SAKURA TRICKS[1/4]

目を閉じれば瞼に浮かぶのは、舞い散る薄紅色の花弁。
日本人なら誰しも郷愁を感じるその光景も、俺にとっては禍々しいものだ。

大切な者を失った季節に咲く花は、俺を捕らえて離さない者の名と同じ響きを奏でる。



S
   A
      K
         U
            R
               A      T  R  I  C  K  S



昨夜から降り続いた雨はもうすっかりやんでいる。それでも、湿気を含んだ特有のにおいはアスファルトに染みついていた。
ああ、今日も疲れたな。
散々走り回ったせいで気怠い身体を持て余しながら顔を上げれば、そびえ立つのは天まで続く梯子のようなタワーマンション。俺は溜息をつきながら、夜に架かる光の塔へと吸い込まれるように入っていく。

エントランスで4桁の部屋番号を押せば、木目調の重厚な自動ドアが小さな機械音を立てて開いた。そこを潜り抜ければ開放感のあるホールが広がる。遅い時間だから人影は見えない。
1階で待ち受けていたエレベーターに乗り込んで扉を閉め、一番上の階数を押すと機械仕掛けの箱がふわりと浮上していく。
宙に放り出されるこの感覚が、俺はあまり好きじゃない。すっかり慣れた一連の手順を踏むことに未だ抵抗を感じるのは、自分が行ってはいけない場所に向かっていることをよくわかっているからだ。

足音が響かないよう静かに廊下を歩いて目的の場所に立つ。インターフォンを鳴らすより先に目の前の扉が開くのはいつものことで、自動ドアみたいだと思う。

「おかえり、郁実」

ただいまは言わない。だってここは俺の家じゃないし、そうなる予定もない。だから俺を迎え入れたこの男がどういうつもりなのかは知らないし、知ろうとも思わない。
プラチナアッシュに染まった髪は動く度にさらりと揺れる。光の加減できれいな透明感が生まれるそのカラーがどうやらお気に入りらしい。細身に見えるけど、服を脱げばその身体は無駄なく鍛えられていることを知っている。

無造作のようで、それでいて隙のない男。

ここに来るようになって半年になるというのに、俺がこの男のことについて知ってるのは、桐生という名前だけだった。年はきっと俺より上だろう。でもそれだって定かじゃない。

「随分遅かったな」

「お前のせいだろうが」

あてつけのようにそう言ってみせるけど、何食わぬ顔で腰を抱き寄せられて唇が重なる。今日はクタクタに疲れてるはずなのに、たったそれだけで身体の奥でじりじりと熱が疼く。
全く、バカみたいだ。

「シャワー浴びてくるから、部屋で待っとけよ」

唇が離れる間際に腹立ちまぎれの台詞を吐いたって、何の意味も為さない。どうして俺はこの男のもとに来てしまうんだろう。
職場から自分の住む狭いワンルームマンションに帰るより、ここに来る方が近くて楽だ。理由はただそれだけに過ぎないし、他の答えは考えないようにしている。つまらない疑問の行き着くところに楽しい未来なんてない。
この関係が成り行き任せでその場しのぎのものだったら、どれだけよかっただろうか。

「待ってるから、早く入っておいで」

背中から追いかけてくる言葉にまた溜息を漏らしながら、俺は玄関を上がりバスルームへと足を向ける。


*****


この界隈で初めてそいつが現われたのは、1年ほど前だ。現われたというのは語弊があるかもしれない。なんせ、誰もそいつに会ったことはないからだ。
姿を見せることのないそいつは、家屋や会社の建物に忍び込んで金品を盗んでいく。つまり、泥棒だ。

そいつのせいで、俺は一気に忙しくなった。この街を管轄する署の盗犯刑事。それが俺の仕事だからだ。
管内では侵入犯罪の発生件数が一気に増加した。署には大規模なプロジェクトが結成され、俺も当然のようにそこへ配置される。けれど、どれだけ警察が人海戦術で捜査を進めようと、そいつは絶対に足を出さない。逮捕に繋がりそうな手がかりひとつ掴むこともできないまま、もう1年が経つ。

一人の泥棒が得意とする侵入手口は決まっている。バーナーで窓ガラスを焼き切る。ドライバーを窓枠に入れてガラスを割る。サムターン回し。ピッキング。合鍵を作って侵入する。得意の手口を繰り返すのは、慣れた手順が一番仕事が早く済むし、安心だからだ。中にはジンクスを背負って同じ手口しか使わない奴もいる。

けれど俺たちの追う奴に限って言えば、それはまるであてはまらない。つまり、手口が定まっていない。あらゆる手段を駆使して建物の中に侵入し、誰も傷つけることなく目当てのものを盗んで去っていく。せめて姿がわかれば有力な手がかりになるのに、そいつは防犯カメラの死角に入り込み、ご丁寧に全部破壊してから仕事をこなす。
侵入手段が固定されていないにもかかわらず、それがそいつの犯行だとわかるのにはちゃんと理由がある。
そいつの犯行場所には、いつも1枚の花弁が落ちているんだ。そう、花弁だ。

鑑定の結果、それが桜の花弁を押し花にしたものだということがわかっている。
奴の残す唯一の手掛かり。

『サクラ』

いつしかそいつは捜査関係者の間でそう呼ばれるようになった。
次はこの辺りだろうとアタリを付けて警戒すれば、サクラは捜査の裏を掻くようにノーマークのところで犯行する。まるで、こちらの情報が筒抜けみたいだと上層部は愚痴をこぼす。

やがてサクラの噂はマスコミにも流れていく。
現代の怪盗サクラは社会に何かを訴えようとしている。世間ではそんなお伽話のような噂まで流れる始末だ。
馬鹿なことを言うな。これがそんな劇場型犯罪であるはずがない。サクラはただの犯罪者で、それ以上でもそれ以下でもない。

奴は今夜もまた憎々しいぐらい華麗に仕事をこなし、花弁ひとつ残して消えて行った。そのせいで俺はこうして終電まで仕事に追われ、クタクタになって帰る羽目になる。


俺を翻弄している超本人、サクラのもとへ。





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