美しい姉は青のワンピースを着て深紅の海に浸り、僕の目の前で穏やかに眠っている。──── 葉月。渇いた喉から声を絞り出して名を呼べば、彼女はゆっくりと目を見開く。小刻みに震える睫毛の下から覗くのは、底のない闇。色の抜けた細い右腕を伸ばし、彼女は僕の左手を確かめるのだ。繊細な指先が何度も触れるのは、この薬指に嵌められた冷たいプラチナのリング。彼女の流す血に塗れていくそれを、僕は為す術もなくじっと見つめている。ああ、言っただろう。君はもう自由なんだよ。この枷は、僕が継いだのだから。感情のない瞳は空洞のようにぽっかりと暗い。やがてゆらりと崩れる幻想の先から、聴き覚えのある艶やかな声が流れ込む。「……夏巳」名を呼ばれて目を開ければ、見慣れた顔が至近距離で僕を見下ろしていた。「柊悟さん」「随分うなされていたね」葉月の夢を見ていたんだ。正直に白状できないのは、この関係が赦されないものだからだ。死んだ姉と婚姻関係にあった男と情事を交わし続けることに、僕は未だ負い目を感じている。愛と呼ぶにはあまりに浅ましい、この愚かな交わり。衣服を纏わない身体に触れるシーツの感触が心地いい。けれど僕が欲するのはもっと別のものだ。両手を伸ばして温もりを確かめるように、僕に寄り添う人に抱きつく。いつの間にか、夜が近づいている。ああ、今日もこの部屋は凍てつくほどに寒い。「……欲しい」情欲に煌めく双眸が物欲しげな顔をした僕を映し出す。葉月の愛した人は、残酷なまでに美しい。求めるままに与えられる熱は、甘く世界を狂わせる。この薬指に光るのは、忌まわしい囚われの印。ねえ、柊悟さん。秘密にしていることがあるんだ。変わり果てた葉月を発見したのは、他でもない彼女に呼び出された僕だった。簡素なビジネスホテルのバスルームで、浴槽に浸かっていた美しい彼女。血の色をした水面。青いシフォンのワンピース。鮮やかな色彩に包まれた亡骸の傍らには、深紅に染まる封筒が落ちていた。葉月が遺したメッセージは、今も僕の中に息づく。「愛してる」耳元で紡がれる呪詛の言葉に頷きながら、僕はその左手を取って口づける。舌先に触れるのは、凍てついた硬質の金属。激しく貫かれながら、僕は噛みつくようにそこを口に含む。いつか僕と選んだこの指輪の持つ意味を、あなたは知っているだろうか。瞼に浮かぶ深紅がじわじわと僕を侵していく。葉月にも流れていたこの血はやがて身体から滲み出し、目的を達成するだろう。見えない糸で繋がる左手の薬指。あなたが僕を捕らえたのと同じように、僕達もあなたを捕らえたのだ。「柊悟さん、離さないで」落ちてきた陽射しがこの部屋を葉月の色に染めていく。気づかれてはいけない。波が大地を浸食するように、少しずつでいい。ひっそりと息を殺しながら、僕は深紅の糸を手繰り寄せ、麗しき人の心臓に嵌めた枷を絞め上げていく。"Guilty Crimson - preview -" end - 9 - bookmarkprev next ▼back