クラシックタビーの秘密[1/2]

「トモ、俺と付き合わない?」

そう言われたのは、一緒に食事をしようと誘われて招かれた自宅で手料理を振る舞われた直後のことだ。
所在なく座ってたソファに近づいて来たかと思うと、隣に腰掛けながらさり気なくそんな台詞を口にされて、おかしな動悸と眩暈がした。

「……付き合うって」

大学生の俺が、日常生活において何の接点もない28歳社会人に呼び出されるままに会い続けて、今もこうして一緒に過ごしてるのには、致し方ない理由がある。
それは、俺がこの人に人生最大の弱みを握られてるからだ。

「俺、男なんですけど」

やっとのことでそう口にすれば、くっきりした二重瞼の目が一瞬キョトンと大きく見開いて、すぐにそっと細められた。

「もちろん、知ってるよ」

その言い方に心臓がどくんと跳ね上がる。ああ、そうだよな。だって、俺はこの人と──。
みるみる顔が熱くなってきて、座る距離の近さに心持ち離れてみれば、それ以上に詰め寄られて太腿が密着する。
近い。近過ぎるんだけど。

ほんの1ヶ月前のことだ。彼女に振られた勢いで呷ったヤケ酒に呑まれてしまった俺は、目が覚めたら知らない男の人とベッドの中にいた。その人こそ、さっきから俺に詰め寄ってきてるこの白澤志郎だ。
ありえない。絶対にあっちゃいけないことなんだけど、尋常じゃない身体の違和感は二人の間に何が起こったかを如実に物語っていた。
消してしまいたい過去は、残念ながら俺の記憶しか奪ってくれない。

「それに、猫も嫌いだし」

膝の上でピクリと尖った耳が動く。ガラス玉のようなエメラルドグリーンの瞳。きれいなシルバー色の毛並みは、クラシックタビーと呼ばれる渦巻き模様を描く。
白澤リリと名付けられたこの猫は、もうすぐ2歳になる雌のアメリカンショートヘアで、白澤家の一員だ。飼い主から至れり尽くせりにかわいがられてるというのに、どういうわけか全く懐いてない。それにもかかわらず、なぜか数えるほどしか会ったことのない俺にベッタリと甘えてくる。こっちが猫は嫌いなんだというオーラを出してても、全くお構いなしだ。

「リリのことは関係ないよ。今は、トモと俺の話」

だって、そんなにリリをかわいがってるのに?
即座にそんなことを思った自分に呆れてしまう。これじゃあまるで、リリに嫉妬してるみたいじゃないか。
思わず逸らした視線を掬うように顔を覗き込まれて、至近距離で目が合った。
リリが気持ちよさそうに膝の上で寛いでいる。だから俺は、身動きが取れない。

「トモのことがかわいくて大好きだから、一緒にいたいんだ」

直球過ぎる告白に、息が詰まってしまう。
志郎さんはいい人だと思う。とにかく優しくて、一緒に過ごしてると心地いい。喉が渇いたと思えばもう飲み物を手に持って渡してくれるし、危ないからと言って車道側は歩かせてくれない。食べ物も、何かを見るポジションも、いつも一番いいところを俺に回してくれる。映画を観たり、大型ショッピングセンターで買い物をしたり、近場をドライブしたり。訳もわからず呼び出されて初めは渋々付き合ってたけど、いつの間にかそういう時間を楽しんでたのも事実だった。
それでも、俺はこの人に負い目があるから断れなかっただけで、今だってただそれだけの関係に過ぎないはずだ。

「志郎さん。彼女いないの?」

「初めて会った時も同じことを訊いてたね」

それも、憶えてないんだけど。俺の失った時間をこの人だけが知ってるんだ。自覚させられる度に胸の奥がじわりと疼く。思い出したくないのに思い出さなければいけないような、妙な焦燥感に駆られてしまう。

「こうしてトモと一緒にいるんだから、いないに決まってるでしょ。それとも、トモには誰か好きな人がいるの?」

いないよ、彼女に振られたばっかりだし。
そっとかぶりを振れば、志郎さんは安堵したように微笑む。いや、それじゃあ駄目だ。断る理由、断る理由。頭の中を必死に総動員させて、どうにか拒絶の言葉を見つけようとしても、なぜかひとつも思い浮かばない。

振られたばかりなのに、俺がそのことを全然引き摺ってないのは志郎さんのお陰だ。
この人のくれる優しさは洗練されてて底なしに甘い。まるで女の子を扱うみたいに、いやそれ以上に至れり尽くせり手厚く接してくれる。懐かない飼い猫のことを、目の中に入れても痛くないほどかわいがるように。
俺が不安になるぐらい、志郎さんは優しい。



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