「─── 嘘だ」
そう呟きながら、俺は心の中で自分の言葉を否定していた。
男の言うことに、きっと偽りはない。
「本当に……悪かった」
今や銃口を向けられているこいつより、引鉄に指を掛ける俺の方が震えていた。
「やめてくれ……!」
そんな苦渋に満ちた顔をするなよ。
俺が見たかったのは、それじゃない。
空を騙して死に追いやったことを、お前に後悔させてやりたかった。
空が死んでから、この2ヶ月の間。
死にたくない、助けてくれと泣き喚いて命乞いをするお前の無様な面を拝みながら、この引鉄を引く。ただそれだけのために、俺は生きてきたんだ。
─── 突然、扉の開く音がした。
「なんだ。まだそんなことをしてるの」
部屋に響くのは、抑揚のない澄んだ声。振り返れば、衣服を纏った美しい男が微笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。
髪が濡れているのは、シャワーでも浴びていたのだろうか。─── こんな時に。
呆気に取られる俺の目の前で、アスカは鳥が飛び立つように軽やかにベッドに飛び乗った。その弾みでスプリングが小さな音を立てて軋む。
「お前、まだ」
帰ってなかったのか。
そう言い終える前に、俺は把持していた拳銃を奪い取られていた。
全てが一瞬だった。
そのまま両手でグリップを握りしめて、アスカは銃口を男の頭に押しつける。
「おい、アスカ」
何を血迷ったのか。目を疑う光景に、俺は焦ってその名を呼ぶ。
アスカは俺に視線を流して、穏やかな口調で語りだす。
「カズミさん。僕には最初からわかっていたんだ。あなたに人を殺すことはできない」
真実を射抜く瞳はゾクゾクするほど強く美しい光を放ち、妖しく煌めく。
男は目を見開いて横目で必死にアスカを凝視していた。きっとこいつも肌で感じているのだろう。
アスカが戯れでこんなことをしているのではないと。
「こんな口車に乗せられて簡単に絆されるなんて、あなたは本当にいい人だ。でも、そんなことではお姉さんの仇は討てない」
穏やかに強い言葉を紡いだ口元が、微笑みの形に結ばれる。けれどその眼差しは、揺らぐことなく真っ直ぐに銃口の先を捕らえていた。
「エイジさん、僕はあなたが好きだったよ。僕に見せてくれた優しいところも、弱いところも。あなたと一緒に過ごした時間は、短かったけど本当に楽しかった」
想いを告げる口振りは単調で、まるで用意された台詞を読むかのようだ。
故意に感情を押さえつけて語っている。そんな風に聴こえた。
「ねえ、言ったよね。僕は人を殺したことがあるって」
心地よい低音で投げかけられた言葉は、俺に向けられたものだった。
冷たいものが背筋を這い上がっていく。薄ら寒くて堪らない。
「1人殺してるんだから、もう1人殺すのも変わらないんだ」
その瞳が薄っすらと潤んで、小刻みに震える。
自らを穿とうとする杭を進んで呑み込んでいくかのようなその姿に、俺は息を詰めて見入る。
アスカ。お前が殺したと言うその相手は誰なんだ。
「ねえ、エイジさん。知ってた? この人のお姉さんは、妊娠してたんだ」
唄うように紡がれた言葉に、男の顔が険しさを増す。
「妊娠って……」
「もちろん、あなたの子どもだよ。彼女は、あなたと家族になろうとしていたんだ」
「……そんな」
男は眉根を顰めながら見開いていた目を閉じて、自責の念に駆られたかのように口を開いた。
「空が、俺の子を……」
「悔やむことなんてない。彼女と、お腹の中にいた小さな生命。あの世で2人に逢って、気が済むまで謝ればいい。 エイジさん、初めて会った時に僕と約束したことを憶えてる?」
甘く囁きながら、アスカは深い哀しみを閉じ込めた眼差しを男に向けて、優しく微笑んだ。
「僕が、あなたを連れて行ってあげるって───」
魅惑的に奏でられる別離の台詞に被さるように、不意に俺の耳元で蘇るのは、低く響くあの声。
それは、PLASTIC HEAVENのマスターが言っていた言葉だった。
『アスカが無茶なことをしようとしたら、絶対に止めてくれ』
─── もう、後悔したくない。
細い人差し指に力が込められて、引鉄がギリギリと絞られていく。目の前で繰り広げられるコマ送りのモーションに、心臓がドクリと大きな音を立てて鳴り響き、その弾みで俺は声に出して呼ぶ。
こんな下らない俺の代わりに、罪を犯そうとする者の名を。
「アスカ!」
頭で考えるよりも早く、身体が動いていた。
緊張を孕み膨張していた時間が、この掌の中で堰き止められる。
「─── ッ」
アスカが押し殺していた息を漏らす。
3つの呼吸音が、渦巻くように部屋を満たしていた。
力一杯右手で握り込んだシリンダーは、凍てつくほどに冷たい。
『回転式拳銃は、引鉄を引くことでシリンダーが回って弾が発射される仕組みになってるんだ』
そう言って、幸也は蓮根型のシリンダーを開き、俺に見せる。中は空洞で、弾が入っていないのが確認できた。
カチャリという音と共にシリンダーが閉じられて、拳銃を渡される。
『一海。撃鉄を起こしたら、引鉄に指を入れて』
言われるままにグリップを握り締め、撃鉄を起こして引鉄に指を掛ければ、幸也がシリンダーを包み込むように右手を被せて、上目遣いで俺を見る。
『撃ってみて』
指に力を込めるが、ビクともしなかった。
『シリンダーを固定してしまえば、引鉄を引くことができないんだ。つまり、弾は出ない』
幸也。お前の教えてくれたことは、役に立ったよ。
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