そして彼は、背負い投げが上達した

 女性の胸や尻が好きという男ならば、この世に何千何万――いや、数億は居るだろう。
 勿論、胸や尻以外の部位を好む男も居るだろう。
 足が好きな男も居れば、手が好きな男も居る。腰が好きな男も居れば、首が好きな男も居る。
 指や臍、耳や脇が好きな珍しい男も居るだろう。
 しかし、女性であることなど関係なく尻が好きという男は――この世に、一体何人いるのだろうか。




――――




 田中眼蛇夢は、尻が好きである。
 どれくらい好きかと云うと、人種や性別、更には種族をも越えてしまうくらい――兎に角、尻が好きなのである。
 しかし、純粋に尻が好きというだけであり――其処に性的な感情は抱いていなかった。
 只管に尻が好き。腰から下の、足の付け根に至るまでの曲線美が堪らなく好き。豊満で艶やかな尻がどうしようもなく好き。あわよくば尻を撫で回したい、揉みまくりたいという――性的倒錯者とはまた違った意味で、倒錯している男なのである。


 扨。そのような生粋の尻好きである田中は、現在とある人間に執着していた。
 その人間とは、左右田和一という――紛れもない、完全なる男子である。そう、男である。
 尻に関しては博愛主義者気取りの田中は、男である左右田の尻も余裕で許容範囲内なのだ。
 左右田からすると、堪ったものではないのだが――それは扨置く。
 兎に角である。兎に角、田中は左右田に――厳密に言うと左右田の尻に――執着しているのである。
 左右田和一は、超高校級のメカニックという肩書きを持つ男だ。メカニックと謳われているだけに、毎日つなぎ服を着用し、物作り――修学旅行の課題――に勤しんでいる。
 つなぎ服はやや大きめで、見た目だけでは身体の線がよく判らないのだが――田中には判った。否、勘と云っても良い。
 左右田和一は素晴らしい安産型だ――と、田中は直感的に理解したのである。
 そして田中は、同時に思った。撫で回したいと。


 田中眼蛇夢は、尻が好きである。特に――安産型が大好きである。
 男の身で安産型というのは珍しい。それに、男相手ならセクハラにならない筈――それが益々、田中の執着心を煽った。撫で回したいと。兎に角、撫で回したいと。
 頼めば触らせてくれるだろうか――と、田中は考えた。だがそれは、確実に無理な話である。
 左右田は田中に対し、異常なまでの敵意を抱いているからだ。
 簡潔に理由を述べるなら――左右田が好意を抱いている女子が、田中に好意を抱いているからである。
 つまり、左右田にとって田中は恋敵という存在なのだ。尻を撫でさせろという頼みを聞く訳がない。
 いや、喩え敵意を抱いていなかったとしても――男が男に尻を触らせてくれと頼んでも――普通に考えて、快諾されることは先ずないだろう。悪巫山戯がし合え、猥談の一つも気軽に交わせるような、余程の仲でない限りは無理である。
 なので、幾ら左右田に懇願したところで――田中が左右田の尻を触ることは、不可能なのだ。
 そう――正攻法では。




――――




 田中眼蛇夢は今、とある作戦を立てていた。
 破壊神暗黒四天王という四匹のハムスターを駆使した、画期的で単純明快で――とんでもなく阿呆な作戦を。
 この南国の島には、修学旅行メンバーが寝泊まりするコテージと、ホテルが存在する。
 今、注目すべき点はホテルだ。ホテルの二階にはレストランがある。二階ということは階段がある。レストランへ行くには、階段を上がらなければならない。階段を上がるということは――尻も上がるということである。
 もうお気付きだろうか。田中眼蛇夢は、左右田の尻を触る為だけに――この階段を利用するつもりなのだ。


 作戦はこうである。
 左右田がレストランに行く時間帯――朝と夕――を見計らい、左右田がホテルにやって来る迄、自分はホテルの周辺で待機する。破壊神暗黒四天王は、階段付近で待機させておく。
 左右田がやって来たら、その背後を然りげ無く確保し、一定の距離を保って階段に行く。
 そして階段を上がる途中、破壊神暗黒四天王が左右田へ襲い掛かる。驚いて体勢を崩した左右田が後ろへ倒れてきたら、尻を掴んで落ちないように支え――どさくさに紛れて尻を揉む。
 後は破壊神暗黒四天王の謀叛だと言い訳をしたり、助けてやったのだから有り難く思えと高圧的に言ったりして、尻を揉んだことを有耶無耶にしてしまえば良い。
 ――以上が、制圧せし氷の覇王である田中眼蛇夢が考え出した作戦である。
 これは作戦か? と思う方も居るかも知れないが、其処は目を瞑って頂きたい。彼は至極真面目に、この作戦を考えたのだから。




――――




 田中眼蛇夢は、作戦と云えるのか判らない作戦を実行すべく――朝、ホテル周辺のプールサイドにぼうっと突っ立っていた。破壊神暗黒四天王は既に、階段付近で待機している。後は標的が来るだけの、完璧な状態である。


 そして数分後、哀れな犠牲者となるであろう標的――左右田和一が、やって来てしまった。
 もし左右田が超能力者であれば、田中の思惑を察知することが出来たのだが――残念ながら、そのような漫画的能力は彼に備わっていない。
 なので左右田は、何も知らず気付かずに、レストランへ行こうとしていた。田中は作戦通り、彼の背後を然りげ無く確保しようとした――のだが。


 田中は見誤っていた。左右田和一の、警戒心の強さを。


 田中が背後へ近寄ってきた瞬間、左右田は弾かれたように後ろを振り返り、地面を蹴り付けて田中との距離を引き離し――いつでも逃げられるように身構えた。攻撃態勢ではなく逃走態勢に入るところが、とても彼らしいと云えるだろう。

「なっ、何だよ。人の背後取りやがって。何を企んでんだっ」

 精一杯の虚勢を張りながら、左右田は涙目で田中を睨み付ける。
 まさか左右田が、此処まで危機感知能力に長けているとは――と、田中は奇妙な感動を覚えてしまった。しかし同時に、彼は焦った。このままでは、作戦が失敗に終わってしまうからである。
 この作戦に協力して貰えるよう、破壊神暗黒四天王を何とか説得――謀叛の罪を着せる件で――したのに、失敗したのでもう一回お願い――なんて出来る訳がない。
 今しかない。田中にはもう、今しかなかったのである。

「ざっ――左右田よ。俺様は何も企んでなどいない」

 怯え狂う獣に接するが如き穏やかな口調で、田中は己の無実を訴える。しかし――その穏やかな口調が、却って左右田の警戒心を逆撫でてしまった。

「――いつも俺のこと、雑種って呼ぶ癖に。それに何だよ、いつものお前はもっと高圧的な物言いだろ。絶対何か企んでるだろ、なあ」

 警戒を通り越して、今にも飛び掛かってきそうな程に敵意を剥き出しにしてきた左右田に、田中は内心慌てた。何故俺様の魔力が通じない――と。
 名誉の為に述べておくが、田中の魔力という名の魅力は、対動物には効果絶大である。
 だが、人間相手には通用しない。いや寧ろ、今のように逆効果となることが多い。
 しかし――悲しい哉。軽いコミュニケーション障害と重度の厨二病を患っている彼には、それを知る術はなかったのである。何故ならそれを、誰も教えてくれないからだ。

「なっ――き、貴様が怯え惑う魔獣の如き振る舞いをしているから、俺様は寛大な心で情けを掛けてやったのだぞ」
「嘘だっ!」

 左右田の叫びによって、木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立った――ということはなかったのだが、田中の脳内を混乱させることは出来た。
 作戦が上手くいかない。左右田が警戒している。警戒を解こうにも嘘だと言われ――田中は、どうすれば良いのか判らなくなった。何をどうすれば上手くいくのか判らない。
 対人コミュニケーション能力が低い田中には、今まで向かい合ってきた猛獣達よりも強敵で――如何なる問題よりも困難で――あまりにも無理ゲー過ぎて――田中の思考は停止した。
 停止して、しまったのだ。
 故に彼は――本能に正直な獣と化してしまった。しまったのである。

「――尻を」
「は?」
「尻を揉ませろおおおおおおおおっ!」

 作戦とは何だったのか――そう思わせるような、直線的で直接的な実力行使だった。
 田中は猛り狂う獣の如き動きで左右田に詰め寄り、そして――左右田を抱き竦めた。突然過ぎて反応出来なかった左右田は、硬直してしまって動けない。
 そんな状態を良いことに、田中は――左右田の尻を撫で回した。遠慮なしに、揉みまくった。
 そして――田中は感動した。自分の直感に間違いはなかったと。未だ嘗て触れたことのない、素晴らしい尻であると――彼は感動したのである。
 柔らかく張りのある、厚過ぎず薄過ぎずの肉付きに、腰から足の付け根に至る迄の美しい曲線。服越しではなく、直接触りたいくらいの――それはそれは素晴らしい尻だった。
 田中は感動していた。只管感動していた。その所為で修学旅行メンバー全員が、自分と左右田を見ていることに気付かなかった。
 しかし左右田は、皆の視線に気付いていた。気付いていたが故に、彼は――。

「――ぎっ、ぎにゃああああああああっ!」

 田中を引き剥がし、その脇の下に腕を突っ込んで肩を掴み、身体を勢い良く捻って――田中を投げ飛ばした。所謂、背負い投げである。
 補足しておくが、左右田に柔道経験などはない。彼の中に眠っている、ほんの少しの野生が危機により目覚め、本能的に身体を動かしただけに過ぎないのだ。
 窮鼠、猫を噛む――と、田中は宙に浮きながら思い知った。
 鼠というよりは猫に似ているが、自分よりも小柄な左右田が、こんなにあっさりと自分を投げ飛ばすなんて――。


 どぼん、と。田中はプールの水底へ沈んだ。




――――




 田中眼蛇夢は、尻が好きである。
 どれくらい好きかと云うと、人種や性別、更には種族をも越えてしまうくらい――兎に角、尻が好きなのである。
 しかし、純粋に尻が好きというだけであり――其処に性的な感情は抱いていなかった。
 只管に尻が好き。腰から下の、足の付け根に至るまでの曲線美が堪らなく好き。豊満で艶やかな尻がどうしようもなく好き。あわよくば尻を撫で回したい、揉みまくりたいという――性的倒錯者とはまた違った意味で、倒錯している男なのである。
 そしてそのことは、とある一件で周知の事実になっていた。
 そう、田中が左右田の尻を撫で回した――あの一件である。皆が見ていた中でやらかしたので、必然的に露呈してしまったのだ。
 普通そのような特殊性癖が露顕してしまえば、自己嫌悪に陥ったり現実逃避したりするであろう。しかし――田中は違った。

「――左右田よ! 神々から授かりし豊満で美麗なる臀部を、俺様に愛撫させるが良い!」
「うっせえ変態! またプールに沈めんぞ!」

 そう、開き直ったのである。清々しい程に開き直ったのである。


 ――触らぬ神に祟りなし。
 実害が出ているのは左右田のみなので、他の皆は見て見ぬ振りを決め込んでしまった。左右田が助けを求めても、である。
 故に、左右田一人が田中を制さなければならない訳で――。

「――数刻とは言わん。鋼鉄の瘴気を纏いし黄衣を脱げとは言わん。ちょっとだけ、服越しで良いから揉ませろください!」
「巫山戯んじゃねえよ、この――糞弩変態覇王があああっ!」

 左右田は一瞬で田中の懐に潜り込み、彼の脇へ腕を滑り込ませて肩を掴み、そして――身体を思い切り捻って、田中を投げ飛ばした。

「――無っ。左右田、良い動きをしよるのぉ」

 柔道家にさせたいのぉ――と、事の次第を見ていた超高校級のマネージャーである弐大猫丸が呟いた時、田中は地面に叩き付けられた衝撃に呻き、七転八倒していた。

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