K01 : 熱の入江[8/24]


「楓、ごはん食べるでしょ」

「ううん、ごめん。昨日夜更かししたから、あんまり食欲ないんだよね」

なるべく明るく聞こえるようにそう言えば、母さんはちょっと溜息をついて「あんまり不規則な生活しちゃダメよ」と呟いた。

「俺、ちょっとシャワー浴びて、着替えてくるから」

そう言ってリビングを出ようとする俺を追い掛けるように、背後から静かな声がした。

「楓、あとで部屋に来いよ。見せたいものがあるんだ」

絡みつくようなその低音に、ビクリと肩が上がってしまう。

母さんに変に思われなかった? それだけが心配。

「……うん、わかった」

振り返らずに返事をすれば、穏やかな母さんの声が聞こえてくる。

「あなたたち、本当に仲がいいのね」

ああ、よかった。大丈夫。

俺は心底安堵する。





「ん……う、ん……っ」

俺の口の中を圧迫しているものが喉の奥を抉るように突いてきて、胃から何かがせり上がりそうになるのを必死に堪える。

「ほら、楓。もっと舌使えよ」

髪を掴まれて後ろへグッと引っ張られるから、顔が上がってしまう。

愉悦を含んだ笑みを浮かべながら、ベッドに腰掛けた兄貴は冴え冴えとした眼差しで俺を見下ろしてた。

その瞳は、背筋が凍えそうなほどに冷たい。

うるさく羽音を立てるような虫を殺すときだって、そんなふうには見ないだろう。

兄貴がこんな瞳をするのは、俺を見るときだけだ。

ねっとりと絡みつくような視線を感じながら目を閉じて一生懸命にフェラを続けるうちに、硬さを持ったものがぶるぶると小刻みに震えだした。

1秒でも早く終わらせたくて、わざといやらしい水音を立てて追い込んでいけば、低い呻き声と共に生暖かいものが放たれた。

断続的に吐き出されるそれを、俺は口の中でどうにか受け止める。

収縮が収まった途端、グイ、とまた前髪を上の方に強く引っ張られて、その拍子にもう萎えてきたものが口からずるりと出ていった。

「……あ、っ……」

ぬるい欲の残骸がどろりと口の端から零れて顎を伝っていく。

それを目線で追い掛けながら、兄貴は愉しげにニタリと笑った。

「ちゃんと全部飲めよ、バカ」

親指で乱暴に顎を拭われて、口に突っ込まれる。

グリグリと強引に歯列を割って入ってきたその指を、舌を絡ませながら吸う。

苦味に顔を顰めながら、息を止めて口の中に溜まっているものを必死に飲み込んだ。

空腹だからか、喉から胃に緩い熱が流れ落ちていくのが妙にリアルに感じられる。

目が覚めて1番に口にしたのがこんなのだなんて、ホントにツイてない。

こんなこと、俺にとってはもう何でもないことのはずだった。

なのにどうしてだかわからないけど、今日はいつにも増して精神的にキツイ。

小さく息を吐きながら、俺は突きつけられる現実から束の間逃げるためにぼんやりと意識を飛ばす。

兄貴がこの家を出たのは大学進学がきっかけだった。ちょうど俺が中学2年生になる前だ。
兄貴が一人暮らしをすると知ったとき、俺は本当に嬉しくて堪らなかった。

1年近く続いたこんなふしだらな関係から、やっと解放される。そう思ったから。

実際にはそうじゃなかった。数ヶ月おきに兄貴がこの家に帰ってくる度にノルマのように繰り返されるこの行為は、なくなることなんてなかった。

それでも、毎日家で顔を合わせて怯えて暮らすよりはずっとマシだった。だから今まで何とか我慢してこれたのかもしれない。

「楓。いつもの、してみろよ」

冷たい眼差しで促されて、背筋をゾクゾクと悪寒が駆け上がる。

俺は濡れた口元を拭いながら、無駄だとわかってて首を横に振った。

「俺、昨日したばっかりで」

見え透いた嘘は通用しない。そもそも嘘じゃなくても兄貴が恩情なんて掛けてくれるはずがなかった。

「───だから?」

有無を言わさない口調に、俺は唇を噛む。拒否する権利なんて最初からない。

痛いぐらいに注がれる視線を感じながら、履いているズボンを下着ごとずらしてベッドに腰掛ける。

ひんやりとした空気に触れた俺の半身は完全に萎えてしまってて、全然勃つ気配がなかった。

ガチガチになってる身体の力を抜きたくて、そっと息を吐く。

くたりとしなだれたそれに右手を掛けて、俺はゆっくりと扱きだす。

凍てつく眼差しの強さに堪え切れなくて、目を閉じる。こんな状況でも刺激さえちゃんと与えれば、意思には関係なく反応することを知ってる。

わずかな快楽の糸を追い掛けるように手繰り寄せていけば、少しずつ手の中のものが硬さを増してくる。

「……ん、ぁ……っ」

早く出せば、早く解放される。

だから目を瞑って、気持ちいいことを思い出そうと必死に意識を集中させる。

この間したエッチのことを考えようとするけど、こんなときに限って記憶が曖昧で全然思い出せない。

最近連絡取った人って、誰だっけ。

それは結構前のような気がして、記憶を順に遡って───不意に、あの三日月の夜を思い出す。

キラキラした奇跡みたいな夜に出逢った、あの人のこと。

『もっと自分を大切にしないと駄目だよ』

あの優しい笑顔と心配そうな口調を思い出した途端、なぜか心臓が鷲掴みにされたみたいに強く痛んだ。

多田さん、それは無理。だって俺はずっと前からこんなことしてきたんだよ?

俺の頭を撫でてくれた、温かな掌。

その感覚を思い出して記憶の底でゆったりと反芻するだけで、ざわざわと胸が騒ぎだす。



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