けれど、俺は迷っていた。やめるなら、今じゃないか?離れて暮らす田舎の両親は、息子がこうして音楽活動をしてることなんてきっと想像もしていない。だから親から就職活動について訊かれても、俺は適当に濁すことしかできない。今からでも就職活動をして、どこか適当な会社に採用されれば、真っ当な社会のレールに乗れる。音楽をしていてメジャーを目指す奴は、星の数ほどいる。けれど、デビューしたところで簡単に売れるわけじゃない。その中で成功するのは、ほんのひと握りだ。このまま音楽に身を捧げたところで、ここより上に行ける保証なんて、ないに等しい。*****DARWINがワンマンで出演するマリアホールの入りは、今日も9割方埋まっている。リハを終えてホールの隅で1人ひと息ついている俺のところへ、ナツが歩み寄ってくる。ナツは8歳の頃から父親のギターを触っていたという生粋のギタリストで、自称音楽バカだ。ナツが作る曲には、絶妙なところで変拍子や転調が入っていることが多い。それは敬愛するオルタナティブ・ロックに影響を受けているかららしい。らしい、としか言えないのは、俺自身がロックの種類なんて全く知らないからだ。正直どれがどれだか区別がつかない。けれど、俺はナツの曲が好きだ。ナツの曲は、かっこよくて情緒的で、必ず印象に残るフレーズが入っている。だから聴けばすぐにイメージが浮かんでくるし、それをどう表現しようかとあれこれ考えて試すことが楽しい。「本番前にビールなんて呑んでたら、またジュンヤが怒るぞ。声が出なくなるって」からかうような響きに、俺は溜息をつく。「だから隠れて呑んでるんだけど」「ガキかよ」小さく笑いながら、ナツは肩まで伸びてきた髪を無造作に掻き上げて、おもむろに口を開く。「お前ら、最近荒れてるね」「お前らって?」「お前とジュンヤしかいないじゃん」俺は空になったビールの缶を握り潰して、視線を逸らしてしまう。「どういう意味だよ」「お前、何か迷ってるだろ。だからジュンヤが不安になってる」迷ってるのは、本当だ。けれどライブ直前の今ここで、何に迷っているかをナツに言うわけにはいかなかった。「たとえ俺が何かに迷ってたところで、ジュンヤが不安になる意味がわかんないな」「わかるだろ。あいつはお前に心底惚れてる。路頭に迷ってたときに、自分の理想のヴォーカリストが目の前に現れたんだ。俺は幼稚園のときからジュンヤを見てきたけど、初めてお前を連れてきたときのあいつの舞い上がりようったら、もうなかったよ。もう少しあいつの気持ちを汲んでやってくれ」惚れてる、ね。俺は小さく溜息をつく。DARWINの未来よりも、今はジュンヤの頭の中の方がもっと不透明だ。「とりあえず、今日も頑張ろうな」それだけを言って、俺は空き缶を握りしめたまま楽屋へと向かう。 - 5 - bookmarkprev next ▼back