the 1st day[17/20]

その観察力に舌を巻きながら2人のもとへと足早に近づけば、ハルカが突拍子もないことを言い出していた。


「これ、買いたいと思ってたんだよね。僕たちが買うから、あとで半分こしようか」


おい、何を言うんだ。


「ハルカ」


驚いて呼びかければ、ハルカは追いついた俺を振り返って美しい微笑みを向ける。その子の手から取ったパンを、俺の持つカゴに入れてそっと肩を押してきた。


「タクマさん、レジで精算してて。僕たちは先に出てるから」


「待ってくれよ。ハルカ、俺は」


こんなところで面倒ごとに巻き込まれたくないんだ。喉元まで出かかった言葉は、有無を言わさぬ口振りに封じ込められてしまう。


「お願いだ」


言葉じりは柔らかくても、眼差しは鋭かった。仕方がない。だったら警察沙汰にならないように事を運べばいいだけの話だ。


「……わかったよ」


溜息をつきながらそう答えれば、ハルカはホッとしたように表情を緩ませた。オドオドとあからさまに戸惑う少年の背中に軽く手をあてて、2人して店の出入口へと向かっていく。

穏やかに見えるけど、意外と意思は強い。胸の内のハルカメモにそう付け足しながらもう一度溜息をついて、俺は買い物カゴを片手にレジへと足を向けた。





大きなレジ袋を両手に提げて車をとめた場所へと歩いて行くと、手持ち無沙汰に立ち尽くす2人の姿が見えた。

ハルカより一回り小さな少年は、俺の姿を見つけた途端ビクリと身を竦める。

「おい、万引き少年」


近づきながらわざと横柄に呼び掛ければ、今にも泣き出しそうに瞳を揺らしながらじりじりと後ずさっていく。


「な、なに」


「へえ、一丁前に言い返してくんの?」


成長過程の真っ只中にいる、ひょろりとした頼りない身体つきだ。色が白くてよく見れば女の子のようにかわいい顔立ちをしている。

その怯えた表情に、俺はつい嗜虐心を駆り立てられる。悪ガキにお灸を据えたくなるのは悪い職業病だった。


「タクマさん、この子は何も悪いことをしてないよ」


そう言って一歩前に出て庇おうとするハルカを見て、俺は一気に意気消沈してしまう。

この子に万引きをやめさせたのは、他でもないかわいいハルカなんだ。それを思えば、ここでこの子に万引きの犯意を問うのは得策ではなかった。


「わかったよ」


ハルカと少年の顔を交互に見比べて、俺は気づく。顔の作りは違うけれど、この2人は雰囲気がどことなく似ている。兄弟だと言われれば、そう見えなくもない。


「お前、家はどこだ。そんなに遠くなけりゃ、家の近くまで送ってってやるよ」


車の後部ドアを開けてシートの上にレジ袋を無造作に置いてから振り返れば、少年は強張った顔で必死にかぶりを振っていた。

生意気にも、送ってくれるなとでも言うつもりだろう。


「住所を言えよ、家出少年」


語気を強めれば、ビクついてまたハルカの後ろに隠れてしまう。まるで小動物だ。


「い、家出なんて、してな……」


「お前ね、そんな格好して、家出してきたって丸わかりなんだって。ここで警察を呼ばれんのと俺に家まで送られんの、どっちがいい? 選ばせてやるよ」


選択肢を並べておきながら、どちらを選ぶかは一目瞭然だ。警察を呼ぶなんて、こっちがごめんだった。俺の今の立場がバレたら面倒なことこの上ない。

俺の言葉に少年は俯いて、か細い声で言い返す。


「……僕のことは、ほっといて」


そのつもりだったよ。ハルカが声さえ掛けなければ。

乗りかかった船だ。深く関わるつもりはないけれど、大人として最低限のことはしてやるべきだろう。


「お前ぐらいの年でしょっちゅう万引きしてる奴は、盗ってる最中も顔色ひとつ変えないよ。物を盗んでるっていう感覚がないから、自分が悪いことをしてるなんて思っちゃいないんだ。でも、お前は違う。パン1個を取ろうとしただけであんなにビクついてた。どうせ初めてだったんだろ。そこから導き出される答えなんてひとつしかない」


ダラダラと前口上を並べているうちに、その子はいつの間にか顔を上げて喰い入るように俺を見つめていた。


「お前は家出してきて、しかもパンを買う金さえ持ってない。だから、万引きをするしかなかったんだ。
家には帰れない。金はない。だったらどうする気だ。まともな大人はお前みたいに家出してきた未成年を雇わないからな」


何か言いたげにこちらを見るハルカの視線が突き刺さるのを感じるけれど、それに気づかない振りをして言葉を続けていく。


「ふらふらしてるうちに悪い大人に引っかかって、本当に家に帰れなくなる。そうなったらもう、取り返しがつかないんだ。今ここでちゃんと家に帰っておけ」


そう言い放てば、俺を喰い入るように見つめる大きな瞳がみるみる潤み出した。それを隠すためか慌てて俯いた拍子に零れ落ちた大粒の涙が、アスファルトに小さな染みを作っていく。


「……家には、帰れないんだ」


やっとのことで紡ぎ出された言葉が、それだった。


「どうしても、帰れない」


そう言って、視線を下げたまま唇をきつく噛み締める。白い頬に幾つもの濡れた筋が描かれていくのを見るうちに、俺は掛ける言葉を失ってしまっていた。


「タクマさん。この子を連れて帰ってあげよう」


沈黙を破ったとんでもない台詞に、俺は驚いて振り返る。


「ハルカ、それはちょっと」


「この子には帰れない事情があるんだ。家に帰らせてあげるのは、今すぐじゃなくていいよね。もう少し落ち着いてからでも遅くないよ。タクマさんだって、そう思うでしょ」


俺には有無を言わさぬようにそんな言葉を投げかけておいて、その子の肩を抱き、優しく頭を撫でる。


「泣かないで。一緒においでよ。この人は、君のことを考えてあんなことを言っただけだ。絶対に悪い人じゃないから、大丈夫」



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