バレンタインで死にませう
バレンタインデー。
俺様はこの、忌まわしきイベントが大嫌いだ。
それは何故か? 誰からも貰えないから――じゃない。
母親からチョコレートという名前だった名状し難き冒涜的な物体Xが渡されるからだ。
毎年、毎年々々――物心が付いてから毎年、俺様は死にかけている。いや、何回か死んだ。だってお花畑見たことあるもぉぉぉんっ。
えっ? キャラが崩壊している? 崩壊してなきゃやってられんわ!
希望ヶ峰学園に入学し、寮生活を送るようになってから、母親の糞不味い料理を食わなくて良くなった――の、に!
こういうイベントになると、母親が名状し難き冒涜的な物体Xを送ってくるんですよ!
ああ、配達の人が可哀想だ。こんな――箱詰めにされていても尚異臭を放つ凶器を配達しなきゃならないなんて!
というかよく検査に引っ掛からないな! 危険物だろこれ!
引っ掛かれよ! 寧ろ引っ掛かれよ! 引っ掛かってくださいよ!
――なんて、現実逃避している場合じゃねぇやぁっ。
部屋の隅に追いやった、母親からの重たくて臭くて不味い愛の塊を見る。ふへへ、この世はやっぱり地獄だぜぇっ。
死にたい。
「――田中ぁっ。おい、居るか?」
俺様が自殺を本気で考えている最中、部屋の扉が叩かれ、そして――愛すべき友人の声がした。
あの声は――左右田だ、左右田和一だ。限りなく0に近い俺様の、数少ない友人である――左右田和一だ。
「――封印は解かれている、我が領域へと踏み入れることを許可してやろう」
「へいへい、お邪魔しま――臭っ。何この部屋、臭い。名状し難い悪臭がする、やばい」
鍵が開いていることを伝えると、左右田が軽口を叩きながら部屋に入ってきたのだが――俺様の母親が作り出した瘴気を吸い、顔を顰めて毒舌を吐いた。いや、毒舌どころじゃない。これは暴言だ。泣くぞ。
「田中、この不愉快な臭いはなんだよ。消臭剤買って来いよ、臭えよ。冒涜的だよ。吐き気を催す邪悪だって、本当」
泣くぞ。
「じ、実はだな――暗黒物質を捧げる地獄の祭典が今日であるために、我が眷族から、その――名状し難き冒涜的な物体Xを、送ってきたんです」
「ああ、例のメシマズ母さんがチョコレート送ってきたのか」
成る程成る程――と言いながら、左右田は部屋の隅に追いやった物体Xへ近付いた。
「なっ、左右田! 死にたいのか!」
「いや、臭えし。何とかしなきゃ拙いだろ、この不味いもんを。何つって」
上手くねえよ。美味くないだけに。
「何とかとは、どうする気だ?」
「捨てる――って言いたいところだけど、あれだろ? ちゃんと食べましたって証拠がいるんだろ、食べた感想とか」
流石左右田だ。俺様の苦労話を嫌と言う程聞かせてやっただけのことはある。
俺様の母親がメシマズなことも、その対処法も――完全に熟知している。
「確かに、そうだが」
「だろ。で、感想がいるなら――食うしかないだろ」
そう言いながら左右田は、物体Xを包んでいる紙を――ばりばりと破り捨てた。
ちょっ――。
「ちょっ、おまっ――ちょっと待ってよ! まだ踏ん切り付いてないんだよ、止めてよ開けるの!」
「踏ん切りも糞もあるか。さっさと食って、さっさと処分しねえと――この部屋、悪臭塗れになんぞ」
そうだけど! そうだけど!
そうだけれども左右田さん!
勇気がいるのよ左右田さん!
「だ、だがしかし、俺様にはまだ、食べる勇気がだな――」
「――じゃあ俺も食ってやるから」
何、だと?
「マジか」
「マジマジ。今日、誰も俺にチョコレートくんねえしさあ。今の俺、自暴自棄になってんだよ。だから――名状し難き冒涜的な物体X食って、死んでも良いんだ」
いや、良くないだろ。
「待て、早まるな。生きていれば必ず良いことがある」
「死ぬ前提で止めるってことは、かなり不味いのかこれ」
いつの間にか混沌の封を開けていた左右田は、その手に――名状し難き冒涜的な物体Xを摘んでいた。いや、えっ、何あれ。炭? 鉄塊?
「左右田、その手の物は――」
「ああ、これ? お前の言ってる名状し難き冒涜的な物体Xだよ」
マジで名状し難い色と形と臭いしてんなあ――と言いながら、左右田はまじまじと物体Xを眺めている。
「俺、お前の話を聞いてさあ――お前の母親の料理がどれだけ不味いのか、興味あったんだよ」
「いかん、駄目だ。落ち着け左右田よ。まず飲み水と桶と胃薬を用意してからでないと口に入れたら――あっ」
止める間もなかった。名状し難き冒涜的な物体Xは、左右田の口の中へ――入ってしまった。
もぐもぐと、左右田の口が動いている。咀嚼しているのか? あれを?
「お、おい、吐き出せ。ぺっしなさい、ぺっ!」
俺様は自分の掌を差し出し、此処へ吐き出すようにと促した――のだが。
「う、ぐうっ」
「左右田!」
びくりと、左右田の身体が痙攣した。その顔は顔面蒼白で、まるでこの世の終わりに直面したかのような――そんな表情をしている。
「――苦い、辛い、酸っぱい、しょっぱい、生臭い青臭い磯臭いとにかく臭いっ!」
何だこれは、全然甘くないじゃないか――と左右田は地団駄を踏み、頭を掻き毟った。
「っくぁぁぁあああっ! 脳髄にこびり付いて一生剥がれ落ちないかのような衝撃と不快感! 鼻から抜ける絶望的に不愉快な悪臭と激痛! 結論、殺人的に不味い! せめて砂糖が入っていれば許せたのに――全く入っていないじゃないかああああああああっ!」
砂糖の有無とか、そういう問題じゃないと思うのは俺様だけかな。
「――ふう。ある意味これは、芸術的価値のある殺人兵器だわ。凄い。凄いわ。田中、義母さんに伝えてくれ。芸術家になってくださいって」
ごめんちょっと意味解んないです。というか漢字の感じが違うような――。
「――つうか、お前も食えよ。俺だけ食うとか不公平だろ」
そう言って左右田は、物体Xの一つを俺様の掌に乗せた。手に乗せられただけなのに、身体中が食べるな捨てろと必死に訴えてくる。よくこんなものを左右田は食べ――って。
「――おい、左右田! お前何でまだ食べてんの! もう良いだろ、一個食べたらもう良いだろ! もうゴールして良いんだよ!」
「いやあ。何かこの絶望的な不味さが、堪らなく不愉快で愉快というか」
あかん、味覚ぶっ壊れやがった。
「駄目だ! それ以上食べたら、完全に舌が馬鹿になるぞ!!」
「でもよお、一応食い物だし、勿体ないというか。それに俺、チョコレートを誰からも貰えなかったから、自暴自棄だし」
「自棄になっているからって物体Xを食べて味覚障害を患おうとしないでください」
ただでさえ母さんの料理を食べたら、一週間は何を食べても味が解らなくなるというのに!
「大丈夫だって、慣れりゃあ結構癖になる味というか。美味くはないけど」
癖になる、だと?
あの女、ついに麻薬か何かを混入するようにでもなったのか?
ちらりと左右田を見る。相変わらずの顔面蒼白だが、物体Xを食べる手と口は動かしている。
本当に麻薬か何かを混入しやがったのか?
「左右田、洒落にならんくらい顔色がやばいぞ。蒼白を通り越して、限りなく透明に近いブルーになっているぞ。止めておけ」
「透明? 僕は、此処に、居ます」
ぼけてる場合か、突っ込まんぞ。
「つうかよ、お前さっさと食えよ。何で俺だけ食ってんだよ、こんなの絶対おかしいよ」
「――ああ、うん」
正直食べたくないが、全く無関係の食べなくても良かった善良――かは解らないが、そんな友人が頑張って――なのかも解らないが、とにかくこうして処理してくれているのだから、俺様も覚悟を決めて食べるべき――なのだろう。
――よし、食べよう。
覚悟を決めた俺様は、掌に乗せられた物体Xを口に放り――。
「っぐええええええええっ!」
――込んだけど、早速ですが吐きたいです。
先程言っていた左右田の感想で、何となくは予想していたが――予想を上回る不味さだ!
これは兵器ですか? 劇物は料理に含まれますか?
「おお、凄い断末魔の叫びだな。田中のそんな声、初めて聞いたわ」
勝手に殺すな、まだ生きている。
というかもう止めろって食べるの。明日死ぬから、腹下すから――って、もう殆どないじゃん。おいおいおい、お前どれだけ食ったんだよこれ。本当に死ぬぞ。
「――ご馳走様でした。いやあ、こんな貴重な体験が出来るなんて。人生何が起こるか解ったもんじゃあねえなあ」
って――完食しやがった。俺様、まだ一口しか食べてないんですけど。
「お、おまっ、貴様――全て食ったのか」
「あ、ごめん。食いたかった?」
いや、食べたくはなかったですけど。
「だ、大丈夫か? 身体の調子は? 胃は痛くないか? 眩暈は? 吐き気は? 何なら横になるか?」
「ええ――何、田中が気持ち悪い程に優しい」
心配してんだよ馬鹿。
「貴様は舐めている。あの女が創り出す魔の錬成物を」
「舐めてねえよ、咀嚼したんだよ」
ちげえよ馬鹿。
「――つうかよ。俺さ、こんな名状し難い冒涜的な物体Xを食べてに来たんじゃねえんだけど」
そう言いながら左右田は――先程からずっと持っていた、可愛らしい包装が施された箱を俺様に差し出した。
「これ、渡しに来たんだよ」
「何だこれは」
「何だって――」
チョコレートに決まってんじゃねえか――と、左右田は真顔で言った。
はい?
「チョコレート?」
「おう」
「えっ、何で俺様に? 貴様は男だろう」
確かバレンタインは、女が男に物を渡す日だった筈だ。少なくとも、俺様の中での認識はそうだ。
「まあ、俺は男だけど。何つうか、その――あれだ、戯れってえの? 花村がチョコレート菓子作ってたから、俺も便乗参加して作っただけ」
花村監修のトリュフチョコだから、美味い筈だぜ――と言い、左右田は俺様の手に、半ば無理矢理に箱を押し付けた。
「――絶対食えよ。じゃあな」
それだけ言うと、左右田は自身の腹を押さえながら、覚束無い足取りで俺様の部屋を出て行った。大丈夫かよ。
左右田のことは心配だが、それよりもというか――この、渡された物が気になる。
俺様は、箱の包装を破いてしまわぬように――丁寧に、一枚々々剥がしていった。すると其処には――これまた可愛らしい柄の箱が姿を現した。
そっと、箱の蓋を開けてみる。果して中身は――左右田の言っていた通りのトリュフチョコが入っていた。
一つだけ取り出してみる。見た目も香りも良い。紛う事無きトリュフチョコだ。
ひょいと口に放り込んでみる。美味い。とても美味い。先程食べた劇物とは比べ物にならないくらい――美味い!
幸いにもあれを一つしか食べていなかった俺様は、味覚障害を起こさずに済んでいたので――この美味さをしっかりと味わうことが出来た。美味い、美味いぞ左右田!
――ん?
ふと、疑問が湧いた。
確か左右田は、俺様の母親がメシマズなことも、その対処法も――母さんの料理を食べたら、一週間は何を食べても味が解らなくなることも――知っていた筈じゃなかったか?
にも拘わらず、あの劇物をほぼ全て平らげ、そして俺様にチョコレートを渡し、絶対食えよと言ったのは――。
まさか――自分の作ったチョコレートを、しっかりと俺様に味わわせるため?
「――まさか、なあ」
そんな訳、ないか。
だって俺様達は友人だし。
そんな、まるでそんな――。
――いや、ないない。
俺様は、一瞬考えてしまったある筈のない可能性を掻き消すように頭を振り――また一つ、チョコを口に放り込んだ。
[ 117/256 ][*戻る] [進む#]
[目次]
[栞を挟む]
戻る