『動くよ、いいね』
こくりと頷くと、ゆっくりとした抽送が始まる。ゆらりと快感に揺られるのが気持ちよくて、またすぐに限界まで追い上げられそうだった。両腕を回してしがみつけば、背中を抱えるように支えてくれる。 沙生とのセックスは穏やかだ。けれど、優しくされればされるほどどこか不安になる。 こうして溺れているのが僕だけのような気がして恐ろしいのだ。
『ああ、あ、沙生、沙生……ッ』
何度も訪れる波に揺られて、迫り来る絶頂に引き摺られまいと必死に堪えながら、僕は沙生の与えてくれる快楽を余すことなく享受する。 僕の内側からは意識や理性がぐずぐずと溶け出して、ただ沙生と愛し合うだけの生き物になっていく。
『あ……ッ、イく、イく、ああァ……!』
悲鳴を掬うようにキスをされて舌を絡め取られる。誰もいない海の底に沈んだまま、僕は身体の奥で沙生の放つ精を受け止めていた。 縺れ合う呼吸がもどかしい。 どれだけ抱き合おうと所詮僕たちは別個の人間でしかない。だからこうして酷く不安になるのかもしれない。 ねえ、沙生。 僕が抱えるこのわだかまりの正体は、一体何なのだろう。
『飛鳥、大好きだよ』
『僕も……』
僕の抱くこの想いが沙生と同じ重さであればいい。 そう願いながら、僕は熱を放つ肌を押しつけるように抱きついていた。
交じらせた熱が落ち着くのを待つ時間が、僕は嫌いではない。けれどこの潮が引いていくかのような過程が愛おしくてどこか淋しい。 沙生の温もりに包まれながら、僕は息を潜めるようにじっとしていた。 隣に住んでいていつでも会えるのに、会う度に離れることが辛いのはなぜなのだろう。
『飛鳥、泊まっていく?』
僕の気持ちを察してそう言ってくれる沙生を見ながらゆっくりかぶりを振る。 何度も泊まったことはあるし、その言葉は本当はとても嬉しい。
『ううん、大丈夫』
けれど、僕たちの関係を沙生のお母さんにはまだ言えずにいる。 言わないでほしいと頼んでいるのは僕の方だった。瑠衣と僕を我が子のように慈しみ育ててくれたおばさんを、悲しませたくないからだ。 沙生とこんな関係になったことがわかれば、彼女を傷つけてしまう気がした。
『母さんはきっと、気づいてると思うよ』
そう言う沙生の瞳はクリスタルガラスのように繊細に煌めく。もしかするとそうかもしれない。だけど、僕にはまだこの関係を伝える勇気を持つことができずにいる。
『うん。でも、もう少しだけ』
僕の言葉に沙生は小さく頷く。 結婚して子どもが生まれて、家族が増えていく。そういう普通の幸せを、僕はこうして沙生から奪っている。 それを沙生の母に面と向かって告げることができるほど僕は前向きにはなれなかった。 口にすればきちんと受け入れてくれるに違いない。けれど、彼女はきっと心のどこかで沙生の未来を愁いてしまうだろう。 例えば、沙生の傍にいるのが瑠衣だったら、そこには何の障害もないんだ。そう思った途端、胸が縮こまるように鈍く痛んだ。 なのに、どうして僕なんだろう。 それを沙生に訊く勇気さえ、僕にはなかった。
『何も心配いらないよ』
僕の心を見透かすかのように、沙生はそう言って優しく微笑む。愛おしいその笑顔も、僕の心を軽くすることはできない。 僕はただ頷いて、離れないようにしっかりと両腕で沙生に縋りついた。 次第に熱を失ってきた身体を擦りつけるように抱き合えば、心地よい温もりが互いの肌を包んでいく。 もう少ししたら、屋根を伝って自分の部屋に帰ろう。 窓の外にはぽっかりとした月が浮かんでいる。 ねえ、沙生。僕は不安で仕方ないんだ。 いつか自信を持って沙生といられる日が来るのだろうか。
あの日も、こんな満月だった。
屋根の向こうに見える白い月が僕たちを照らし出す。 ミツキの育ったという家は、趣のあるきちんと手入れの行き届いた二階建の一軒家だった。 センサーで点いたポーチの灯りが優しい光を放つ。 ミツキは息を深く吐いて、意を決したようにインターフォンを押した。
『……はい』
応答した声は女性のものだった。きっとミツキのお母さんなんだろう。小さなレンズを見つめながら、ミツキは口を開く。
「ああ、俺」
「ばぁば! 遊びに来たよ」
硬いミツキの声に被せるようにアユムくんが元気な口調で応えた。全ての殻を破ってしまうような、明るく弾んだ声だ。
『はい、すぐに開けるわね』
プツリと切れた音の後に、玄関扉が静かに開いた。 小柄できれいな女の人だ。ああ、面差しはミツキに似ている。
「ばぁば、お腹空いた!」
躊躇いもなく門扉を開けて飛びついていくアユムくんを抱きとめて、その人はこちらを窺うように見つめる。ミツキより先に言葉を交わしてはいけない気がして、僕は無言で会釈した。
「こんばんは。どうぞ中へ」
優しく促されて振り返れば、ミツキは唇を薄く開いて息を吐くように言葉を紡いだ。
「……ただいま、母さん」
その一言を伝えられるようになるまでに、どれだけの勇気が必要だったのだろう。 けっして重苦しくない沈黙が僕たちを柔らかく包み込んでいく。
「光希、おかえりなさい」
少しのぎこちない言い方に、むしろ優しさを感じた。ミツキの強張っていた表情が緩んでいくのを、僕は安堵の気持ちで見つめていた。
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