「ほら。泣くなよ、アスカ」親指で涙を拭いながら、ユウが僕の顔を覗き込む。俯く僕の頭をそっと引き寄せてくれて、僕はその温かな体躯に縋りつきながら小さな子どものように涙をこぼした。「お前の準備ができてからでいい。いつになってもかまわない」ユウの首に両腕を回し、身体をすり寄せるように抱きつき何度も頷く。今はまだ、残りわずかなこの時間に甘えても赦されるだろうか。けっして突き放されたわけではない。僕が自分を欺きながらここにいようとしたことが、ユウにはわかっていた。だからこそ僕が飛び立てるようにしてくれる。それがこの人の優しさだ。ひとしきり泣いた後、僕たちはベッドへと移動した。スプリングが優しく身体を受け止めてくれる。雲の上のような寝心地は、まさしく天上のようだ。薄明かりの中、二人で横たわり体温を移し合うように身を寄せれば、ユウは僕の手首を取ってその内側を確認した。うっすらと肌に残る痕に唇を押しあてられると、そこが強く脈打つ。その部分を中心にドクドクと鼓動が速まるのを感じた。この四日間が始まる前、ユウに付けられた痕だ。舌がそこをなぞりながら這っていく。まるでまじないのような行為だった。こうしてユウは僕に刻み込んだ烙印を消しているのだろう。それを眺めながら、僕はもうここにいる理由がなくなってしまったことを改めて感じていた。「……悪かった」短い言葉にかぶりを振りながら、胸の苦しさを吐き出すようにそっと呼吸をする。謝らなければいけないのは僕の方だ。僕は自分の犯した過ちにユウを巻き込んでしまった。けれど、きっとユウは僕の謝罪など望んでいない。だから、代わりに今伝えられる言葉を口にする。「ありがとう」僕の目の前で、その瞳はわずかな光を反射してキラキラと輝く。星の光を集めたように煌めく双眸は、哀しいほどに美しい鳶色をしている。「ユウ、ありがとう。大好きだよ」ゆっくりと瞼が降りて、再び開く。その瞳を間近で見た僕は、息を呑んだ。 『飛鳥、生きてくれ』ああ、サキ。『愛してるから、生きてくれ』時間が巻き戻ったかのように、窓からサキが身を乗り出す光景が脳裏をよぎる。僕の前で空へと飛び立ったあの時、サキはまさにこの瞳をしていた。覚悟と希望を凝縮して閉じ込めた、哀しい眼差しだ。「サキ……」震える声を絞り出して、僕は鳶色の瞳を喰い入るように見つめる。ねえ、サキ。あの時、サキは何を思っていたの?「サキ、サキ」 この人がサキじゃないことはわかっていた。それでも僕は何度もその名を呼び、目の前の身体に腕を伸ばして縋りつく。ぬるい体温が震える僕を包み込み、寒さに強張る心を温めてくれようとする。この手に触れる人は、サキではない。それでも、僕は。『──飛鳥』サキと同じ瞳をした人に、懺悔する。ねえ、サキ。けっして叶わないことは、誰よりも僕自身がわかっているから。赦されない罪を懺悔するよ。好きな人がいるんだ。どれだけ忘れようとしても忘れられない、苦しいぐらいにこの胸の内を占める人。でも、大丈夫だよ。諦めはとうについている。だから、どうか。「アスカ……」「サキ、どうか僕のことを」ゆるして。赦免を請う言葉は、唇に触れる熱に閉じ込められる。僕は目を閉じて、ただ与えられるままにその口づけを受け容れるしかない。そこから流れ込んでくるのが他の何にも代え難い種の感情であることを知りながら、僕は残酷なまでにそれを拒み、甘い蜜だけを吸うのだ。訣別のキスは、注ぎ込まれる度に僕の心を無機質に染めていく。天上の揺り籠に揺蕩いながら、僕はこの旅路の終焉が間近に迫っていることを感じていた。"Angelic Kiss" end - 95 - bookmarkprev next ▼back