K01 : 熱の入江[14/24]


さっきは緊張しててろくに見てなかったけど、見渡せば部屋はこの手のホテルの中でもかなり広い方だった。

内装もシックで落ち着いてて、シティホテルみたいだ。

白い天井とクロスに、ダークブラウンのフローリング。壁には繊細な線で描かれた幾何学模様の絵が掛かっている。

天井にはダウンライトが等間隔で光っていて、ソファの上には吊り下げられた小さなシャンデリアがきらきらと輝く。

深いグレーの布張りソファに掛けている多田さんは、ネクタイを外してワイシャツのボタンを2つ外してる。

少し開いた胸元からは、大人の男の人にしか出せない色気が漂う。

その雰囲気は程よく緩くて、さっきまでよりも寛いでる感じがした。

カッチリしたイメージだった多田さんのオフの部分を垣間見てる気がして、どぎまぎする。

なんとなく隣に座るのは気が引けてしまって、俺はベッドに腰掛けた。少し離れたところから、盗み見るように多田さんに視線を送る。

きれいな顔にそっと見惚れながら、何か話さないといけない気がして言葉を探す。

こんなとき、何を言えばいいのかわからない。

「奥さんに電話した?」

少しの沈黙を破って、ようやく口をついて出たのはそんなどうでもいい問い掛け。

「うん」

多田さんは頷いて、灰皿の中で煙草の火を揉み消した。

言いだしたのは俺なのに、またチクリと胸が痛む。

「なんか言ってた?」

突っ込んで訊いてしまってから、本当のことなんて言うわけないと気づく。けれど多田さんの口から出た台詞は意外なものだった。

「一緒に飲んでた子をほっとけないから、今日は泊まってくるって」

「正直なんだね。浮気してるとか、疑われたりしない?」

俺の言葉に、多田さんは軽く笑みを見せる。

「大丈夫だよ。細かいことを訊かれることもないし」

「……すごく信頼されてるんだね」

奥さんにそんなことを言っても、何も追及されないんだろうか。見えない絆を見せつけられたようで何だか少し落ち込む。

どうして、いちいちこんな気持ちになるんだろう。

やるせなくベッドの上に仰向けに倒れ込むと、白い天井が目に飛び込んでくる。

アルコールが回ってるせいか急激に眠気が襲ってきて、ゆっくりと息を吐いて身体の力を抜くとトロンと瞼が落ちてきた。

緩やかな微睡みが訪れる。頭の中がぼんやりと薄い膜を張ったように白く霞んで、意識が少しずつ揺らめきだした。

「楓くん、そんな格好で寝たら風邪ひくよ」

ふと気づけば、多田さんが真上から俺の顔を覗き込んでた。影の掛かったその表情がすごく色っぽい。一瞬で魅入られて、もう目が離せなくなってた。

「多田さん……」

腕を伸ばして掌でその首の後ろに触れれば、熱い体温に抱えてる想いが融け出していく。

そのままそっと引き寄せると、抵抗もなくきれいな顔が近づいてくる。

半分ぐらいは、曖昧になってきた意識に任せて。でも残りの半分は、明確に意図を持って。

俺は、思わず口走ってた。

「多田さんと、キスしたい」

沈黙の中、至近距離で見つめ合う。

2人の視線が交わって、俺の心臓は最高にドキドキしてるのに、多田さんは全然動じてないみたいに涼しい顔をしてた。

そっと伸ばした手で、宥めるように俺の頭を撫でる。

「駄目だよ。楓くん、かなり酔ってるね」

冗談を軽くあしらうような口調だった。本気にされてないのがちょっと癪で、ほんの少しムキになって反論してしまう。

「確かに結構飲んだよ。でも、酔ってるからこんなこと言ってるんじゃない」

流れるように口をついて出るのは、何の飾り気もない告白。

「俺、多田さんが好きだ」

直後に訪れるのは時間が止まったみたいな静寂で、俺は思わず息を詰める。

勢いに任せてモヤモヤした気持ちをはっきりと言葉にした途端、胸のつかえがするりと溶け出すような感じがして、自分の抱えてる想いの正体がすんなりと納得できた。

俺、この人のことを本気で好きになってるんだ。

多田さんは喰い入るように俺を見つめる。その瞳に、きっとつい今しがた生まれたばかりの熱が小さく揺らめいていることに、俺は気づいてた。

「………楓くん」

ゆっくりと、きれいな顔が近づいてくる。

鼻先が触れ合う程の距離で見つめられて、痛いぐらいに胸が高鳴ってる。

長い睫毛の下から覗く瞳の中でゆらりと煌めくのは、情欲の光に違いなかった。

ああ、なんてきれいなんだろう。

合わさる視線も混じり合う吐息も、何もかもを絡め取られて。

俺はこの人に囚われてしまう。

「キスだけだよ」

聞き分けのない子を嗜めるようにそう言って、多田さんが俺の前髪を指でそっと掻き分けた。

突然上にのし掛かられて、ベッドのスプリングがギシリと音を立てる。

心地よい重みを全身に感じた瞬間、心拍数が最高に上がって、思わず目を閉じたら唇に柔らかなものが触れた。その感触をはっきりと意識するより先に、わずかな隙間を割り開いて舌が入ってくる。

温かく濡れた滑らかな舌先が、生き物のように俺の舌を辿っていく。

「……、ん……っ」

ぞわぞわと小さな何かが身体を這っていく感覚に、声が漏れた。

何これ、気持ちいい。

絡めたくて舌を差し伸ばした途端にそれは逃げていってしまって、今度は優しく歯列をなぞられる。そんな風に焦らされればぞくりと背筋が震えて、合わさる唇の隙間から熱っぽい吐息が零れた。

全身の力が抜けそうで、何かに縋りつかずにはいられない。多田さんの背中に両腕を回して、グッと力を込めて抱きつく。

身体の芯が熱くて堪らない。このままだと何かが融け出してしまう。



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