言ったつもりだった。小南に伝わらないのは分かっている。これは小南がどういう反応を返そうと、自分は得をするずるい魔法の呪文だ。
 烏丸のすぐ横で小南が落ち着かなげにもぞもぞ身動きする。
「お菓子? お菓子ならさっき陽太郎にあげちゃったわよ」
「じゃあいたずらですね」
「えっ、……とりまるあんた、仮装なんてしてないじゃない」
「ああ、言ってませんでしたっけ。俺、実は本物の吸血鬼なんですよ」
「……な!? そうだったの!?」
 そういえば去年は吸血鬼の格好してたわよね……と相も変わらずいとも簡単に騙されてしまう小南。どんな言葉も疑うことをしない。自分たちが魔法顔負けな武器で戦っているのに魔法を信じてもいれば、おばけも宇宙人もいると信じている。そんなところが愛おしかったし、だからこそ、ちょっとからかってやりたくなる。
(――俺は好きな子をいじめる小学生か)
「はい。たまには血を吸わないと死にそうになるんすよ。というわけで、頂きます」
「ちょっ……」
 強引な理屈にもなっていない論で押し切って、誘われるように小南の首筋に鼻を近づけた。白く、なめらかな肌。花のような香り鼻腔をくすぐる。誰も踏み入れたことのない新雪に足跡を残したいような思いに駆られた。
 小南は烏丸の腕の中で大人しくしている。吸血鬼は噛んだものをも吸血鬼にしてしまうらしい。それを知っているのかいないのか、小南は今どんな気持ちでいるのだろう。
 烏丸は少しの思考ののち、その首筋に牙を立てることはやめて、代わりにべろりと舐めてやった。
「ぎゃっ……!」
 らしい悲鳴を上げる小南から、少しだけ身体を離す。烏丸は驚きに瞬かせている猫のような瞳を見つめて、
「すみません、嘘です」
「は……!?」
「俺は普通の人間です、吸血鬼とかじゃないですよ」
「……!? また騙したの!?」
「すいません」
「こうなったらこっちもやってやるわ! trick or treat!」
「ありますよ、菓子」
 さあいたずらさせろとばかりにふんぞり返っている小南の手に、ポケットから出した飴を見せてやると途端にしょぼくれた。いたずらしろ、と言ったら小南が何をしたか、それも気になるところであったが、仕方がない。
 ふてくされたように手を突き出す小南の手を無視して、烏丸は自分で飴の個包装を剥いた。遊真にやったものと同じ、赤い水玉の個包装からは、赤というよりは濃い桃色のあめ玉が一つ。それを烏丸は自ら口に含んだ。
 そして、そのまま口づける。
「――んっ!?」
 舌で歯をつついて口を開けさせ、あめ玉をやりとりする。あめ玉が口の中で溶けきるころには小南の息は上がっていた。やりすぎたか、と思いつつも唇を離し、その細い身体を抱きしめる。小南が恨めしげな目で烏丸を見た。本人は睨んでいるつもりだろうが頬が紅潮しているのであまり迫力はない。
「ちょっと、なんなのよ今日は……ずいぶんしつこくない?」
「……すいません。でも、最後に二人きりになったの、先月すよ」
「……もしかしてあんた、さみしかったの」
 小南が烏丸の上着の裾を握ったのをいいことに腕の力を少しだけ強める。
「当たり前でしょ。俺だって人間ですよ。カノジョに逢えなきゃさみしくもなります」
「あっそ!」
 自棄になったかのように、小南の身体から力が抜けた。

 そのまま、どれほどの時間が経ったか。小南が不意に腕を突っ張った。
「そろそろ離して、みんなに怪しまれる」
 先ほどから少々調子に乗りすぎた自覚はあったので、すぐに解放してやる。ただ、それでもまだ満たされない気持ちが胸の内でくすぶっていた。
 繰り返すようだが、久しぶりの逢瀬だったのである。お互いに忙しい以上文句を言える筋合いではないのは分かっている。ただ、せっかくの夜がもう終いかと思うと残念で仕方がない。
 それは鉄面皮と称される自分の顔面にもにじみ出るほどのものだったのか、小南も少し呆れた表情をしている。
「そんな顔しないでよ。……後であんたの部屋行くから!」
 言うなり、小南は屋上の出入り口に向かって駆け出す。
 烏丸の思考は停止した。
 ――今。なんと言った?
「……え」
 思わず小南を目で追いかける。屋上の扉に手をかけた小南は、
「さみしかったのはあんただけじゃないってことよ!」
 そう叫ぶように言い置いて、勢いよく閉まるドアを見送る自分はどんな表情をしていたか。
 静けさが帰ってきた屋上のへりにすとんと腰を落とし、烏丸は片手で顔を覆った。
 ――嬉しい。どうしたらいいのか分からない。
 小南の言うとおり、さみしいのは自分だけだと思っていた。一方的にこちらが好きなだけだと思っていた節もある。そうではなかったことが、嬉しくてたまらない。空気は冷えているのに、体温はじわじわと上がっていく。
 足下からわっと歓声が上がった。小南が戻ったか、あるいは他のやつらが何かしでかしたか。
(そろそろ俺も戻らないとな)
 これが本番だと思っていた。だが、本当の本番はこれから。いつまでもこうしてはいられない。
 ふうとひとつ息を吐き。烏丸は縁に置きっ放しになっていたパーティー帽を手に取った。楽しみは小南とのひとときだけではない。
 再び喧噪のなかへ戻るべく、小南と同じように出入り口のノブに手をかけた烏丸は、ふと空を振り仰いだ。半円状の月が猫の目のように妖しく光っている。
(後で部屋のカーテンは閉めておこう)
 小南の可愛い姿をこれ以上見せるわけにはいかない――たとえ月にでも。まるで獲物を隠す狼のような心地で烏丸はそう一人ごち、人工の灯りの中へ戻っていった。



(おわり)

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