急務で手が離せなくなった石神さんの代わりに、俺は久しぶりに官邸へ足を運んだ。
長い廊下を歩き、桂木警部を待つためにSPの詰所へと向かう。
目的地の扉をノックするが応答は無い。
おそらく全員出払っているのだろう。
人のいる気配は感じられないが、一応断りながらドアを開けた。
「失礼しま──」
足を踏み入れた瞬間目に飛び込んできた光景に、目をしばたいた。
現総理のご令嬢であるFirst nameが、デスクに突っ伏して寝息を立てていた。
足音を潜めて静かに近付く。
First nameはすやすやと実に気持ち良さそうに眠っていた。
このところ秋というには涼しすぎる日が続いていたが今日は天気が良い。
過ごしやすい陽気に眠気を誘われたのだろうか、彼女はすっかり夢の世界の住人と化していた。
しかし人が来ても起きる気配がまるで無い。
まさに熟睡といった感じだ。
この官邸は安全だし何を警戒しろという訳でもないのだが、なんというか雰囲気通りの無防備な女だ。
それにいくら快適な陽気といっても春や夏ではないのだから、と薄着の肩を見て思う。
小さく息を吐いてスーツのボタンを外した。
「風邪引くぞ」
上着を脱いで彼女の肩にかけてやる。
そして側に突っ立ったまま、なんとなく安らかな寝顔を見下ろした。
First nameとは何度か顔を合わせたことがある。
かつての恋人に似た雰囲気に初めて会った時は驚いた。
正直いって少し動揺もした。
しかしそれもその時だけのことで、今ではそんなことを微塵も思わなくなった自分がいる。
その変化は何によってもたらされたものなのか──
俺は薄々気付いていたけれど。
ざわつく心がその答えを否定したとしても、ただ単に見慣れただけだろうと言い聞かせる。
First nameは明るく眩しい笑顔が印象的で。
令嬢とは思えぬほど自然体で一緒にいると楽しくて。
いつからか、無意識のうちに目で追うようになっていた。
そう、彼女はあいつの。
一柳の。
「……婚約者、か」
指を伸ばし、顔に落ちていた髪を耳にかけてやる。
現れた桜色の頬にゆっくりと触れる。
指先に伝わる確かな温もりに、胸が締め付けらるような感覚を覚えた。
First nameはここにいる。
確かに生きている。
たとえ彼女が誰を想おうとも、
それだけで、俺は。
突然ドアが開かれた。
「……後藤。何してんだ」
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