the 3rd day[17/17]

サキと同じ研究室に所属する女の人。名前は、確か。

「……マキタユウキさん」

「そんな名前だったかな」

自分から話を振っておきながら、ミツキは他人事のように口にする。言葉は交わしたものの、名前までは印象に残っていないのかもしれない。
あの人のことを思い出しながら、僕は秘密を打ち明けるようにそっとミツキに告げる。

「その人ね、サキのことが好きだったんだ」

懐かしい胸の痛みに目を閉じる。あの頃の僕は、異性という立場でサキの傍にいられるあの人に堪らなく嫉妬していた。

「だから、家も知ってたんだな」

「そうだね。僕は彼女とサキの家で会ったことがあるから」

僕が高校生の頃だ。ある夜、僕がサキの部屋へ行ったら、彼女と鉢合わせたことがあった。
同じ研究室の後輩だという彼女は、サキが部屋で飼育していたプラナリアを見にきたのだと言っていた。当時のサキは、プラナリアがとても好きで、研究対象としてではなく純粋に趣味として部屋の片隅に大きな水槽を置いていたのだ。
彼女がサキに好意を寄せていることは明らかだった。けれど当時、サキは彼女と付き合っていないと言っていた。その言葉を僕は信じたし、今となっては真偽を確かめようもない。
僕が大学に入学してからも、彼女と何度か顔を合わせたことがあった。けれど、サキと彼女の間に不穏な空気は流れておらず、いつも一定の距離を保っているように見えた。だから僕は、二人の間に男女の関係はなかったのだと解釈していた。

「彼女、アスカのことをすごく心配してた。だからアスカが大学に来てないことを話したら、すぐにアスカの家を教えてくれたんだ」

「あの人が?」

意外だった。けっして心配されるような関係ではない。サキの死は彼女に途轍もない衝撃を与えただろう。それにもかかわらず、僕のことを少しは案じてくれたのだろうか。
僕は、誰のことも思いやることができなかったのに。

「でも、アスカはあの女の人と仲がよかったってわけじゃなかったんだな」

不思議そうにそう言って、ミツキは僕を優しく抱き直す。心地よい温もりに、次第に微睡みが降りてくる。

「うん。だって、僕達はライバルだったんだ」

「そっか」

小さく笑う気配がした。使い古された言い回しだけど、彼女と僕の関係は、そう表現するのが最も適切だと思う。
そういえば、僕がまだサキに想いを告げる前、彼女と大学の構内で何か会話を交わしたことがあった。けれど、今その時のことを思い出そうとすると、頭の中に靄が掛かってしまう。
不鮮明な映像に割れたノイズが被さる。触れようとするのに、欠けた記憶は少しずつ遠ざかっていく。

「……アスカ」

耳元で名前を呼ばれて、僕は閉じていた目をうっすらと開く。灯りの消えた空間に、瞼の裏側で見えた景色が映し出される。
闇を走る閃光のような、捕らえどころのない筋。
流されていく記憶の糸を手繰り寄せることが、なぜかひどく難しい。

「アスカ。何があっても、お前のことが好きだ」

何度も聞いた告白なのに、耳にする度に鼓動が逸るのはなぜだろう。
ああ、眠くて堪らないんだ。
与えられる温もりに安堵しながら、僕は深い呼吸を繰り返す。掛け時計の秒針が、規則正しく時を刻んでいた。
不意に幼い声が脳裏に響く。

── 時計がグルグル反対に回ったら、天国にいる人に会えるんだって。

以前にミツキと過ごした四日間で、アユムくんが言っていた言葉だ。
そうだ、あの子はこの掛け時計で過去に戻ろうとしていたんだ。
もしも今、過去に戻れるとしたら。
僕は、どの時点を選ぶだろう。

「ミツキ……」

「どうした、アスカ」

微かな声しか出なくても、すぐに反応してくれる。僕がどれだけ遠くから呼ぼうと、ミツキは気づいてくれるだろう。どんな姿になっても、変わらずにこうして抱きしめてくれるだろう。
それは、今までに感じたことのない安らぎだった。
籠の中から放たれても、僕は空を目指そうとはしない。だって、行こうと思えばいつでも行ける。
だから、今はまだ行かない。
ゆらゆらと意識が波打ちながら薄れていく。夢の続きがどこに繋がっているのかを、僕は知らない。
それでも、いつかきっとそこへ辿り着く。

「……僕は、君のことを」

PLASTIC HEAVENで紡ごうとした言葉の続きを口にしようとした途端、時間が止まってしまったかのように、唇が動かなくなった。
そこで意識は途絶える。
世界の片隅で赦されない記憶に揺られながら、僕たちは優しい夜を過ごす。










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