昴さんの動きが止まった。
みるみると眉間に皺が寄り、瞳からは温度が失われる。
ほんの何秒か前までその横顔に湛えられていた微笑みは、完全に消えた。
「何だこれは」
彼の手には私のデジカメ。
険しい表情で凝視するその先には───
まるで恋人同士のように寄り添った、私と海司のツーショットがあった。
ひとり残された広いリビングのソファで、下唇をきゅっと噛む。
目の前のローテーブルにはすっかり冷めてしまった二人分のハーブティー。
昴さんが淹れてくれたそれは確かに幸せの象徴だったけれど、今は寂しそうにその澄んだ色を揺らしている。
そしてその隣にはデジカメが無造作に置かれていた。
海司との写真は、学園祭の時に撮られたものだった。
いつどのタイミングで撮ったのかは正直言ってよく思い出せない。
けど二人きりの時だったのは間違いない。
撮影したのは海司自身で、カメラを持った腕を伸ばしていて──見切れないように二人仲良く、ぴったりとくっ付いているのだから。
どうしたって恋人同士に見えるような雰囲気が、この一枚にはあった。
もちろん背景には何もない。
海司は大切な友達だけどそれだけだし、何しろ写真の存在自体さっきまで忘れていたくらいだ。
だけど、私は無神経だった。
昴さんに嫌な思いをさせてしまった。
怒るのも当然だと思う。
だって、私だって昴さんがこんな風に自分以外の女の人と写真を撮ってたらすごく嫌だ。傷付くし、きっと普通じゃいられない。
本当に、最低だ。
昴さんはずっとベランダで煙草を吸っている。
私は唾をひとつ飲み込んでから、ベランダの戸を静かに引いた。
カラカラカラ、という軽快な音がやけに耳につく。
昴さんの耳にも届いてるはずだけど、その背中はそれさえも拒絶するように静かだった。
心まで凍えるような冷たい風が吹き付ける。
昴さんは寒さなんてまるで感じていないように、私が後ろに立っていてもまるで居ないかのように、ただ煙草をふかしている。
遠い背中を前にして、私はその場に立ち竦んだ。
踏み出そうとした足は縫い付けられたように動かない。
言わなくちゃいけない事が沢山あるのに、何も出てこない。
口を開いては閉じる。
この期に及んでなんて不甲斐ないんだろう。
なんて私は、だめなんだろう。
「……風邪ひくぞ」
昴さんが、背中を向けたままぽつりと呟いた。
その目は相変わらず夜景だけを映している。
けれど胸が詰まって何かが決壊した私は、靴下のままベランダに飛び出して。
広い背中に抱き付いた。
「うわっ」
薄着のまま冬の風に晒されていた昴さんの体はすごく、すごく冷たかった。
「バカ、火ィ持ってんだから危ねぇだろ!」
叱りつけてくる昴さんを、ぎゅうぅっと力いっぱい抱き締める。
大好きな昴さんの匂いを嗅いだら鼻の奥がじわりと熱を持って、涙が一気にぼろぼろと零れた。
「ごべ、んなざっ…きらぃにならなぃで」
「…First name」
「昴さ、っんに…きら、われたら、わだし、」
最も恐怖していることを口に出したらますます感情は溢れ出して、私はそのまま子供のように盛大に泣き出してしまった。
「あー、もう、わかったから」
昴さんは煙草を持っていない方の手で、あやすように私の背中をさすってくれた。
「わかったから泣き止め。な? 大丈夫だから」
「ゔぇ…っ」
彼は火を消して向き直り、私の顔を上げさせる。
「うっわ。すげー顔」
からかうように、呆れるように、そしてほんの少し切なそうに。
色んな感情が混ざった顔で昴さんは笑った。
「ほんとしょーがねーなお前」
頬に張り付いていた髪を耳に掛けてくれる。触れる指先が氷のように冷たい。
「まぁ…俺も大人げないけど」
「昴さんはわる…くないです…ぅう」
「当たり前だろ。悪いのはお前だ」
涙と鼻水でぐじゃぐじゃになった鼻を摘まれた。
「マジで風邪ひくから中入るぞ。で、説教と……お仕置きだ」
「ゔ」
「文句あんの?」
「なぃ…です」
「よし」
袖でぐしぐしと涙を拭いてから、昴さんの後を追って暖かな部屋へと戻った。
…だめな私はベランダで汚した靴下のままリビングに入って、また怒らせてしまったけど。
口ではお仕置きだなんて言いながら、やっぱり優しく抱いてくれる昴さんが大好きなの。
ごめんなさいと、ありがとうと、愛してるを込めて。
温もりの戻った昴さんをもう一度、ぎゅっと抱き締めた。