スパナと赤い華

 何かの間違いだと思った。
 きっとこれは、夢なのだと。
 でも、自分の太腿を抓ると痛くて――これが現実なのだと思い知らされる。


 コテージの床や壁に、真っ赤な華が咲いていた。腥い鉄の臭いが漂っている。
 目の前でぼうっと佇んでいる、全身を真っ赤に染めた男は、同じように真っ赤なスパナを握り締め、じっと見詰めている。じっと、床に俯せで倒れている男を見詰めている。倒れている男は、ぴくりとも動かない。
 ぽたりと、スパナから赤黒い液体が滴り落ちた。床に新たな華が咲く。
 スパナを持った男が、緩慢な動作で俺を見た。ぞっとするくらい優しくて悍ましい、歪んだ笑みを浮かべながら――。




――――




 俺は逃げた。自分のコテージに逃げ込んだ。
 どうしてどうしてと泣きながら、扉を背凭れにして床に座り込む。


 交流を深める為だと、予ての田中との約束通り、田中のコテージへ行ったら左右田が居て、田中は床に倒れていて、コテージの中も二人も真っ赤な液体塗れで――嗚呼、あれは田中の血だ。田中は左右田に撲殺されたんだ。
 日頃から仲が悪いとは思っていたし、何とか仲良くさせなきゃなあと思っていたのに――何で、こんなことに。
 しかもあの、へたれで泣き虫の左右田が人を殺すだなんて。余程のことがあったのか、それとも――。
 俺がいけないのだろうか。もっと早く彼奴等の仲を良くしていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
 いや、きっとそうなのだ。俺がちゃんとしていれば、田中は死なずに済んだのだ。
 田中、ごめん。俺の所為でお前は――。


 こんこんと、扉を叩く音がした。扉から背中に伝わってくる衝撃に、服の中に氷柱を突っ込まれたような悪寒が全身を駈け巡って――じっとりとした嫌な汗が流れ出る。

「――日向、居るんだろ?」

 機械のように無機質な声が、扉越しに聞こえてくる。左右田だ、左右田の声だ。彼奴は俺のところへ来たのだ。
 何故? 俺が見てしまったからだろう。
 だから? 俺を始末する気なのだろう。
 何故? 目撃者を消すのは、殺人の常套手段だからだ。
 だから? 俺は――殺される。
 ぞくりと、全身の血が凍り付いたような錯覚に陥った。先程見た、左右田の不気味な笑顔が脳裏に蘇る。
 ――殺される。
 明確な形となって振り翳された殺意が、俺の命を刈り取ろうとしている。
 がちゃがちゃと、扉の取っ手が動いた。左右田が開けようとしているのだ。開けようと、開けて中に入って――俺を殺そうとしているのだ!
 怖い、恐ろしい。死にたくない。誰か助けて、助けてくれ。がたがたと震える自分の身体を抱き締めながら、一心不乱に祈った。
 その祈りが通じたのか、遠くから左右田以外の声が聞こえた。

「――あれ、左右田おにぃじゃん。何してんの?」

 あの声は、西園寺?
 ――拙い!
 体格差や筋力、性別からして――西園寺が左右田に勝てる筈がない!
 慌てて立ち上がった俺は、扉の取っ手を掴んだ――その瞬間、扉の向こうから西園寺の絶叫が聞こえた。多分、左右田の姿を見て驚いたのだ。そうであってくれ、西園寺まで殺されたら俺は――。
 がちゃりと、俺は勇気を振り絞って扉を開けた。
 すると其処には――地面にへたり込んだ西園寺と、血塗れの左右田がスパナを持って立っていた。
 左右田は顔面蒼白で震えている西園寺から視線を外し、此方を見る。にっこりと、左右田は嬉しそうに微笑んだ。

「おっ、やっと出て来た」

 そう言って左右田は、此方に向かってきた。スパナを弄び、いつものような――歯を剥き出しにした笑みを浮かべながら。左右田の真っ赤な靴跡が、地面にべたべた付いている。
 ――嗚呼、殺される。
 俺も田中みたいに血塗れになって、真っ赤な華を咲かせるんだ。そして死ぬのだ。冷たい死体になるのだ。俺は、俺は――嫌だ、死にたくない。
 血塗れになんか、なりたくない!

「――っ、うわああああああああっ!」

 俺は吼えた。悲鳴にも似た、怒声のような咆哮を上げ――俺は逃げた。転けそうになりながら、俺は必死に逃げた。
 西園寺のことは、もう頭からすっぽ抜けていた。死にたくない、殺されたくない――そればかりが頭の中を支配していたのだ。


 俺は島中を走りに走って――後ろから、地を蹴る音がした。嫌な予感がして振り返る。果して――左右田が俺を追い掛けていた。がちゃがちゃという金属音を、全身から鳴り響かせながら。

「待てって――日向ぁっ」

 がちゃりがちゃりと音を立てて走る左右田が、機械で出来た人型の化け物のように思えた。
 此方は恐怖と動揺で呼吸を乱しに乱しているのに、左右田は全く息を乱さずに俺を追い掛けている。益々機械のように思えて――俺は益々恐怖した。

「おい。日向、ちょっと――待てってば」

 左右田の声が、すぐ傍で聞こえた。吃驚した俺は足が縺れ、無様に転けてしまい、地べたへ俯せに倒れ込んだ。
 じゃりっと、土を踏み締める音がした。恐る恐る顔を上げてみると、左右田の靴が見えた。血がべったりと付いた、黄色の靴が。

「ひぃなぁたぁっ」

 妙に間延びした声で俺の名を呼び、左右田はゆっくりとしゃがみ込んだ。
 俺の顔を覗き込むようにして見てくる左右田は、いつもと同じ陽気な笑顔で――でも、全身血塗れで――嗚呼。もう、駄目だ。俺はもう、死ぬのだ。
 田中のように、撲殺されて――いや、もしかしたら解体されるかも知れない。だって此奴はよく、解体したい解体したいとぼやいていたのだから。
 手足を切断されて、腹を裂かれ、内臓を引き摺り出すに違いない。人間とは思えない、残酷な殺し方をするんだ。
 嫌だ、死にたくない。そんな苦しくて痛いのは嫌だ、怖い。殺されたくない――。

「――日向」

 いつの間にか、俺は泣いていた。ぐずぐずと子供のように泣きじゃくる俺の涙を、左右田は血濡れの指で拭って――あはは、と苦笑いを浮かべた。

「あっちゃあ――大丈夫か?」

 すまねえ日向――と、申し訳なさそうに謝ってくる左右田に、俺は混乱を通り越して思考が停止した。




――――




 事の発端は、俺が一昨日――田中と左右田を引き連れて遊園地に行ったことらしい。
 速い乗り物に弱くて、怖いものが苦手な二人を、ジェットコースターに乗せたり、お化け屋敷にぶち込んで放置したりと――俺は色々やらかしたのである。


 しかし、勘違いしないで欲しい。
 あれは二人の仲を良くする為、お互いの共通点――弱点を知ることで、親近感を抱いてくれれば良いなと思ったからなのだ。弄り回して遊んでいたという訳ではないのである。確かに半泣きの二人は可愛かっ――げふんげふん。兎に角俺は、善意で二人を弄り回したのである。


 だが、二人はそう思わなかった。俺に対する憤りを携え、二人は結託したのである。
 思惑とは違うものの、俺の目的はその時点で達成された――のだが、二人は憤りを恨みに変え、復讐を決めてしまったのだ。
 誰への復讐? 俺へのだよ。


 復讐を決意した二人の行動は早かった。
 流石、超高校級と云うべきか。遣ると決めたら絶対に遣り遂げる――という根性を持っていたのである。投げ捨てて欲しかったよ、その根性。
 決意した二人は作戦を立て、必要なもの――血糊を探した。しかし、ロケットパンチマーケットを探し回ったが、血糊らしきものは見付からなかったらしい。
 なので採集序に牧場へ行き、家畜の血を抜いて――家畜はお肉になりました――それを血糊として使ったそうだ。腥かったのはその所為か。
 飼育委員として良いのかそれは――と田中に突っ込みたかったが、復讐に燃えていた彼には、倫理観が吹き飛んでいたのだろう。


 そして血糊を手に入れた二人は、どちらが死体役をするか考えた。
 最初はへたれ代表の左右田が死体役だったらしいが、意外性を持たせて更に恐怖を煽っちゃおうぜ――となって、田中が死体役になったらしい。
 確かに恐怖したよ、ええ。そりゃあもう恐怖しましたとも。
 絶対しないだろうって奴が人を殺すなんて、しかも笑顔で追っ掛けてきて――恐ろし過ぎて失禁寸前でしたとも。


 俺は二人を――田中と左右田を睨む。二人は現在、俺のコテージの床に正座している。俺がさせたのだ。

「――事情は判った。少なからず俺も悪いということもな。だけどなあ――」

 物には限度があるだろうがぁっ――と、俺は怒鳴った。田中と左右田は肩をびくりと震わせ、申し訳なさそうに項垂れる。

「本当、吃驚したんだぞ俺は! 田中はぴくりとも動かないし、左右田はめっちゃ怖いし! 本当に殺されるかと思ったんだぞ! というか――あの笑顔、めっちゃ怖かったぞ左右田ぁっ! 快楽殺人鬼みたいな顔しやがってぇっ!」
「ちょっ、日向――それは酷えよ、何だよその喩え! 大体俺達は、お前が惨状を見た時点でネタバラシする予定だったんだよ! なのにすぐ逃げやがって――だから出来るだけ怖がらせねえよう、笑顔で話し掛けてやったのに!」
「その気遣いは逆効果だぞ! 血塗れの悪人面な男が笑ってたら、どう考えても頭の可笑しい狂人だと思うだろ!」
「ひ――酷えよ、日向ぁっ」

 左右田は悲しそうに眉を顰め、目を潤ませながら俺を見詰める。しかし俺は、責めるのを止めない!

「それに――何だよあのがちゃがちゃ音! お前は機械か、ターミネーターか!」
「が、がちゃがちゃ? あっ――工具と機械の部品、服ん中に入れたまんまだったわ」

 そう言いながら左右田は立ち上がり、自分の着ているつなぎ服を弄り始めて――途端に服の隙間から螺子やら鉄片やら工具やらが溢れて出て、床一面が鉄色になった。
 お前の身体は四次元空間と繋がっているのか?

「貴様――あの、禁忌に触れし猫型の自動人形と同じ能力を所持しているのか?」

 田中も俺と同じものを想像したらしい。

「んな訳ねえだろ! そんな科学力があったら、もっと凄えの持ち歩くっつうの!」
「ほう、例えば?」
「ロケットとか」
「持ち歩いてどうする気だ」

 御尤も――って。

「話が逸れてるぞ! お前等、ちゃんと反省してるのか!」
「まあまあ日向。結果的に俺と田中は仲良くなったんだし、終わり良ければ全て良しってことで」
「そうだぞ特異点よ。大事なのは過程ではない、結果だ」

 そうかも知れない。知れないが――当事者であるお前等が言える台詞じゃないだろう!

「お前等なあ――」
「あっやべ、血が乾いてきた」
「むっ、いかんな。このままでは完全なる呪印となり、その拘束衣は一生呪われ続けるだろう」
「まじか、やべえな。という訳で日向、俺等ちょっと風呂行ってくるわ」
「な、なっ――ちょっと待て、まだ説教は――」

 終わってないぞ――と俺が続ける前に、二人はコテージから逃げ去っていた。早過ぎるだろう、行動が。
 というかどうするんだよ、この螺子とか工具は。置いたままかよ、此処は俺のコテージなんだぞ。畜生、全部捨ててやる。
 俺はビニール袋を取り出し、撒き散らされた鉄達を中へ放り込んでいった。


 その日の夕方。西園寺は自分のコテージに引き籠もり、レストランに来ようとしなかった。何でかなあ――と思って、ふと思い出す。
 図らずも巻き込まれた西園寺は、左右田のネタバラシを聞いていないと。
 つまり西園寺にとって左右田は、今でも血濡れの狂人という認識な訳で――あっちゃあ、これは拙いな。
 俺は談笑を交わしながら暢気に夕食を取っている二人――田中と左右田に声を掛けた。
 本当はこんな面倒事、勘弁願いたいが――悲しい哉。超高校級の相談窓口と呼ばれてしまっている俺は、人並み以上の責任感とやらがあるらしい。
 ああ、西園寺に何言われるんだろう――と軽く絶望しながら、俺は二人を引き摺って西園寺のコテージへ向かった。

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