Silent Screen[1/2]

ああ、まただ。

その光景を目にしてまず胸によぎったのは絶望感だ。ひんやりと澱んだものが喉を伝って身体の内側を侵食していく。

昼下がりのオフィス街には眩しいぐらいに陽射しが降り注ぐ。全面ガラス張りの小洒落たカフェで、わざわざ外向きのカウンター席を選ぶ奴の気が知れないと思う。
落ち着かないそんな席に、俺なら絶対に座ったりしない。たとえ、どれだけ気心知れた奴と一緒でも。

大きな通りの向こう側に存在する世界。薄いガラスを隔てた先に見えるのは、細身のスーツを着こなす男が女の子の肩を抱く姿。長い脚を組みながら、身体を傾けて長い髪へと唇を寄せていく。

その場に立ち竦んだまま、俺は彼女の方に視線を移してみる。緩くウェーブが掛かったロングヘア。小柄な身体を包む淡い色合いのフレアーワンピースはスタイルをよく見せる。甘過ぎなくて、適度に清楚で、けれど開いた胸元からは隙が覗いてる。ああいう子が合コンに来れば誰だって今日は当たりだと思うだろう。

ふと男が視線を前に向けてくる。距離があるのに目が合った気がするのは、俺の思い違いじゃない。
身体を密着させて彼女の髪を指で梳きながら、チラチラとこっちに視線を走らせる。本当に嫌な奴だと思う。

俺が外で見かけるときに、羽咲隆史(はさき たかし)の傍に誰かがいなかった試しはない。

足早にその場を立ち去って、戻るべきオフィスへと向かう。どうでもいいと思うのに、敗北感を覚えてる時点で俺はあいつの思惑に乗せられているんだろう。
胸の中を黒い靄のように覆うどうしようもないこのわだかまりが恋だと言うのなら、この世界は全く歪んでる。






「しーちゃん、なんか機嫌悪くない?」

髪を乾かし終えてドライヤーのコードを抜こうとしたところを後ろからふわりと抱きつかれる。腕を掴んで振り解けば、それほど力は入れてないのにするりと解けて身体は自由になった。舌打ちすれば鏡越しにきれいな顔が笑うのが見える。

「別に」

「怒ってる?」

「怒る理由なんかないし」

そう吐き捨てて洗面所から廊下に出ると、悪びれた様子もなくあとをついてくる。この後にすることなんてひとつしかないのはわかってて、不甲斐ないこの状況に自然と深い溜息がこぼれた。

寝室に入り、ベッドの上に仰向けになって倒れこむ。即座に視界に飛び込んできた顔が、覆い被さるように近づいてきた。
至近距離で絡み合う視線。瞳の中にゆらりと熱が燻るのが見えた。
ああ、もしかしたらこいつは俺のことだけが好きなのかもしれないな。
一瞬でもそう勘違いさせるような、甘やかな眼差しだ。

重なる唇の隙間を滑らかに舌が入ってくる。情欲を徒らに掻き立てる短いキスは、物足りない夢しか見せてくれない。

「ね、しーちゃん」

ぎしりと軋むスプリングの音。組み敷かれて着たばかりの衣服を丁寧に脱がされていくのを、俺はだらりと脱力してただ受け入れる。抵抗しない理由は、この後に気持ちいいことが待ってるってわかってるから。ただそれだけだ。

「なんで髪切っちゃったの? 似合ってたのに」

短くなった前髪を指で掬われて、答える義務のない問いかけに視線を逸らす。小さな溜息が耳朶に掛かるとぞくりと背筋が震えた。

「ま、どっちでもいいけどね」

お前が連れてるのがいつも髪の長い女だから。髪を切らない理由がそんなことだと思われるのが嫌でやめたんだ。
そう口にすれば、どんな言葉が帰ってくるだろうか。

広い背中に付いた爪痕。甘ったるい残り香。意図的なのはわかってても、お前が誰かを抱いた痕跡を見つける度に、胸の中を澱んだ何かがざらりと廻る。

「うん、今日もかわいい」

歯の浮くような台詞と共にふわりと鼻を掠めるのは同じシャンプーの匂い。身体のあちこちに落とされるキスに吐息がこぼれ落ちる。くすぐるように襞をなぞられ、ローションのぬめりと共にゆっくりと侵入してきた指先に掻き混ぜられる。引っ切りなしに内側から湧き出す痺れに、勝手に腰が揺れて震えた。

「……っ、ぁ、あッ」

屈みこんでくる背中に腕を回して抱きつけば、唇が強く首筋を吸い上げる。つまらない独占欲を誇示されたところで、俺には見せる相手なんていない。
内側の弱い部分をぐっと押し込まれて、跳ね上がった下半身は組み敷かれて身動きできない。

「ああ、ん……っ……」

先端をあてがわれて、ぬるりとした感触にゾクゾクと背筋が震える。天井がゆらりと回るこの眩暈は嫌いじゃない。気持ちいいことは大好きだし、待っていれば欲しいものはちゃんと与えられる。

「あ……は、あぁ……!」

奥まで貫かれてこれ以上ないぐらい深いところを穿たれる。脈打ちながら勝手に締めつけるそこをいたぶるように軽く腰を揺すって、隆史は嬉しそうに微笑む。
他の誰にも許したことのない部分がドロリと蕩けていく。
本当に触れてほしいのはそこじゃないんだ。そう口にしたところで、じゃあどこなんだと訊き返されれば困るのは自分だとわかっていた。

「好きだよ」

耳に届く上滑りな言葉に喘ぎながら揺さぶられて、ギチギチと身体が悲鳴をあげる。
俺はいつまでこんな関係を続けるつもりなんだろう。
気を引こうとして他の女の存在を見せつけられて。術中にまんまと嵌まってることはわかってても、それを嫌だと言う資格もない。

「……志生(しお)

顰められた眉の下で、きれいな双眸がゆらりと光る。ああ、こういう時だけ真面目そうな眼差しをするのは狡い。

「どうしたら俺のとこに落ちてきてくれるの?」

どうしてそんなことを俺に訊くんだろう。
不安で不安で堪らなくて。俺が好きだと言ったところで、お前が俺だけしか見ないという保証はどこにもない。
何度も緩く突き上げられて、高められていく身体とは裏腹に心には冷たい亀裂が走る。

不意に昼間見た光景が音もなく脳裏を掠める。途端に胸に感じる灼けつくような痛みを振り払いたくて、何度もかぶりを振ってみた。

「──無理」

これ以上落ちるのは、無理。
そう目線で訴えれば、隆史は困ったように顔を近づけてくる。
溜息みたいなキスを貪りながら、俺は薄く目を開けて与えられる快楽に意識を添わせていく。





"Silent Screen" end


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