K01 : 熱の入江[16/24]


待ち焦がれていた音が聴こえた。

部屋に響き渡る、静かにドアが開く音。その後に続く、真っ直ぐこちらへと向かってくる足音に、俺は耳を澄ませる。

背中の後ろでベッドがしなやかに軋んだかと思うと、同じ布団の中に多田さんが入ってくるのを感じた。

ボディソープかな。お風呂上がりの、ふんわりとしたいい匂いがする。

うっすらと目を開ければ、暗がりの中をフットライトの灯りが仄かに照らしていて、白い壁が淡いオレンジ色に浮かび上がっているのが目に入った。

「……多田さん」

背中を向けたまま恐る恐る呼び掛けると、多田さんがこっちを振り返る気配がした。

「楓くん、まだ起きてたの?」

ゆっくりと身体を反転させてみると、多田さんは少し離れたところから俺をじっと見つめてた。

俺は頷いて、少し拗ねた素振りを見せる。

「寝れるわけない。あんなキス、初めてだよ。すっかり目が覚めた」

正直にそう言えば、多田さんは少しだけ口元を緩ませる。

「別に、楓くんをからかったわけじゃないんだ。ただ」

「ただ?」

口を噤んで多田さんは俺を見下ろす。その先に続く言葉は、もう言うつもりがなさそうだった。

その瞳が本当に艶やかで、ただ見つめられてるだけなのに、また体温がどんどん上がっていく。

多田さんと一緒にいるだけで、胸がドキドキして止まらない。

この不思議な昂揚感は何なんだろう。

他のことは何も考えられなくなるぐらい、頭の中がこの人のことでいっぱいになってしまうんだ。

だから、嫌なことだって全部忘れられる。

「……多田さんと、エッチしたい。駄目?」

絡まる視線が、曖昧に揺れる。

やっとの想いで言葉を吐き出した途端、時間が止まったみたいに静かな沈黙が降りる。その重さに堪え切れなくて、俺は1人で堰を切ったように言葉を重ねていく。

「多田さんが結婚してるのは、わかってる。奥さんのことを大事にしてるんだろうなっていうのも。でも、遊びでも何でも俺はいいんだ。そんなの関係ないっていうか」

酸素が足りなくなったような息苦しさを感じて、一旦言葉を切ってからゆっくりと息を吸う。

多田さんの優しい眼差しは真っ直ぐ俺に注がれてる。

大丈夫。多田さんは、ちゃんと俺の話を聞いてくれてる。

「それに、男同士だったらノーカンだし」

「ノーカン?」

スッと眉を上げる多田さんに、俺は慌てて説明する。

「数に入んないってこと。浮気にならない」

「すごい理屈だね」

苦笑するその顔が、何だかかわいく見えたりして、俺はこの人のことが本当に好きなんだなって思う。恋の病はもう重症で、引き返すことなんてできない。

「多田さん、俺とするの、無理?」

距離を詰めて、あと10センチで唇が触れるぐらいの位置から俺は多田さんを見つめる。

誰かとエッチしたくてこんなに必死になるのって、初めてかもしれない。

それでもまだ、答えは返ってこない。この沈黙をどうしたらいいんだろう。

至近距離で見つめ合うのが、つらくなってきた。

揺らぐことのない眼差しに堪え切れなくて、ああ目が痛いなと思った途端じわりと涙が滲んできたから慌てて視線を形の良い口元まで落としてしまう。

「……今だけで、いいから」

もう、消え入りそうな声しか出ない。

緊張し過ぎて、わけがわからないぐらいに心臓がバクバク鳴ってる。今にも破裂しそうだ。

何やってるんだろう、俺。

ここへ来て、やっと気づく。

1人でいたくないなんて我儘を言って、多田さんの好意でこんなところまで付き合ってもらって。

なのに、最初からそういうことをするのが目的で誘ったと思われるのは、なんか嫌だ。

「……ごめん、やっぱり嘘。忘れて」

自己嫌悪に陥りながらそう呟いた途端、囁くように名前を呼ばれた。

「楓くん」

視線の先で唇が動いて、口角がゆっくりと上がる。

「おいで」

抱きすくめられて、2人の距離がなくなる。顔を上げれば引き寄せられるように唇が重なって、驚く隙もなく舌が挿し込まれる。

背筋がゾクゾクと震えて止まらない。行き場のない感覚に流されそうで、背中に腕を回して縋りつけば強く抱きしめられる。

圧迫された胸の苦しさに、思わず吐息が漏れた。

「ん……、は……ッ」

抱え込んでる感情の全部を絡め取られてしまうようなキスに翻弄されながら、俺は必死にそれを貪り続ける。

多田さんの柔らかな舌が口内をくすぐっていく。上顎を何度も優しくなぞられているうちに、身体の中心に向かって熱が集まってきていた。

「ふ、ぁ……」

硬く勃ち上がって震えるそこに、急に多田さんの手が直に触れて、びっくりして身を捩った拍子に唇が離れてしまう。

「 ─── あ、多田さ……っ」

腰に巻いてたはずのバスタオルなんてとっくに外れてどこかに埋れてしまってる。

もうガチガチに反応してるそこが少し冷たい掌で包み込まれて、その感触に身体がびくついた。先端に指が触れて吐息を漏らせば耳元に唇が寄せられる。

「楓くん……もう濡れてるね」

掠れた声で囁かれた途端、ぶわりと肌が粟立って頬が熱くなっていく。

そんな俺の反応を愉しむように、多田さんは間近で視線を絡ませてくる。それは悔しいぐらいに余裕のある表情で、それでも俺を映すその瞳には確かに情欲が滾ってた。

その眼差しだけで、身体の奥が疼きだす。

俺の知ってるストイックで理知的な多田さんが、ガラガラと音を立てて崩れていく。



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