the 4th day[11/15]

夜の帳が下りた高速道路を飛ばせるだけ飛ばして帰路につく。ハルカはちゃんと俺を待ってくれているんだろうか。悪い想像ばかりが頭をよぎり、気が気じゃなかった。
もしもハルカが姿を消してしまっていたら、それこそ何のためにこの四日間を過ごしてきたのかわからない。
無我夢中でマンションに帰り着き、車から降りた途端全速力で駆け出した。エレベーターで最上階に着くとまた部屋まで走り、急いで鍵を開ける。

「ハルカ!」

玄関には俺のものではない靴がきちんと揃えられていた。リビングに灯る明かりが視界に入って、不意に泣きそうになる。
勢いよくドアを開けて部屋に入ってきた俺を見て、ハルカが驚いた顔でソファから立ち上がる。

ああ、ちゃんと待っててくれたんだ。

安堵の息をつけば、ハルカは穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

「タクマさん、お帰り」

両腕を伸ばしてそっと抱きしめる。ふわりと鼻をくすぐるのは、しなやかな身体から放たれる芳醇な花の匂い。ハルカの香りに包まれながら、何度も深呼吸を繰り返す。

「……よかった」

背中に腕が回って、子どもをあやすように上から下へと何度もさすられた。優しい癒しの掌が、疲れているはずの身体と心を鎮めてくれる。
おもむろに顔をあげて、ハルカは上目遣いに俺を見つめた。

「何か食べる?」

うん。よくできた嫁だね。
にやけながら身体を少し離して、返事の代わりに桜色の唇を軽く啄ばんだ。





帰りが遅くなったというのに、ハルカは夕食をとらずに待ってくれていた。
肉じゃが、豆腐とワカメの味噌汁、小松菜のおひたし、オクラと長芋の和え物。
遅めの夕食にちょうどいい味付けだった。薄味の和食は、しばらく会っていない育ての母が作る料理を喚起させる。もしかすると、その母から習ったんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
まあ、そんなはずもないんだけど。

── 静かだな。

箸を運びながら、ふと物淋しさの理由に気づく。
この家からミチルがいなくなったせいだ。

「ミチルは大丈夫だった?」

ハルカも同じことを感じていたのだろう。ミチルの身を案じているというより、話題にすることであの子の不在を惜しみたいのかもしれない。
そっと頷けば、柔らかな微笑みを向けてくる。

「そう、よかった」

もしかしたら。いや、きっと。
ハルカはもう全てを察しているんだろう。ミチルがあの小さな身体で自らの道を切り拓いていくであろうことも。そして、俺が刑事を辞めないと決めたことも。

食事を終えて、ハルカに片付けを任せた俺は風呂に湯を張りに行った。
少しずつ水位を上げる浴槽の水面を見つめながら、過去に想いを馳せる。

── ハルカ。俺はもう、気づいてるんだよ。

リビングに戻り、ソファに身体を沈めて深く溜息をつく。疲労感がじんわりと身体の表面に浮き上がってくる感覚がした。
キッチンからゆっくりと歩み寄ってきたハルカの腕を引き寄せて、その身体を抱きしめる。
熟した甘やかな匂いを胸いっぱいに吸い込めば、愛おしい気持ちがまた込み上げてきた。

「ハルカ、俺とずっと一緒にいてくれないか」

耳元で低く囁けば、腕の中で身体が小さく身じろぐ。

「……ごめんなさい」

淡々と告げるその声は微かに震えていた。深く息を吐いたのは、それを抑えるためなんだろう。

「タクマさんといることはできないんだ」

「随分簡単に振られちゃったね」

わざと茶化すようにそう言って顔を覗き込む。泣きそうに潤んだ瞳は、風に吹かれた水面のように儚げに揺れていた。

「でも、今日が終わるまではここにいていい?」

「当たり前だろ。よかった」

額をくっつけ合って、視線を掬い取るように絡めてから桜色の唇を啄ばむ。

「それでじゅうぶんだ。ありがとう」

残された二人の時間はあと僅かしかない。けれど、この四日間は俺に希望を与えてくれた。この子にとってもどうかそうであってほしいと願う。

「タクマさん……」

そんなに悲しそうな瞳で見ないでほしい。その顔は、大好きだったあの人に本当によく似ているんだ。

「ハルカ。最後に、俺の頼みを聞いてくれる?」

そっとそう伺えば、ハルカは憂いを帯びた瞳を煌めかせて頷いた。

「僕にできることなら、何でもするよ」






シャワーを浴びながら二人でじゃれるように身体を洗い合う。たくさんのキスをして、見つめ合って肌を寄せるとハルカはそっと吐息を漏らした。
どんどん昂まっていく欲をわざと抑えつけて、丁寧にスキンシップを繰り返していく。
何度も口づけながらもつれるように寝室に移動し、ベッドに横たわった。二人分の重みでスプリングが軋んだ音を立てる。

「俺の初恋相手がハルカとよく似てるって、話したね」

至近距離で見つめ合いながら、お互いの熱をゆっくりと押しつける。頷くハルカの柔らかな頬に唇を押しあてた。

「俺、その人を無理矢理抱いたんだ。それきり会ってないし、その人とは音信不通だ。もうこの先二度と会うことはないと思う。相手の気持ちも考えずに本当にひどいことをした。どれだけ後悔したところで、過ちをなかったことにはできない。でもね、ハルカ」

光を灯したようにキラキラと輝く瞳はゆらりと情欲に濡れ、それでもなお無垢な色を浮かべていた。
穢れのない眼差しに胸が痛む。

「もっとちゃんと伝えられたらよかったって、思ってるんだ。優しく触れて、俺がどれだけ好きなのかを肌で感じてもらえるぐらい、その人を大切に愛したかった」

くだらない懺悔の言葉を淡々と告げていく。そのひとつひとつを聞き漏らすまいとするかのように、ハルカはじっと俺を見つめていた。

「……いいよ」

ふわりと柔らかな微笑みを向けながら、天使は小さな声で俺の願いを口にする。

「僕のことをその人と思って、抱くんでしょう」

察しがいい。なんてひどいことをしようとしているんだと、自分でも思う。
それでも俺が恐る恐る頷けば、ハルカは桜色の唇を微笑みの形に開いた。

「大丈夫だよ。僕でよければ、幾らでも代わりになる」

身代わりを務める。俺の身勝手な提案を、ハルカは難なく受け入れてくれる。白い頬に手をあてて見つめていると、本当にきれいな瞳をしているなと改めて思った。
こんな奇跡は、もう二度と起こらない。

「ハルカも、そうすればいいよ」

「……え?」

「ハルカが今一番会いたい人のことを想えばいい」

びっくりしたように目を見開くハルカの表情がかわいくて、微笑みがこぼれた。

「まあ、俺には務まらないと思うけどね」

「そんなことないよ」

ハルカはどこか遠くを見るような瞳をして、それからゆっくりと瞼を閉じる。

「うん、そんなことない」

その脳裏に描くのは、一体どんな人なんだろう。天使のようなハルカに相応しい、俺には到底手の届かないような存在に違いない。
ハルカを初恋相手の代わりにしようとしているのに、そんなことを考えて嫉妬してしまう俺は、やっぱりひどい男だと思う。



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