the 3rd day[4/17]

僕たちの乗る車は高速道路を流れるように降りていく。窓の外を見ると、のどかな町並みが広がっていた。あちらこちらに見える瓦葺きの屋根が、烏の濡れ羽色に光る。
高い建物はひとつもなく、空がいつもより広く感じられた。何にも遮られない世界は、心細くなるほど明るい。
古い造りの家並みを眺めながら、僕はこの車が山の方へと向かって走っていることに気づいていた。
細い砂利道を登っていけば、やがて景色は鮮やかに広がる。強烈な既視感に、目眩がした。

──僕はここへ来たことがある。

「……ミツキ」

縋るように出した声に、ミツキは無言でそっと頷いた。僕の感じていることを、ミツキは理解しているのだろう。
川岸の砂利に車を停めて、僕達は外に出る。穏やかに吹く風はわずかに湿り気を帯びていた。
足裏に感じるゴツゴツとした石の硬さ。緩やかに流れるせせらぎの音。陽の光を反射して煌めく水面。
山々に囲まれた川の上流で、僕たちは並んで立ち竦んでいた。

「アスカ、座ろうか」

そう言ってミツキは腰を落とす。僕も覚束ない気持ちを抱えたまま隣に座り込んだ。離れた場所に幾つかの人影が見えるけれど、僕達の近くには誰もいなかった。

「きれいなところだな」

ミツキは初めてここへ来たのだというようなことを口にして、おもむろに僕の手に触れた。その力強さは、まるで僕をこの世界に留めようとしているかのようだ。
ぐらりと足元が揺らいだ感覚がした。世界は一瞬色を失い、そして鮮やかに蘇る。

ささやかに頬を撫でる風。初夏の世界を包む光は強く、汗ばむ陽気を感じる。

『海はいやよ、陽射しが強いから。日に焼けたくないの』

耳に飛び込んできた身も蓋もない台詞に、僕と沙生は顔を見合わせて苦笑する。

『潮風ってベタベタして嫌い。あとね、砂がいや。ざらざらするし、熱いし。サンダルに入っちゃうと、もう最低。だから、絶対に海へは行かない』

数ヶ月振りに実家へと顔を出した侑に向かって、矢継ぎ早にそんなことを言い切った後、彼女はつまらなそうに頬杖を突いて僕たちを見渡した。

『──だって。どうする?』

呆れたようにそう肩を竦めて、侑はこちらに、視線を投げ掛けてくる。
侑と沙生に、瑠衣と僕。隣家のリビングでそうして四人で顔を合わせるのは、随分久しぶりだった。
天気のいい週末を利用して、みんなで海にでも行こうか。そう提案してくれたのは年長者の侑だった。けれど、瑠衣はそれをあっさりと拒否して僕達を困らせていた。
不貞腐れた姉の顔は、それでもフランス人形のように愛らしく整っていて、つい見惚れてしまう。
形のよい大きな目は、いつだって強い意志を宿している。くっきりとした二重瞼に長い睫毛。スッと通った鼻筋に、艶やかな桜色の唇。緩やかなウェーブを描く髪は、動く度に軽やかに揺れる。
顔も性格も似ていないけれど、彼女は確かに僕と血の繋がった姉だった。

『瑠衣、せっかく侑が言ってくれてるのに』

僕が咎めたところで、彼女は堪えない。ただこちらを一瞥して、ツンと唇を尖らせるだけだ。

『それが何? だって、嫌なものは嫌なんだもん』

『まあ、飛鳥も僕も勉強があるしね』

沙生はそう言って幼馴染みの彼女をフォローしようとする。その優しさが姉に向けられていることに、僕の心は少しだけ疼く。
僕は大学受験を控えていると言うものの、まだ追い込まれるには早い時期だった。卒業論文と来春の院試を控えている沙生の方が、余程忙しいだろう。
たまには息抜きに外へ出ようと侑が誘ってくれたのに、いつもの我儘を発動させたのは瑠衣だった。

『……川ならいいわよ』

ぽつりとそう呟いた瑠衣は、誰とも視線を合わせまいとするかのように自分の指先を見つめていた。

『川なら、我慢する』

なんという言い種だろう。呆れてしまうけれど、瑠衣なりの妥協案に笑みがこぼれてくる。
少しの間、僕達は顔を見合わせる。最初に口を開いたのは侑だった。

『決まりだな。明日の朝は、ここへ集合だ』

僕たちは頷いて、明日の予定を決めていった。
瑠衣の外見は妖精みたいに可憐だけど、本当に我儘で、何でも自分の思いどおりにしようとする。付き合う相手も取っ替え引っ替えで、散々振り回してはあっさりと捨ててしまう。けれどそんな性格なのに誰も瑠衣を憎めないのは、それだけ魅力的な女の人だからだ。
彼女はただ、自分の思うままに生きているだけだ。そんな奔放な姉を僕はいつも羨ましく思う。



よく晴れた日曜日だ。澄み渡る青空にはところどころに雲が浮かんでいる。
陽射しの眩しさに目を細めながら、僕は瑠衣と共に家の外へと出た。
侑が乗って帰ってきた大きな4WDのボディはよく光っていて、一見しただけで丁寧に磨き上げられているとわかった。ボンネットにはプラチナのエンブレムが星のように輝く。
初めて見るこの車は、侑のセカンドカーなのだという。いつも乗っているお馴染みのイタリア車とは違うけれど、この美しい流線を描くフォルムもまた侑によく似合っていた。

『おはよう』

挨拶を交わしながら、僕たち四人は車庫の前で合流する。爽やかな陽気で、陽が高くなれば少し汗ばむぐらいの気候になるだろう。出掛けるにはちょうどいい日和だった。




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