epilogue[1/1]

「琉司さん」

翔子とよく似た落ち着いた声が、俺の名前を呼ぶ。
一周忌の法要と共に納骨を済ませ、墓地を出るところだった。親族の最後尾を歩いていた俺は、翔子の母親から呼び止められて顔を上げる。

「今日は、お疲れさまでした。ありがとう」

ねぎらいの言葉を掛けられて、罪悪感に目を伏せる。

「一周忌が遅くなって申し訳ありません。長い間連絡もせず、怒っていらっしゃるでしょう」

遠慮がちにかぶりを振る義理の母に、俺は懺悔のように話しかける。

「翔子と航太を守ってやれなかったことで、ずっと気持ちの整理をつけることができなかったんです。本当のことを言うと、最近まで自棄になっていました」

親族の列がどんどん遠ざかっていくのを眺めながらそう白状すれば、彼女はそっと口を開いた。

「二人は幸せでしたよ。翔子はよく携帯にメールや写真を送ってくれて。あなたや航ちゃんと過ごす毎日がとても楽しかったのね。だから、自分を責めないで」

その言葉に、胸の内に抱いていたわだかまりがほんの少しだけ癒えた気がした。

「翔子はあなたのことをとても大切に思っていたのよ。あなたがこの哀しみを乗り越えて生きていくことを、誰よりも願ってるはず」

こちらに向けられた穏やかな笑みは、翔子にとてもよく似ていた。

「その写真、俺に送ってくれませんか」

俺の手元には、二人の写真は遺影しかない。想い出すのが辛くて全て捨ててしまったからだ。

「ええ、もちろん」

俺には、翔子や航太との想い出を分かち合える人がいる。
優しい微笑みを浮かべながら頷くその姿に、翔子の面影が重なる。
束の間、未来の翔子に逢えた気がした。





法要の会食を終えて一人自宅へ戻ると、郵便受けに封書が入っていた。見慣れた右上がりの美しい字体を俺は信じられない気持ちで凝視する。

『森川 琉司様』

差出人は、翔子だった。



突然の手紙、びっくりしたでしょう。
今、琉司さんは私のそばにいません。修学旅行の引率で、今日から5日間も帰って来ないからです。
毎日会ってるのに、会えないことが淋しくて仕方ありません。
琉司さん、今日が何の日かわかりますか? もう忘れてしまってるかもしれないけど、今日は琉司さんが私にプロポーズしてくれた日です。
大好きな先生が、教室で「俺の嫁になれ」と言ってくれた日。
そのときはちゃんと返事ができなかったけど、本当はとても嬉しかったです。琉司さんはその言葉どおり、私と結婚してくれましたね。

覚えていますか? いつだったか、愛してるから私のことを束縛したいと言ってくれたことを。
正直、時々面倒だなと思うこともあるけど、それだけ私のことを愛してくれているということでしょう。
琉司さんが大好きだから、私はとても幸せです。琉司さんに束縛されることで、私も琉司さんを束縛してる。そんな気がするから。

妊娠がわかったときは子どもに嫉妬しそうだなんて言ってたのに、航太が生まれた途端、すっかり親バカになってしまった琉司さん。
実は、今は私が航太にちょっとヤキモチを妬いています。
3人で過ごす毎日が、とても幸せです。琉司さんと結婚して本当によかった。
こうして離れていると淋しいけど、大丈夫。たとえ姿が見えなくても、心はいつも繋がってるから。
最後になりましたが、ずっとずっと愛してます。
一年後の琉司さんへ、翔子より



もう一枚、紙が入っていた。
殴り書きのように描かれた大きな円。その下に、小さく添えられた翔子の文字。

『だいすきなパパのかおです。こうたより』



『手紙を未来に届けることができるサービスがあるんだって』

一年前の翔子が言っていたことを、不意に想い出す。

『素敵じゃない?』

『あんまり興味ねえな』

素っ気なく振る舞う俺を、悪戯っ子のような瞳で見ていた翔子。
あの時、翔子は未来の俺の驚く顔を想像していたのだろうか。
一人でいるのをいいことに、俺は流れる涙を拭わない。
そうだな、アスカ。俺は多分、大丈夫だ。





「言わなかったか? お前は出入り禁止だ」

洒落たバーのマスターが、苦々しく口を開く。

「さあ、聞いてねえな」

俺はカウンターで水のように薄いウイスキーを呑みながら、薄暗い店内に響く心地よいジャズに耳を澄ましていた。

「アスカは大丈夫か」

「お前に言う義理はない。その名前を無闇に出すな」

取りつく島もなかった。どうやらアスカの存在は、唯一契約できるこの店では重要機密扱いらしい。

「伝えておいてくれ。金魚は元気だと」

俺がちゃんと生きていることが、こいつの口からアスカに伝わればそれでよかった。
アスカ。お前が生命を繋ぎ留めてくれたから、俺はこうしていられるんだ。他人に希望を与えるより先に、お前が幸せになれよ。
俺はアスカの流した清らかな涙を想い出しながら、グラスを呷る。
そして――ふと、場を取り巻く空気の流れが変わるのを感じた。

「マスター」

ふたつ隣に座っていた男が、高尾を呼んだ。若い声だ。

「アスカに会わせて下さい。俺、契約したいんです」

俺はその男を横目で見る。ようやく成人したような年齢の男だった。
学園ドラマの主人公が恋する相手に相応しい。そんな整った容姿をしている。まだ幼さを残す精悍な顔立ちは、あと数年経てば完成されるのだろう。切れ長の涼やかな目は迷いを知らない。

そいつはカウンター越しに、真摯な眼差しで挑むように目の前の高尾を凝視していた。
俺は確信する。アスカのことを探していたのは、こいつだ。
高尾は値踏みするように男を見つめる。やがて鳶色の瞳に威圧的な光を宿しながら、ゆっくりと口を開いた。

「覚悟はあるか」





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