tha 4th day[1/6]

どんなにつらく悲しくても、生きていれば世界は動き続ける。そして、朝は必ずやって来る。
僕はユウと過ごすことで、そのことを強く実感するようになっていた。
今日は朝食を抜きたいと恐る恐る申し出ると、意外にもユウは許してくれた。

「アスカ。お前が何をすればいいか、考えてた」

二人でソファに掛けていると、ユウが不意にそう切り出した。

「──え?」

「仕事をしたいと言っていただろう」

そっと頷く僕に、ユウは言葉を続ける。

「お前はもっと、人と深く関わった方がいい」

鳶色の瞳が、光を淡く反射しながら真っ直ぐに僕を映し出す。

「お前にはサキが全てだった」

そうだよ、ユウ。だから、サキのいない世界はこんなにも虚ろだ。冷たい闇の中を何も纏わずに歩いているかのように、ひどくおぼつかない。

「この世界には、たくさんの人間がいる。中にはお前を必要とする者がいるだろう。お前には、人を救う力が備わっている」

その唇からこぼれるのは、魔法の呪文のような思いがけない言葉の羅列。
知らない国の言葉で語られるお伽話のようだった。ユウは僕を射抜くように見つめている。
人を救う、力。
何を言っているんだろう。僕は沙生を救えなかった。それどころか、その生命の灯火を消したのに。

「そんなにつらそうな顔をするな」

少し笑いながら、そっと手を伸ばして優しく頭を撫でてくれる。その仕草に胸がいっぱいになって、僕の視界は小さく揺れ始めた。
ユウは知っているのだろうか。サキもよく同じようにしてくれたことを。
聡明で優しくて、神様の申し子のように美しいサキ。
僕がサキを死に追いやった。僕の言葉がサキの背中を押した。
あんなにきれいなサキの生命を奪った僕を、神様は赦さない。

「人を救えるのは神でも仏でもない。人だ」

ユウの言葉はひどく神聖な輝きを伴いながら、僕の心に沁み込んでいく。

「お前は誰かを救う人間になる」





沙生の病室は、個室だった。
決して安くはない差額ベッド代は、侑がお見舞金代わりに出すと言い張ったらしい。僕たちのことを考えて取り計らってくれたに違いなかった。
久しぶりに、侑の携帯に電話を掛けてみる。

『──飛鳥か』

変わらない低い響きの声が耳をくすぐる。

『侑。今大丈夫?』

『大丈夫だ。何かあったのか』

その言い方には、確かに焦りが含まれていた。こんなに余裕のない侑の声を僕は聞いたことがなかった。

『何があったってわけじゃないけど、病室のことでお礼が言いたくて。ありがとう』

慌ててそう言えば、小さな溜息が聞こえた。

『そんなことか。別に、お前たちのためじゃない』

そうやって白を切るところが、侑らしいと思った。

『俺はあまりそっちに行けそうにない。沙生のことを頼む』

その声には、心配そうな思いが滲み出ている。会っていなくても侑は沙生のことが心配で、気に掛けているのだとわかった。

『うん。僕には何もできないけど、なるべく沙生の傍にいたいし、少しでも支えになれたらと思ってる』

『飛鳥』

僕の名を呼ぶそのトーンは、深い響きを孕んでいた。

『何かあったときは、必ず俺を頼れ。いざとなったら、お前のことは』

少しの沈黙の後に続くのは、慈しみと優しさを併せ持つ強い言葉。

『俺が面倒を見る』





沙生が入院してから、僕は電車とバスを乗り継いで病院に通うようになった。
毎日午後一時に病室に来て、午後八時に後ろ髪を引かれながら別れる。面会時間の全部を使って、僕たちは貴重な時間を一緒に過ごしていた。
沙生は入院してから少し気持ちが明るくなっているように見えた。家にいるよりも病院で過ごす方が安心できるのだろうか。
別の見方をすれば、そのぐらい沙生の病状が悪い方へ進行しているということなのかもしれなかった。
沙生を担当してくれている看護師の川上さんは、ちょっと貫禄のある年配の女性だ。少し厳しいところもあるけれど、廊下で擦れ違う一人一人に声を掛ける姿は朗らかで優しくて、患者さん皆のお母さんのようだと思う。
食事を残して川上さんに叱られたとか、そんなことを僕に話す沙生は、何だか少し子どもに還ったみたいだった。
僕たちはいつも病室で手を繋ぎながら、他愛もない話をする。
会話を紡ぐ合間に抱き合ってキスをして、頭を沙生の胸にそっと押しつける。そうして柑橘に似た沙生の匂いを堪能しながら規則正しい鼓動を確認することが、僕の日課になっていた。
入院して早々、僕たちはノックと同時に病室へと入ってきた川上さんにキスしているところを見られてしまった。
まん丸な目をして立ちすくむその顔を見て、僕は慌ててベッドから離れて謝った。

『ごめんなさい』

それ以来、川上さんはノックをして五秒待ってから病室に入ってくれるようになった。そんな気遣いが少し恥ずかしい反面、本当に嬉しかった。
白い壁とリノリウムの床に囲まれた無機質な病室で過ごすうちに、僕は沙生が退院したら二人でどこかを旅したいと思うようになっていた。
考えれば僕たちは、想いが通じ合ってからのこの二年間、泊まりがけでどこかへ行ったことがない。
同じ風景を沙生と心に焼きつけておきたい。沙生と同じものを見て、同じことを感じたいんだ。
沙生──もしいつか沙生が動けなくなっても、心配いらないよ。病気のことを言ってくれたあの時に、約束したよね。その時は、僕が沙生を抱きしめるって。
最期の瞬間まで、僕は沙生の傍にいるから。







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