the 3rd day[1/12]

目が覚めると、ベッドの中で1人だった。

空いたスペースに手を伸ばして、シーツの感触を確かめる。

仄かな温もりと花のような残り香が、先程までここに寝ていた者がいることを示していた。

寝室からリビングに出ると、キッチンにアスカが立っているのが見えた。

魚の焼けるにおいが室内に漂う。

「カズミさん、おはよう」

窓から射し込む朝陽を浴びながら、アスカは俺に柔らかな微笑みを向ける。

その浄らかな美しさに、思わず目を奪われ見惚れていた。

「今朝は和食にしようと思って。焼き鮭に、卵焼き、お味噌汁、ほうれん草のおひたし。他に何か食べる?」

「それでいい」

随分と家庭的だなと思う。

こうして陽の光を受けながら料理を作る姿は、ごくありふれた生活を送る青年に見える。

嫋やかに男を誘って抱かれるアスカとは別人のようだ。

今の姿が本当のアスカだという気がした。

「どうかした?」

子どものように澄んだ瞳に見つめられて、俺は目を逸らす。

「いや」

俺はアスカに対して、やり切れないわだかまりを抱いている。

それは恐らく、はした金で俺の身勝手な計画に加担させているという罪悪感に過ぎない。





「カズミさん、今日も仕事にいくの」

ダイニングテーブルに肘を付きながら、料理に箸をつける俺をアスカが上目遣いに見る。

今日は、昨日荷物を預けたコインロッカーの鍵を幸也に渡さなければならなかった。

「ああ、支度ができればすぐに出る」

短く答えれば、アスカはそっと目線を落とした。

「そう……」

睫毛が頬に落とす影が、小さく揺れる。

憂いを帯びたその表情はあまりにも淋しげで、親に置いていかれる子どものようだ。

その顔を目にした途端、俺は頭で考えるより早く余計なことを口走っていた。

「一緒に来るか」

何を言ってるんだ。連れて行ってどうする。
後悔したその瞬間、アスカは花が開くような美しい笑みを零す。

「本当?」

やっぱり駄目だとは、とても言えそうになかった。

「来たって何もない」

「うん、いいよ。カズミさんと少しでも一緒にいたいだけ」

どういうつもりなのか、嬉しそうにそんなことを言う。

溜息をついて、俺は目の前で微笑む男を見つめる。

「連れて行ってやるから、その代わりちゃんとメシを食え」

アスカは一瞬目を見開いて、こくりと頷いた。

鮮やかな黄色と白がきれいに渦を巻く卵焼きを一切れ箸で摘み、きれいな桜色の唇まで運んでいく。

微笑みの形のまま口を開けるその顔は、あどけなさを残しながらも匂うような色気を伴う。

どうして俺は、余計な情を抱こうとしているのだろう。

流されて気まぐれに身体を重ねてしまったのが悪かったのかもしれない。

俺にとってアスカは4日間だけ契約した、ただそれだけの相手だ。

それ以上でも、それ以下でもない。


*****


今日は堅苦しいスーツを着る必要はなかった。普段着のまま白いバンの運転席に乗り込めば、それに続いて助手席のドアからアスカが入ってくる。

シートに腰掛けるも、アスカは後ろを振り返って口を開いた。

「随分、積荷が多いんだね」

「商売道具だ」

端的にそれだけを答えると、もう追及してくることはなかった。

「人と会う約束をしてる。それが済めば、今日の仕事は片が付く」

エンジンを掛けて車を走らせる。やけに静かだと思って隣に目をやれば、アスカはぼんやりと窓の外を眺めていた。

憂いを帯びた表情からは凛とした透明感が滲み出ていて、美しさに拍車を掛ける。

「───カズミさん」

俺の視線に気づいたのか、アスカがこちらに目を向けた。

「お姉さんって、どんな人だった?」

突然そんなことを訊かれて、俺は僅かに狼狽する。

「どんなって……別に」

「あのマンションにはお姉さんの遺影とか、ないんだね」

ドキリとした。こいつはそういうところを見ているんだ。

「あそこは姉が独りで住んでたところなんだ。だから、置いてない」

「そうなんだ」

納得したようにそう言って、黙り込む。

物憂げなその様子に、俺は何となく想像がついてしまう。

アスカも、誰かを失っているんじゃないかと。

「お姉さんと、仲が良かったんだね」

『死に追いやった男に、復讐を果たしたいと強く願うほどに』

微笑みを向けるアスカの美しい眼差しは、俺にそう語り掛ける。

空のことを考えれば、あまりにも思い出は多く、けれどそのどれもが霞みのように朧げに揺れる。

「馬鹿な女だったよ」

こんなに明るい陽の下でするには、あまりにも相応しくない話だった。

「男に騙されてばかりの、つまらない女だった」

口から零れるのは、空の価値を貶める言葉ばかりだ。

そうすることで失った存在の大きさを少しでも紛らせようとする俺こそが、蔑まれるべき者に違いない。

「子どもの頃、俺は救急救命士になりたいと思ってた。そんなことを口にしたばかりに、姉は俺の夢を本気で実現させたいと願って、コツコツと金まで貯めてた」



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