切れ端レター



 市谷 透は、中森 濠に恋をした。

 中森はクラスに1人はいる人気者で、ちょっとヤンチャもしていたけど要領が良いから先生とも分け隔てなく付き合っていた。
 俺はどっちかって言うと地味な方。と言うか人付き合いが下手くそだから浮いた存在。中森みたいな人とは関わる事も、ないと思っていた。

 ――高2の新学期が始まるまでは。

 同じクラスになって隣の席になった時は別に何も思わなかった。
 それくらいで親しくなるなら友達作りなんて簡単だよね。俺は中森みたいな人は五月蝿くて絡みづらいなぁとしか思わない暗い奴だから、隣の席でも大人しくしてようと目も合わせなかった。
 出来るなら関わりたくない。中森に限らず、俺は1人が楽だと思っていた。

 でも、中森は新学期が始まって最初の授業中に、ノートの切れ端を俺の机に投げて寄越したんだ。
 不審に思って隣を見れば、素知らぬ顔で中森は黒板に目を向けていた。教科書も開いてないくせに、と思いながら2つ折りにされた切れ端を広げると、『暇』と言う一文字。
 当然意味が分からなくて再度隣を見ると、頬杖をつき真面目な顔をしてこちらを見る中森と目が合う 。いきなりだったからドキッとして、バッと目を逸らしてしまった。

 変に思われたかもしれない、とドキマギしながら自分のノートに目を落としていたら、また隣から切れ端が飛んできた。
 もう、何なんだよと若干混乱しながらそれを開くと、『返事は?』と汚い字が殴り書きされていた。
 …返事はって、どうしたら良いんだよ。暇の一文字に返しようがないじゃないか。内心で文句をタレながら、俺は生真面目にも音をたてずにノートを破って返事を書く。
 そろりと隣の机に置いて直ぐに手を引っ込めたら、押し殺す様な笑いが聞こえた。カッと顔が熱くなるのが分かって無性に恥ずかしい。
 『授業中、です』と返事をしたら、また返ってきた切れ端には『知ってまーす』と書かれていてちょっとムカついた。
 その後も『市谷は真面目だな』とか、『やっぱ暇。天才には退屈過ぎる授業』だとか、『体育教師の長田ってカツラなんだぜ』とか、どうでも良いことを中森はイチイチ報告してきた。
 俺も放って置けば良いのに返事をしてしまって、その日の授業は何も頭に入らなかった。
 そう、中森は授業の度に切れ端を投げ始めるのだ。お陰で休み時間になるとそれらを捨てにゴミ箱に行く羽目になって、でも中森はいつの間にか友達とどこかへ消えてしまっている。
 最初は俺も怒ってたけど、それが1週間も続くと気にならなくなっていた。寧ろ『今日は何て書いてくるかな』とワクワクしている自分がいて、中森と仲良くなったみたいに錯覚した。


 そしてとある日、たまたま美術の授業でペアを組むことになった。
 お互いの似顔絵を書きなさい、という教師の指示に、俺達は無言で向き合う。そこでそう言えばまともに会話もしたことがない事に気付く。
 鉛筆が画用紙の上を走る音だけが耳に入り、俺達の関係って何なんだろうと考えた。友達でもない、只のクラスメート。話した事もないのに友人を語るのはおこがましい気がする。
 茶色に染められた髪を真似て描きながら、そうなんだよね、と心の中で呟いた。
 中森はノートの切れ端を使って俺に絡んで来る以外は他人だ。廊下ですれ違っても目も合わせないし、こうしている今だって。俺達だけが外界から切り離された様にとても静かだ。
 でも、1番最初の授業、『市谷』って切れ端に書いてあるのを見て、名前知っててくれたんだ、って思った。関わりたくないと思っていたのにその事が妙に嬉しかったのを覚えている。

 ふと顔を上げると、中森はもう書き終えたのか画用紙を机に置いて前の友達と何かを話していた。ぎゃあぎゃあ騒いで、お前絵が下手くそ過ぎんだよ!と楽しそうである。
 俺はまだ、顔の輪郭と、髪しか書いてない。
 中森の目ってどんなだった?
 中森の鼻と口は?
 分からない。
 ちゃんと顔を合わせて話したことがないんだから、当たり前なんだけど。
 美術の授業の最後に先生がお互いに見せ合いっこしてねと言っていたけど、中森は見せてくれなかった。一体どんな顔を書いていてくれたのだろう。

 そして会話はないけど、切れ端のやりとりが続いて半年がたった。
 随分長いこと続いたなと感心する反面、中森はどうしてこれを続けているのだろうと疑問にも思う。
 たまには自分から書いてみようか、俺はそう思って休み時間に切れ端を用意した。何を書こうかとか凄く迷ったけど、返事をくれるのかが不安だ。
 授業が始まって直ぐに中森の机に置くと、僅かに肩が揺れた気がして更に不安になる。図々しいと思われたのかもしれない。
 けど暫くしてちゃんと返事が返ってきたのは嬉しかった。


『中森の好きな食べ物は何?』
『ショートケーキ。これ内緒な。市谷は?』
『へぇ、意外。誰にも言わないよ。俺は和食』
『確かに和が似合いそうだな。着物とか』
『それ女の子が着るものでしょ』
『ああ確かに。女装似合いそう』
『似合わないって』
『してみろよ』
『やだ。中森がすれば?』
『俺がすればオカマになんだろ』
『確かに』
『おい。俺の女装は悩殺ものだわよん』

「ぶっ」


 やばい。思わず吹いてしまった。
 慌てて咳で誤魔化し前を見ると、運良く誰も気づい ていない様だった。幸い1番後ろの席で窓際だから。
 隣を見るとくつくつと笑う中森。ムッと顔をしかめる俺をよそに暫くはずっと肩を震わせていた。

 正直に言って、このやりとりは楽しい。
 でも授業が終わって現実に返ると寂しくもある。
 朝、おはようって言いたい。隣の席なんだから普通に会話をしたい。昼ご飯を一緒に食べて、下校も一緒に帰れたら、もっと楽しいんじゃないのかな。
 迷惑、かもしれない。そう思うととても自分から話しかける事なんて出来ないけど、俺はそう望んでいた。

 だからと言ったらなんだけど、切れ端のやりとりだったら本音を言える気がしてそれとなく聞いてみた。


『これってなんなの?』


 って。かなり、勇気を振り絞って書いた一文。
 俺はどんな返事が返ってくるのか凄くドキドキしていた。


『これって?』
『この、やりとり』
『嫌になった?』
『そうじゃないけど。なんか変だなって思った。というかずっと思ってた』
『そうか。やめる?』
『え?どっちでも』
『そうか。確かに、変だもんな』
『うん』


 何故か、それを最後に突然切れ端でのやりとりが なくなってしまった。


 ――なんで?
 俺なんか変なこと書いただろうか。やっぱり聞かなければ良かったのかもしれない。
 授業が始まったら直ぐに飛んできていたのに、それがなくなると酷く寂しい。中森がしなくなったのに俺がするのもおかしい気がして、再び自分から切れ端を投げる事もしなかった。
 急に繋がりがなくなった。
 凄く混乱した。夜も寝れずに考えたりして、何でこんなに悩んでるんだろうとまた悩んだり。
 もともと友達でもないんだ。携帯の番号も知らないし、お互いの家も知らない。中森と俺との間には何もない。そんなの分かってる。

 ――でも、何でこんなに悲しいの。

 授業中、こっそり隣を見た。
 端整な顔がやる気の無さそうに頬杖をついて前を見ていて、何故か今、唐突に理解した。

 俺は中森 濠が、好きなんだ。
 いつの間にか、好きになっていたんだ。

 そう理解したその日の夜俺は盛大に泣いた。



 切れ端のやりとりを始めて約半年。
 切れ端のやりとりが終わって約半年。
 俺達は3年生になった。

 中森とはまた同じクラスになったけど、席はだいぶ離れた。ほっとしたような、悲しいような微妙な心境だ。
 何事もなく過ぎていく。
 俺のこの恋心も、時間と共に流れて行くのだろう、きっと。


『 今日も暇』
『だから勉強しなよ』
『俺は天才だからいーの』
『ウソばっかし』


 体育の授業中に、グラウンドを駆ける中森の背中を見ながら思い出していた。
 サッカーボールを蹴る中森の周りには沢山人がいて、皆が笑ってる。俺も何回か堪えきれずに吹き出してしまった事があるっけ。


『空見て』
『え?何?』
『あの雲、セクシーギャルに見える』
『見えないよ!』


 中森がボールを蹴りながらこっちに近付いて来てる。
 ああ、ゴールがこっち側なのか。
 景色がスローモーションで流れて行って、中森から誰かにパスが回って、誰かから俺にパスが回ってくるのが分かったけど、動くことが出来なかった。
 中森に近付いて良い存在じゃなかったんじゃないかな、俺って。地味だし、取り柄なんかないし。


『意外に面白いのな、市谷って』


 頭に衝撃が来て、中森と目が合ったと思ったら、俺の目の前の世界が暗転した。








 ……誰かの呼ぶ声が聞こえる。


「――!」


 体を揺さぶられてゆっくり目を開けると視界の端に中森の姿が見えた。
 中森が俺を呼んでる。俺に話しかけてる。
 そっか、これは夢なんだと思った。
 だって現実なら『おはよう』も言えない立ち位置だもんな。


「……中森?」

「市谷!良かった!目を開けねぇからマジでヤバイのかと思ったじゃん」

「中森が普通に話してるから、やっぱ夢か」

「は?」

「こうやってさ、友達みたいに会話をしたかったんだよなぁ俺」


 切れ端でのやりとりじゃなくて、普通に。
 好きだけど、友達でいられれば満足だった。


「…市谷?」

「なんで紙の上でしか話せないのかな。…もうそれさえ出来なくなったけど。中森は、勝手だよね」

「……市谷」

「どんどん、どんどん俺の中で存在大きくしたくせに、いきなりいなくなるんだから」


 目がじわりと熱くなった気がする。
 これって夢だよね?
 中森の顔、ボヤけてて良くみえないから夢なんだよね?
 だったら言っても良いかな。吐き出してしまわないともう耐えられないんだ。こんな気持ち始めてで、俺には荷が重すぎるよ。
 好きって気持ち、全然流れて行かないんだ。


「…中森のせいだ。中森があんな、あんな事始めなきゃ、好きにならなかったのにっ」


 目元から耳にかけて何かが伝ったと思ったら、突然ふわりと、体が暖かくなった。
 頭部に圧迫感を感じて俺の頭は次第にクリアになってくる。
 中森が俺に覆い被さって、頭を抱き竦められていた。そっと手を伸ばすと中森の肩に触れてビクッと力が入 る。
 あれ?夢じゃ、ない。


「……え?」

「市谷、ごめん。マジでごめん」

「え?え?中森?」

「俺、もさ、市谷の事良いなって思ってて、でもいつも1人でいるから何か話しかけて良いのか分かんなくてさ、隣の席になった時様子見でノートの切れ端を投げたんだ」


 中森が俺の耳元で話していた。
 優しい声で、でもちゃんと中森の声だ。
 遠くからでしか聞けなかった低い声。


「市谷に『これってなんなの?』って聞かれた時、ああもう終わりにしたいのかとか勝手に思って、でも普通に喋った事もねぇし、どうして良いのか分かんなくてさ。まぁ、要は俺がヘタレだったんだよな」

「……中森は、嫌じゃなかった?」

「当たり前だろ!俺もお前が好きだったんだから!」

「嘘…」

「マジだって。1年の時からな」

「ほんとに?…夢じゃないよね。普通に喋ってるよね、俺達」

「ハハッ、うん、喋ってるよ。ちゃんと俺の声聞こえてんだろ?」

「…うん。俺の声は?」

「聞こえてるって。やっと聞けたって感じだけどな」

「…中森」


 本当に夢じゃないよね。そう何度も確認しながら、俺は中森の顔を両手で挟んで引き寄せた。
 しっかりと目に焼き付けておきたい。今まではちゃんと見ることが出来なかったから。

 お互いに見つめ合いながら、ここが保健室だってことも気付かないまま俺達はそっと唇を重ねた。
 これからいっぱい話そう。それから、やっぱり手紙も交換したいね。ノートの切れ端でも良いからさ。




 ――後で、ずっと前に美術で書いた似顔絵を見せて、そう言ったら中森は可笑しそうに笑った。







end







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