俺がそうだったように、兄ちゃんもきょうだいが欲しいと思っていたらしかった。
『俺も一人っ子で育ってきたからさ。拓磨みたいなかわいい弟ができて、すごく嬉しいんだ』
兄ちゃんは、子どもが好きだと言っていた。大人になったら早く子どもが欲しい。まだ高校生だというのに、時々冗談めかしてそう口にすることがあった。
それを聞いた俺は、生まれてきた子どもに兄ちゃんを取られることを想像しては淋しく思っていたものだ。今じゃ全くの笑い話だけど、俺は相当のブラコンだったんだなと思う。
俺が小学校に入ったばかりの頃、兄ちゃんが近場の遊園地に連れて行ってくれて、そこでヒーローショーの催しを観たことがあった。 当時、テレビで放送していた特撮戦隊物のショーだ。
俺はその番組が大好きで、毎週日曜日の朝に欠かさず観ては友達とヒーローごっこをして遊んでいた。
俺はヒーローになりたかったんだ。
『兄ちゃん。俺、正義の味方になりたいんだけど、どうやったらなれるかな』
観覧席でそう口にする俺に、兄ちゃんは笑いながら提案する。
『あんな風に変身するのは難しいかな。正義の味方だったら、警察官なんてどうだ』
兄ちゃんが口にした"警察官"という響きは、驚くほどすんなりと俺の中に染み込んできた。
悪い奴を倒したかった。
大切な人を守れる人間になりたい。
だから、俺の子どもの頃の夢は、警察官になること。
*****
「タクマさん」
「ん、何」
さらさらとした髪を撫でながら応えれば、腕の中でハルカが顔を上げて俺を見つめる。
その表情がすっかりリラックスしていることが俺には嬉しい。それがここを自分の居場所だとハルカがちゃんと感じている証だと思うからだ。
こうして2人で何をするでもなく過ごしていると、時間が経つのがとても早い。ソファに寝転んだり掛けたりして肌を寄せ合いながら他愛もない会話をしているうちに、部屋の掛時計は午後4時を指そうとしていた。
「冷蔵庫の中、あんまり食料品が入ってないよね。タクマさん、料理はしないの?」
ハルカがそんなことを言い出したのは、夕食の時間が近づいてきているからだろう。
「全くってわけじゃないけど、1人だと面倒だからなかなか作る気にならないんだ。いつも出来合いを適当に買いに行ったり、外食したり」
「僕、ごはん作るよ。スーパーに連れて行ってくれる?」
上目遣いのかわいいおねだり。スーパーに誘われるだけでこんなに胸がこそばゆくなったのは初めてだ。
「いいよ。一緒に行こう」
向けられる微笑みの愛らしさにそのまま唇を啄ばむ。
ああ、俺はすっかりハルカにイカれてる。
このマンションの狭い立体駐車場から車を出すのは、考えてみれば随分久しぶりだった。
近場じゃなくて、車を出して少し遠くの品揃えのいい大型スーパーへ向かうことにした。それがハルカのご所望なんだから、もちろん喜んで従わせてもらう。
細街路から幹線道路に出たところで、助手席に掛けるハルカの手を取って繋ぐ。繊細な作りをした美しい手は、ひんやりと冷たくて気持ちいい。そっと指を絡めて握り締めると、ハルカはくすぐったそうに笑った。
「こういうの、嫌い?」
嫌だと返されても離すつもりなんてないのにそう訊いてみれば、ハルカはかぶりを振って否定した。
「ううん、そんなことないよ」
そう言ってこちらに向けられるのは、はにかんだかわいい笑顔だ。
「なんかいいなって思う。すごく嬉しい」
「そっか。俺も嬉しいよ」
それが心からの言葉に聞こえることに安堵しながら、片手でステアリングを切って交差点を左折する。
穏やかで優しい時間は、俺の心を緩やかに癒していく。
スーパーの広々とした駐車場に車を入れた俺は、先に降りて車を回り込み、助手席のドアを開けた。
「ハルカ、おいで」
伸ばした手をしっかりと取って、ハルカが降りてくる。こうして外で見ると、少し細いが脚が長くバランスのよい身体つきだと改めて思う。
「タクマさんって本当に優しいね。誰にでもそうなの?」
そう言うハルカは微笑んではいるものの、どこか不服そうにも見える。それがやきもちだったら嬉しいんだけどね。そんな勝手なことを考えながら、俺は空いた手でハルカの身体を引き寄せた。
「まさか。ハルカだからだよ」
「本当かな」
「本当だって」
そう言って細い腰を抱きながら前髪越しに額にそっと唇を押しあてる。くすぐったそうに俯くその顔のあどけなさに、妙にどぎまぎしてしまう。
ハルカはまだ、この間成人したばかりの子なんだ。急に悪いことをしている気分になってきて、その気持ちをごまかすように少し身体を離した。
「このまま手を繋いでてもいい?」
そう問うてみれば、ハルカは少し考え込むような素振りを見せてから小さく頷く。
2人で並んで入り口の自動ドアを潜ると、店内はまだ混雑する時間ではないらしく、閑散としていた。
「タクマさん、知ってる人に会わない?」
「確率はそんなに高くないけど、可能性はあるかな。でも、別にかまわないよ。俺ね、好きな子とはずっとくっついていたいんだ。人目なんて気にならないし、ハルカはこんなにかわいいから、皆に見せびらかしたいぐらいだね」
そう言って絡み合う指に少し力を込めて握り直せば、ハルカはきれいな微笑みを浮かべて眩しそうに目を細める。
「タクマさんって、真っ直ぐな人なんだね」
「いい年して、バカみたいだろ」
「ううん。すごくいいと思う」
そんなことを口にするのに、ほんのりと淋しげな笑みを零すのが気にかかる。
なぜだろうか。こうして甘えさせようとする度に、ハルカはどこか遠慮がちになる。それは何も初対面だからというわけではない気がした。
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