君に捧ぐ恋モノガタリ[12/17]

まだ那津が星へ帰ったとは限らない。
学校中のみんなは那津のことを忘れてしまったけど、俺はちゃんと憶えている。だから、那津はまだ俺と会う気でいるはずだ。

根拠のない理由に縋ってみたところで、どこにいるのか知る術はない。そもそも那津は俺と一緒に住むようになってから、学校と家を往復するだけの毎日だった。休みの日には那津が一人でふらりと外へ出ることもあったけど、いちいち行き先を聞かなかったし、一時間もしないうちに家へと帰ってきていた。
そんな生活を送っていたのに、他の居場所を探る手段があるわけがない。
那津は携帯電話を持っていなかった。当人にとっては必要ないんだろうけど、当たり前の連絡手段さえ使えないことが今はもどかしい。
考えに考えて、思いついたのはいつものルートを辿ることだった。
とにかく、一旦家へ帰るんだ。
その結論に至った俺は、急いで帰路についた。学校の最寄駅から電車に乗って、家へ。いつも那津と往復していた道のりだ。
もしもこれが見当違いだとすれば、那津との距離がどんどん遠ざかっているのかと思うと、居ても立っても居られない。

駅を降りてから必死に走って、ようやく家に辿り着く。勢いよく玄関を開けたけど、那津の靴は見あたらなかった。
やっぱり、ここには戻っていないんだ。
ガッカリしながら息も整わないままリビングに入る。母さんはカーペットに座って洗濯物を畳んでいて、顔を上げた途端びっくりした表情で俺を見た。

「ひかる、どうしたの。血相を変えて」

そうだ、もしかしたら。
この家はまだ、那津の居場所なのかもしれない。
一縷の希望に手を伸ばすように、思い切って訊いてみる。

「あのさ。那津、知らない?」

息を切らしながらそう尋ねる俺を、母さんはぽかんと口を開けてまじまじと見つめていた。

「 ─── あら、一緒じゃなかったの? まだ帰ってきてないわよ」

ああ、那津はまだこの世界にいるんだ。
那津を憶えている人がいる。そのことに安堵して、俺は座り込む。

「……そう。じゃあいいんだ」

この家で待っていれば、那津はきっと帰ってくる。今はただその可能性に縋るしかない。






食卓に全ての料理が並ぶ頃、那津は俺たちの前に姿を現わした。
リビングに見慣れた姿が入ってきた途端、張り詰めていた気が緩んで胸がいっぱいになる。どこへ行っていたんだと追及したかったけれど、両親の前でそんなことをするわけにもいかなかった。

「今日は遅かったのね。ひかるが心配してたわよ」

「うん、ちょっと色々とね。明日の準備をしてたんだ」

母さんの問いかけに答えながら、那津は箸を口へと運んでいく。これがきっと最後の晩餐になるんだろう。そう思うと、食事がうまく喉を通らない。
那津は俺をチラリと見て、また視線を逸らす。帰ってきてからというものの、俺には一言も話しかけてこない。それなのに何か言いたげな仕草をするのが気になって仕方なかった。

本当に那津は星へ帰るつもりなんだろうか。もしかすると、このままここに残るという選択肢もあるのかもしれない。
無意識にじっと見つめていたらしくて、ダイニングテーブルを挟んで目が合った。俺の頭の中はきっと丸見えなんだろう。俯いてなるべく心を真っ白にしようとするけど、そうすればするほど余計なことを考えてしまう。

那津と過ごした日々。ドキドキして、気持ちよくて、なのに胸が痛くて。
那津が俺に見せてくれたのは、まるで水の中のように実体のない、透き通ってキラキラした世界だ。

「あとで、ひかるの部屋に行っていい?」

毎晩断りもなく来ているくせに、そんなことを訊いてくる。駄目だと言うつもりはもちろんなかった。

「……いいけど」

短く返事をしてから、ぼんやりと考える。那津と二人になって、話がしたい。だけど、その時が来るのが怖い。
那津は、これから一体どうするつもりなんだろうか。






ベッドの上に座って壁にもたれ掛かりながら、首が痛くなりそうなほど天井を仰いでみる。
早く那津に来てほしいのに、このまま来ないでほしい気もする。時間が経てば経つほど、タイムリミットが近づいてしまう。
那津のいる世界はもうすぐ終わりを迎えて、那津がいなかった本来の世界へと還る。

ドアの開く音がして反射的に顔を下ろす。洗い立ての髪を揺らしながら、那津が部屋に入ってくるところだった。
お風呂上がりの那津はいつもより更に色っぽくて、こんな時なのにどぎまぎしてしまう。
穏やかな微笑みは、なぜだかちょっぴり罰が悪そうにも見えた。

こちらへと近づいてきた那津は、ベッドに乗り掛かって俺の隣に座り込んだ。二人で膝を抱えて並ぶと、まるで子どもの頃にも一緒にこうして過ごしたことがあるような錯覚を起こす。

「……どこへ行ってたんだよ」

そう問い質せば、那津は少し肩を竦めて横目で俺を見る。その質問に答えたくないのかもしれないと思った。
触れるか触れないかの微妙な距離がもどかしい。ここには、那津と俺を隔てる境界が存在するのかもしれない。
それはきっと、超えることのできない種族の壁だ。

「さっき言ったとおりだ。帰るための準備をしてた」

「準備……」

「そう。全てをこのままにして帰ることもできないからね」

おうむ返しに呟けば、悪戯っ子のように笑ってそう言った。こうして間近で見ても、那津は本当にきれいな顔をしている。ただそこにいるだけで、この場がまるで映画のワンシーンのように絵になってしまう。

「あちこちに行って、みんなに掛けた魔法を解いてきたんだ」

そう言って那津はそっと掌を握りしめ、ゆっくりと開いた。まるで、封じ込めていた何かを解き放つように。
那津の魔法は、人間の脳を操作すること。
みんなの那津に関する記憶は、この世界に那津が存在したという証だ。それを一体どんな気持ちで消していったんだろう。想像すると胸が痛くなった。

「あと、フネを確認しに行ってた」

フネ、という発音に目を見開くと、那津はおかしそうに目を細める。

「実は、この裏の公園に隠してるんだ。僕の乗ってきた船。宇宙船っていう言い方、なかなか素敵な響きだね」

至近距離で見つめ合いながら、俺は少しだけ想像してみる。本来の姿に戻った那津が、オーソドックスな形をしたUFOに乗って空を上っていくところを。
だけど俺にとっての那津はこのきれいな那津で、そうじゃない姿を知らない。そのせいか、どうしてもうまくその光景を頭に描くことができなかった。

「それより、ひかる。チャンスをあげたのにどうして無駄にしちゃったの」

意図的なのか、随分軽い口調だった。
チャンスというのは当然保健室のことを言っているに違いない。

「せっかく上手くいったのに、バカなことをしたね」

咎めるような口振りにはちょっぴりの棘と、俺の勘違いじゃなければ安堵が含まれていた。

「だって、どうせ那津が聖也に何かしたんだろ」

「記憶の部分は少し触ったよ。でも、感情の域には何もしてない。僕は二人の物理的な距離を縮めただけだ」

キッパリと言い放たれて言葉に詰まる。嘘だと思った。聖也が俺のことを好きになる確率なんて、地球人が宇宙人に侵略されるそれよりもずっと低いだろう。それはもう、奇跡に近い。
だけどそもそも俺にとっては那津と出逢ったことも、それ以降に起こった出来事も、何もかもが奇跡の連続だったんだ。

「聖也がひかるを好きになったのは、僕のせいじゃないよ。ひかるが起こした奇跡だ。ひかるには奇跡を起こす力があるんだから、これからも卑屈にならずに自信を持って頑張るんだ。いいね」

那津は子どもに言い聞かせるように語りかけてくる。別れを前に無理矢理取り繕ったような言い草だ。
だけど、そんなごまかしはいらなかった。

「俺は、那津が好きなんだ」

喉の奥に詰まっていたものが解けていくように、するりと言葉がこぼれていった。冗談なんかじゃないと証明するために、視線は逸らさない。
那津は大きな目を見開いたまま、俺をじっと見つめる。しばらく沈黙が続いて、やがて遠慮がちに口を開いた。

「わかってると思うけど、僕はもう星へ帰るんだ」

なのにどうしてそんな余計な感情を抱くんだと責められているような気がした。何も言わずにいると、那津は畳みかけるように言葉を続けていく。

「それにこの身体は借り物で、これからちゃんと返しに行かなくちゃいけない。今はこんな姿だけど、本当の僕はもっと醜くてブヨブヨしてて、気持ち悪い形をしてるんだ。それこそ、君が幻滅して二度と会いたくないと思うような」

「だから俺の気持ちは嘘だって、そう言いたいのか」

強く言い返せば言葉を詰まらせて瞳を揺らす。那津はずるい。肝心なことを何も言わないで、俺の想いを否定しようとする。
でももしかするとそれは、那津が自分の心を守るためにそうしているだけなのかもしれない。本当は、俺よりも那津の方が色々と怖かったんだろう。
忘れられること。執着すること。擬似的な生殖行為に意味を持たせること。きっと那津は、全てが怖くてたまらなかった。
そんなことを想像すると、愛おしくて仕方ない。
ようやく自覚できたこの気持ちに嘘はつきたくなかった。だから俺は、本当のことしか言わない。

「今、目の前にいる那津が好きだ。それだけじゃ駄目か」

じっと見つめ続けていると、那津は視線を逸らして俯いた。その瞳がじわりと潤んでいくのがわかった。

「別に、駄目じゃないよ」

諦めにも似た口振りで、那津はそう言って俺の顔を上目遣いに覗き込む。

─── 言わないつもりだったのに。

微かな声でそんな前置きをしてから、顔を近づけてくる。スローモーションのような滑らかな動きに目が釘付けになった。
那津の潤んだ瞳は、空に瞬く星のようにキラキラと輝く。

ああ、確かにこれは俺が起こした奇跡かもしれない。

「僕もひかるが好きだ」

唇に触れた吐息を呑み込むように、そっと口づけた。
ゼリーのように冷たくて柔らかな触感。甘くてひんやりしてて、蕩けそうなそれを俺は何度も食んでいく。

「那津……」

肌を重ねて、わずかな時間を惜しむように互いの身体を弄り合う。
俺は那津と一緒に深い水の底へと沈んでいく。






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