the 2nd day[2/16]

「アスカ、おはよう!」

階段を降りてリビングの扉を入ると、トーストの香ばしい匂いが漂ってきた。アユムくんが椅子から立ち上がって跳ねるように駆け寄ってくる。

「おはよう。朝から元気だね」

そう声を掛ければ、アユムくんは満面の笑みで僕を見上げた。本当にかわいらしい子だと思う。くりくりと丸い目が映し出す僕の顔は、自然と微笑んでいた。

「一緒に食べようよ。ほら、アスカは俺の隣」

手を引かれるままダイニングへと行けば、テーブルには五人分の朝食が並んでいた。
トーストとベーコンエッグに添えられたグリーンのサラダ。おいしそうな料理は、光を反射して艶めいて見える。
朝はいつも食べないのに、目の前に並ぶ料理を見ているとなぜだか急にお腹が空いてくる感覚がした。

「飲み物は何がいい? コーヒーとオレンジジュースと、あとは牛乳ぐらいしかないんだけど」

ミツキのお母さんがキッチンから声を掛けてくれた。出された選択肢の中で飲みたいものを口にする。

「コーヒーをお願いします」

そう答えた途端、彼女は僕を見て優しく笑いかける。

「無理して食べなくても大丈夫よ」

「……え?」

「光希から聞いてるの。朝は食欲がないんでしょう。食べなくてもいいけれど、もしも食べられそうだったらどうぞ。残してもかまわないから、気兼ねなくね」

目の前に置かれたカップからは、ゆらりと湯気が立ち昇っていた。コーヒー豆の香ばしい匂いがする。押しつけがましくない言い方に、僕は彼女を見上げて礼を告げた。

「ありがとうございます。食べられそうなので、いただいてもいいですか」

「もちろん」

柔らかな微笑みに吊られるように僕も頬が緩んだ。眼差しに宿る光は美しく、どこかミツキのそれを彷彿とさせる。

「おはよう」

そう言ってリビングに入ってきたのはミツキだった。僕たちの顔を見渡して、慌てたように口を開く。

「ごめん、もしかして俺を待ってた?」

「大丈夫よ。コーヒーを淹れるわね」

「いいよ、自分でする」

ミツキはその足でキッチンへ行って、白いカップにコーヒーを注ぎ入れた。立ち姿がきれいで、つい視線で追い掛けてしまう。
そういえば、以前はダイニングバーでアルバイトをしていたはずだ。だからこういう所作が洗練されているように見えるのかもしれない。

「光希、早く早く」

アユムくんが痺れを切らしてそう急かす。揃って食事をすることが身についているのだろう。

「あれ、父さんは?」

「今日はお休みだからいいのよ。あの人、昨夜は嬉しくてなかなか寝つけなかったみたい。まるで子どもみたいでしょう」

幸せそうに唇が緩く弧を描く。僕の正面に座りながら、ミツキは少し照れくさそうに俯いた。
僕たちはまるでひとつの家族のように四人でダイニングテーブルに掛けている。こんな朝を迎える日が来るなんて、思ってもいなかった。
───いいな、こういうの。
素直にそう思うのは、僕自身がこの空間を居心地よく感じているからに違いなかった。

「いただきます」

元気よく手を合わせてからおいしそうに食事を始めるアユムくんを眺めていると、昨夜の夕食でもこんな気持ちになったことを思い出す。
陽だまりのように優しくて穏やかな、家族の過ごす光景。夢のように幸福な時間が、目の前に広がっている。

「アユムくん、よく食べるね」

「うん、アスカも食べようよ」

口を動かしながら笑いかけてくるアユムくんがかわいくて頬が緩む。

「そうだね。いただきます」

そう言って手を合わせると、対面に腰掛けた彼女から優しい微笑みがこぼれた。

「歩はわかりやすいわね」

彼女が手を伸ばして小さな頭をそっと撫でると、アユムくんはトーストを頬張りながら嬉しそうにはにかんだ。

「アスカくんのことが大好きなのね」

名前を呼ばれたくすぐったさに目を細めれば、彼女は僕を見てそっと口角を上げる。
この人の面差しはミツキに似ているけれど、ミツキを見て感じる刺すような胸の痛みは全くない。

「……何だか、妙に仲良くない?」

沈黙を破ったのは、当のミツキだった。その二人というのが、ミツキのお母さんと僕のことだと気づく。

「そうね、アスカくんみたいにかわいい息子がいればよかったと思うわ」

「何だよ、それ」

呆れたような口調だけれど、けっして気を悪くしているわけではなさそうだった。この空間は、誰もが誰かの緩衝材となって成り立っている気がする。そして、その不安定なバランスが僕はけっして苦手ではなかった。
懐かしい光景だ。幼い頃、サキの家で囲んだ食卓の雰囲気にとてもよく似ている。

「午前中にここを出るつもりなんだ」

そう言ってミツキは僕を真っ直ぐに見つめる。

「歩を家まで送っていくから、アスカもついてきてくれよ」

その言葉に僕は頷くしかない。けれど、アユムくんがいなくなってしまえば僕たちは今度こそ完全に二人きりになってしまう。それを今の僕は何よりも恐れていた。








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