the 4th day[7/21]

「以前、私が沙生先輩の家に行ったことがあるからと言って彼に住所を教えたことがあった。そこにはもうあなたはいなかったみたいだけど。勝手に教えてごめんなさいね」

マキタさんは微笑みを浮かべたまま、真っ直ぐに僕を見つめる。
サキが亡くなり、ルイがサキの子を妊娠したことを知った僕が家を飛び出した後、ミツキはこの研究室を訪ねていたのだ。どうにかして僕に辿り着くために。
マキタさんがミツキに協力してくれたことを、意外に思う。彼女が僕に良い印象を持っているはずがなかったから。
彼女もまた、サキがこの世界からいなくなったことにとても心を痛め、深く哀しんだのだろう。サキの死は、この人にとっても辛く苦しいことだったに違いない。

「あなたの行方がわからないと聞いて心配したわ。私にもあなたの哀しみを想像することぐらいはできたから」

「僕のことを、気にかけてくれたんですか」

そう尋ねれば、彼女はそっと頷いた。かつて僕にとって、この人は苦手な存在だった。彼女はサキの恋人として望ましい立場にいて、そのことに僕は勝手に羨望と嫉妬を抱いていた。
今の彼女からは、あの頃感じた薔薇の棘のように尖った印象を受けない。

「当然でしょう。だって、私にとってあなたは同士だったから」

きっぱりとそう言い切って、マキタさんは過去を懐かしむかのように目を細めた。
不思議なことに、サキを失ったことで、僕たちは行き場のない想いを今になって共有することができる。
けれど、彼女は僕とは違う。サキの死を超えて、時間の流れにきちんと身を任せることができている。毅然とした態度が、それを感じさせる。
この人はルイと同じだ。
同じ人を愛した姉の存在を脳裏に浮かべながら僕は疑問に思う。
愛する人を失っても、前を向いて生きていく。どうすればそうすることができるのだろう。
僕だけが、いつまでもサキのいない虚ろな世界で時間を止めて立ち竦んでいる。

「もちろん、私だって哀しかったわ。沙生先輩のことが本当に大好きだったから。振られてからも、この研究室で同じ目的に向かうことに希望を抱いてた。どんな形でもあの人の傍にいれば、いつかは私のことを見てくれる日が来るんじゃないかと思ってたのよ。言い方は悪いけど、先輩が亡くなったことでようやく想いに踏ん切りがついたのかもしれない。だって、亡くなった人の心を動かすことはできないもの」

吹っ切れた顔をしてマキタさんはそう微笑んだ。彼女のことが羨ましいと素直に思う。
死者の心は動かせない。だとすれば、僕がサキに赦しを請うこともまた無理なのだろう。

「……サキは僕が殺したんです」

しんとした静寂の中、彼女は一瞬目を見開いてからゆっくりと細める。隣にいるミツキの表情は、僕からは見えない。けれど、彼女がミツキに目配せをするように視線を向けたのはわかった。

「私にはそう思えないけど、だとすれば本望じゃない? 沙生先輩はあなたを愛していたから」

彼女が放つ言葉はあまりにも意外なもので、僕は口を噤んでしまう。

「中へ入る?」

僕の意思を問う形ではあったけれど、その口調からは半ば強制の念が感じられた。彼女は研究室の白い扉を開けて僕を誘う。

「どうぞ」

ミツキが僕の肩をそっと押して促す。その足は止まったままだ。ミツキはここで待っている気のようだった。
僕は恐る恐る扉の内側に足を踏み入れる。部外者が出入りしてはいけないこの研究室に入ったのは、これが初めてではなかった。
蛍光灯が点灯し、室内が白い明かりに満ちていく。窓に降りたベージュのブラインドカーテンが、強い陽射しを和らげる。
壁を囲むようにガラスの戸棚が並ぶ。室内にあるのは黒い長机。プラスチックでできた大小の容器。ガラス製のビーカー。立てかけられた太いファイルの束。僕には使途のわからない繊細な質感の機械や器具。
一見乱雑に並んでいるけれど、それらが実は使いやすいように陳列されているというのを、聞いたことがあった。
奥の小さな一室で、実験用のマウスを飼っていることも知っている。
歩く度にカツカツと足音が耳に響く。そして、テーブルの片隅に置かれている、四角い箱状の物体の存在に気づいた。黒い布が被せられているのは、光を遮断するためだ。
その形状には見憶えがあった。隠された中身が何であるかを、僕は知っている。

「……プラナリア」

ぽつりとそうこぼせば、彼女は口角を上げて笑った。

「そうよ。あなたが苦手な生き物」



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