僕は、うまく笑えているだろうか。
暖かな手が離れて、扉が開き、外の世界が圭介を呑み込んでいく。閉ざされたこちら側で、僕はただ立ち竦んでいた。泣きたいような、笑いたいような、おかしな気持ちだった。
しばらくそこでそうしていれば、突然インターフォンが鳴る。僕は扉を開けて、その人を家に招いた。約束の時間から随分経っていた。
「ごめん、待たせたね」
「全くだわ」
随分幼いな、と思った。僕の弟は11歳だけど、それよりもっと小さい。
僕の目の前に立つのは、赤いワンピースを着た、まだ10歳にも満たないような少女だった。
「ちゃんと玄関から入ってくるんだ」
「なんとなくね。それがここのルールでしょう」
僕の後について廊下を歩きながら、彼女は大人びた答え方をする。
さっきまで圭介といた部屋へと入ると、彼女は少し疲れた顔をしながら、僕と向き合った。
「香澄さんと、ちょっと似てるよね」
そう申し向ければ、彼女は少し眉を上げる。
「似てるから、あの人の中に入ってたのよ」
「そういう仕組みなんだ」
感心する僕に、少女は「まあね」と頷く。
この部屋に女の子を上げるは初めてだな。妙に冷静な自分に、苦笑する。
5歳の時に亡くなった父が交通事故に遭ったとき、一緒にいたのは僕だった。そのときのことは、今でもよく憶えている。
父と僕は2人で手を繋いで歩いていた。それなのに、その手のぬくもりは急に失われてしまう。
『お父さん』
父は車の行き交う幹線道路に向かって走り出していた。その先に、赤い色が見えた。
赤いスカートを履いた、女。
父は間違いなく女を目掛けて真っ直ぐに駆けていた。そして、突っ込んできたトラックに跳ねられた。即死だった。
呆然と立ち竦む僕の耳に、なぜだか場違いな音楽が飛び込んできた。
ヴァイオリンのような、誰かの歌声のような、そんな緩やかで美しい曲だ。
後になって僕が聞かされた話は、僕が見たものと全然違うものだった。
父と僕は歩道を歩いていて、居眠り運転のトラックがそこに突っ込んできた。父は跳ねられ、歩道の外側を歩いていた僕だけが助かった。
そんなはずはなかった。僕は何度も本当のことを言ったけれど、5歳の子どもの証言は、信憑性がなかった。事故のショックで記憶が錯綜しているのだということで片付けられてしまう。
けれど、間違いないんだ。
父の生命を奪ったのは、赤いスカートの女だった。
「稀に、記憶が消えないタイプの人がいるのよね」
少女は淡々と僕に告げる。
「どうやらあなたもそうみたい」
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