ある日の総理官邸。


石神さんに代わって用事を済ませた俺は、帰路に就くべくその廊下を歩いていた。



(ずいぶん日が短くなったな)



夕暮れに染まる窓の外を見て、季節の変わり目を感じる。


こんな時間に直帰が許されるのは久しぶりだ。


どこかへ飲みに行くのもいいかもしれないと思った時、前方のドアが開いて一組の男女が現れた。



一柳と総理令嬢のFirst nameだ。



ドアを閉めた一柳に何事かを耳打ちされた彼女が、赤くなった頬を膨らます。

その鼻を摘まんで、一柳は楽しそうに笑った。



一目で仲が良いとわかる二人だ。

まるで恋人同士のように。



(あいつらまだ付き合ってないんだったか)



そうじゃなかったら情報の早い黒澤が騒ぎ立てているはずだから、きっとまだなんだと思う。



「あ、後藤さん!」



俺に気付いたFirst nameがぱっと顔を輝かせた。


対する隣の一柳は忌々しげな、今にも舌打ちをしそうな表情になる。実際したんだろうが。



「お久しぶりです!お変わりありませんか」

「ああ、アンタも元気そうだな。帰るところか?」

「はい。後藤さんも?」



頷いて答えると、



「さっさと帰れ」



一柳が吐き捨てた。だが無視した。



「実は昴さんが美味しいイタリアンのお店を知ってるそうで、これから連れて行ってもらうんです」



嬉しそうに話すFirst nameに、隣の一柳がフッと得意気な顔をする。



「もしよかったら後藤さんも一緒にどうですか?」



素晴らしい思いつきだと言わんばかりに、First nameの表情は一層輝いた。


一柳はもちろん、口元を引きつらせた。



「おいFirst name、何言ってんだお前」



一柳はFirst nameの背中を軽く叩いて、ぎりっと俺を睨み付けた。

やれやれ、と内心でため息を吐いた。



First nameに対して好意を寄せている自覚はある。


一柳も、それに気付いている。



だが俺は何も望んでいない。



命が無事で、すぐ傍で彼女を守ってやれる誰かと幸せになってくれれば、それでいいと思っている。



いいじゃないですか、よくねーよ、と会話する二人を眺める。


First nameは鈍い女だ。

一柳の気持ちはもちろん、おそらく他の男どもの好意にも気づいていない。


これじゃ一柳も骨が折れるだろうなと思う。



「俺は遠慮しておく。今日は一人で飲みに行こうと思ってたんだ」



目の前の男に気を遣ったわけではないが、そう断りを入れると。



「…そうですか…」



First nameはしょんぼりと肩を落とし、心底残念そうに俯いた。


それでも、すぐに俺を見上げて笑顔を浮かべる。



「次の機会を楽しみにしてますね」



…こういうことを無意識にやってるんだから、すごいと思う。



自分の目尻や耳が赤くなっていないことを願ったが、やはりそんなことはないようで。


目ざとい一柳はすぐに気付いた。



「わかってるじゃねーか。暗い雰囲気で飯を不味くする自覚があるんだな」

「……何だと?」



昴さん!と慌てるFirst nameにお構いなしに、嫌味たっぷりに一柳は言う。



「ま、今後も俺たちの邪魔はするなよ」



かちんときた。



───前言撤回だ。




「First name。気が変わった。一緒に行く」



First nameの困り顔が、一瞬にして満面の笑みに変わった。



「───はぁっ!?」

「せっかくの誘いだからな」

「ふざけんな。何でお前を連れて行かなくちゃなんねーんだよ」

「俺はFirst nameから誘われたんだ。店がお前の何だろうが関係ない」

「いいじゃないですか昴さん!ね? きっと楽しいですよ」



ニコニコとFirst nameに見上げられた一柳は言葉に詰まった。


無邪気に上目遣いをする彼女には、コイツもあまり強くは言えないらしい。


何でとかありえねーとかブツブツ言った後に、



「…あーもう!!」



叫んでFirst nameの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。



俺だって、一柳と食事を楽しむ趣味なんか微塵も無いが。



季節の移ろいや、俺自身に与えられたかけがえのない時間。


そういった外へ向く感覚を、麻痺していた五感を取り戻してくれたのはFirst nameだ。


一柳にとってそうであるように、俺にとっても彼女は唯一の存在なのだから───



(俺は何も望まない)



それでも、たまには。


ただこうやって、彼女との時間を楽しんでもいいだろう。


…こぶ付きは避けられないだろうが。





乱れた髪を直すFirst nameと目が合う。


自然と微笑む俺に彼女は頬を染め、さっと顔を逸らした。



「おい、何だ今のは」



それが気に入らない一柳は、やはり俺に食ってかかってきて。



不毛な応酬がまた繰り返される。



「もう、ふたりとも! 早く行きましょうよ!」



楽しげな声が官邸の廊下に響いた。





賑やかなやり取りは、いつまでも終わることなく。



俺たち3人は夕暮れの街へと消えた。  

















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