the 2nd day[6/8]

高速道路を降りてしばらく車を走らせると、目的地に着いた。片田舎にある小さな駅だ。
駅前のパーキングに車をとめて、幸也から預かった段ボールを抱え、駅構内のエスカレーターを上る。
犯罪等が滅多に起こることのない、のどかな地域なのだろう。辺りを見渡したが防犯カメラは設置されていないようだった。
指定されたコインロッカーの空いたボックスに荷物を放り込み、鍵を掛ける。明日になってこの鍵を幸也に渡せば、この仕事はおしまいだ。
そうだ。これでもう終わるんだ。
車に乗り込んだ途端、無意識に大きく息をついていた。何の溜息なのかはわからない。それが安堵から来るものでないことは確かだった。
エンジンを掛けて、俺は帰路に着こうとしていた。
一体どこへ向かっているのだろう。
外はまだ明るいのに、闇雲に荒野を駆け抜けている錯覚がした。





家に着く頃には、すっかり日が暮れていた。
マンションのエントランスを潜り抜けて、エレベーターに乗り込む。玄関の扉を開ければ、ぬるく冷ややかな暗闇が拡がっていた。
短い廊下を通ってダイニングの灯りを点けると、テーブルの上に置かれた白いメモ紙が視界に入った。

『出かけます。食事は冷蔵庫です』

癖のないきれいな字は、アスカのものなのだろう。
あいつのところへ行っているに違いない。
ずっと一人でここに住んでいるのに、慣れているはずの空間に居心地の悪さを感じる。
アスカは今夜もまたしなやかな身体であの男を誘い、俺の望む通りに抱かれるのだろう。
そのために四日間の契約を取り付けたはずだ。これがアスカの仕事なのだから、俺が罪悪感に苛むことはない。良心などとうに捨てている。
原因のわからない胸のわだかまりに気づかない振りをする。
けれど、そんな俺を咎めるかのように、唐突に襲うのは──。

『……一海』

葬ろうとする度に反芻してしまう、あの記憶。

『一海、お願い』

鈴が震えるような美しい声が、耳元で聴こえる。

「やめてくれ……!」

『一海、一海』

必死に振り払おうとしても、禁じられた過去は亡霊のように纏わりついて俺から離れることはない。




空が家を出て行ってから自堕落に過ごしていた俺は、幸也と再会したことでそれまでよりも多少は楽な生活を送れるようになっていた。
俺は幸也から受ける仕事を順調にこなすようになった。怪しいところにさえ目をつむれば、こんなに割りのいい仕事はなかった。
そんなある夜、鳴り響く耳障りな電子音で目が覚めた。
枕元に手を伸ばして携帯電話のディスプレイに目を凝らせば、それは紛れもなく空からの電話だった。
午前二時という非常識な時間であることも、長い間連絡が途絶えていた空からの連絡だという事実にも胸騒ぎを覚える。
俺はもう空と関係ないんだ。
そう割り切った俺の意志を揺るがすかのように、着信音は鳴り止まない。
空に何かがあったに違いない。
そうは思うものの、俺は電話に出ることを躊躇してしまう。
今にも応答したい衝動に駆られる反面、今更何だという気持ちも強かった。
逡巡するうちに留守番電話に切り替わる。しばらくすると、メッセージの録音を通知する表示が画面に出た。
わざわざ聞く必要はない。空がこの家を出て行った時点で、俺は捨てられたのだから。
空に抱いていた淡い想いなどとうに消えていて、俺の中にはもはや怒りと憎しみしかないはずだった。
なのに──。
気がつけば俺は、意志とは裏腹に吹き込まれたメッセージを再生していた。

『一海……』

聴覚を鋭敏に刺激するのは、か細い声だ。まるで冷たい海に浸かりながら絞り出されたような、そんな声音だった。

『一海、来て。すぐに来て』

ぞわりと背筋が寒くなった。空が、俺に救いを求めている。

『──空』

届くはずもないのに、声を出してその名を呼ぶ。

『お願い、一海……』

啜り泣く声がプツリと途切れる。
俺はいても立ってもいられずに家を飛び出していた。
幸也から受ける仕事用にと中古で購入したワンボックスカーに乗り込み、空のマンションへと向かう。
足を運んだことはなかったが、場所はよく知っていた。
ここから車で二十分もかからないところにある、駅前の豪奢なタワーマンションだ。
夜道をがむしゃらに飛ばして着いたマンションの前に車をとめて、エントランスへと駆け出す。
ガラスの自動ドアを通り抜ければ、木目の両開きドアが目の前に立ちはだかっていた。
こんな高級マンションなのだから、オートロックなのはわかり切っていたことだ。だが、俺は空の部屋番号を知らなかった。
携帯電話を取り出して、空の電話番号に架ける。呼出音がワンコールで途切れたことに心底ホッとした。

『一海……』

掠れた声が耳に届いた。俺は今まで抱いてきたわだかまりを全てかなぐり捨てて、なりふり構わず必死に訴えた。

『空、今マンションの下にいる。ここを開けてくれ』

パネルの番号を空に教えられたとおりに押すと、ドアから解錠音が響いた。
逸る気持ちを押さえつけて、 一階に止まっていたエレベーターに乗り込み、最上階へと辿り着く。
空の部屋の前まで来ると、勢いよく玄関扉の取っ手を引いた。鍵は掛かっていなかった。

『……空』

重い扉の向こうには、久しぶりに会う空が立っていた。
ああ、亡霊のようだ。
魂の抜けた身体が、ぼんやりと立ち竦んでいた。泣き腫らした顔で、縋るように俺をじっと見つめている。
化粧気がない空は実年齢よりもずっと幼く見える。子どもの頃のようにあどけない顔をしていた。

『一海……!』

悲痛な声と共に、空が一目散に俺の元へと飛び込んできた。
狼狽えながら、華奢な身体を抱きとめる。子どもの頃は俺よりも大きかった空が、今は胸の中にすっぽりと収まるほどに小さくなっていた。



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