prologue[2/2]

一海(カズミ)

消灯後の暗い廊下に出た途端、精一杯押し殺した囁き声で名を呼ばれる。その鈴のような美しい声に安堵して、俺は言葉を返す。

『空、誰にも見つかってない?』

『大丈夫。行こう』

こちらへと真っ直ぐに伸ばされた手を、少し躊躇ってから取る。この年齢で姉と手を繋ぐのは恥ずかしいことではないかと俺は思うのに、姉にはそんな気持ちはないらしい。
あの事故から五年の月日が流れ、俺は十歳になっていた。あと少しで身長は空に並ぶ。もう小さな子どもではないのに、空にとって俺はいつまで経っても幼い弟のままだ。
暗がりの中を手を繋いで歩いていく。職員が寝ている部屋に面する廊下を屈みながら通り抜け、靴を履いてそっと玄関扉の鍵を開ける。
音を立てないように静かに重い扉を押し開ければ、澄んだ夜の空気が流れ込んだ。それだけで、もう気持ちが昂ぶってくる。
月明かりの下、フェンスを乗り越えて俺たちは夜の世界を駆け抜ける。





丘を必死に登って、草むらの上で二人並んで仰向けに寝転がる。
空に広がる満天の星は、ひとつひとつが生命を持っているかのようにチカチカと瞬いていた。遠足で行ったプラネタリウムで見た星よりもずっと繊細な光を放って美しく輝く。
ゆっくりと星が降り注ぐような夜。
風が吹く度に草のにおいが強まって鼻腔をくすぐる。
俺たちがここへ来る理由は、ふたつあった。
ひとつは、人は死んだら星になると聞いたから。この輝きのどこかにきっと父と母がいると、思い込もうとしていた。
そしてもうひとつは──星降る丘で願ったことは叶うと信じていたからだ。
隣に横たわる空の手を、そっと握りしめる。
この可憐な少女が、今は俺にとってただ一人の肉親だった。

『空』

呼びかければそっとこちらを見る大きな目の中には美しい星が煌めいていた。

『俺、人の生命を救う仕事がしたいんだ』

空は幾度か瞬きをしながら優しく微笑む。

『何? お医者さんかな。あ、看護師さん?』

『ううん、救急救命士。かっこよくない?』

何日か前にテレビで見た救急救命士のドキュメンタリー番組に、単純な俺はひどく感化されていた。救急車に同乗し、現場へと駆けつけては傷病者に処置を施していくその姿はとても頼もしく輝いて見えた。

『すごくいいと思う。一海なら大丈夫だね。人の生命の大切さを知ってるから』

俺は少し淋しい気持ちで頷く。五歳の頃に目の前で失われたふたつの生命。あの時感じた無力さは、別の誰かを救うことで報われるかもしれない。

『じゃあ、一海の夢を叶えるのが、私の夢』

澄んだ鈴の音のような声が、耳元で響いた。強く握り直した手は、少しひんやりとして心地いい。
俺は空と同じ夢を見る。
プラチナの星空に包まれながら。








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