これも現実

 好きになるというものは常々、詰まらないことが切っ掛けで起こり得るもので――。




 斯く言う俺様も詰まらないことが切っ掛けで、とある人間に恋をしてしまった訳である。
 しかも相手は俺様と肉体的性別が同じ――つまりは同性――であり、一般的人間社会の常識から鑑みて、それはそれは障壁の多き恋路となることは、恋愛経験皆無の俺様にも容易に想像が出来た。


 故に、俺様は苦悩している。
 この胸に秘めたる想いを、どうするべきなのかと。
 俺様も彼奴も、肉体的性別は同じだ。せめて彼奴の精神的性別が女であれば或いは――と一瞬思いもしたが、彼奴は普通に女が好きであり、精神的性別が女という訳ではない。
 いや、精神的性別が女であれば、俺様はこんな恋情を抱いてはいなかったかも知れない。
 俺様が男色という意味ではなく、人格的な意味でだ。俺様は男色ではない。
 偶々好きになった人間が同性だったという、不幸な運命にあっただけである。もう一度言おう、俺様は男色ではない。


 因みに、惚れてしまった切っ掛けは、本当に些細で詰まらないことである。
 諸事情により南国の島にて、強制的に労働と他者との交流を強いられ、その流れで彼奴とも交流した結果――好きになってしまっただけなのだ。
 だって彼奴すぐに泣いて可愛いし、かと思えばちょっとしたことで笑顔になって可愛いし、ふとした時に見せる寂しそうな顔なんてもう、抱き締めてやりたくなるくらい可愛くてだな――おっといかん、人格崩壊してしまった。今のは忘れてくれ。


 とにかく俺様は、彼奴のことを好いてしまったのだ。この想いは永遠に変わらないであろう。
 そう、変わらないのだ。
 だからこそ俺様は、苦悩している。嫌いにはなれない、諦められない、この感情を忘れるなんて不可能だ。
 だがしかし、この恋が実る可能性は万に一つもない。何故なら彼奴は健全な男性であり、同性愛者ではないからだ。おまけに彼奴には好きな女がいる。
 絶望的に不利な現実。これが、現実である。


 これが命を賭けたゲームなら、俺様は臆することなく挑んだであろう。
 これが生き残るための決闘なら、俺様は逃げることなく挑んだであろう。
 だがこれは無理だ。玉砕覚悟の告白なんて、俺様には無理だ。
 世の中には『当たって砕けろ』などという言葉が存在するが、これほどまでに無責任で残酷な言葉はないと、俺様は思う。
 砕けた後、どう生きろと云うのだ。お互いに気拙いまま、何事もなかったかのように過ごせというのか。
 それならもう『当たって砕けたら死ね』と言われる方がずっと良い。
 制圧せし氷の覇王だと自称しているが、俺様はとても繊細な心を持っているのだ。砕けたら死ぬ。比喩ではなく本当に死ぬ。地獄へ堕ちて魔界の城に引き籠もる。
 それほどまでに俺様は、砕けた後のことが怖いのである。


 嗤うなら嗤うが良い。
 俺様を意気地なしと、臆病者だと罵るが良い。
 己の恋情を抑え込み、無様に現状を維持し続け、曖昧で脆弱な繋がりに満足している恥知らずだと、俺様を嘲るが良い。
 実際に俺様は、意気地なしで臆病者な恥知らずなのだから。




――――




 そうして暫く、悶々とした日々を過ごしていたのだが。
 ある時、彼奴以外に信用出来る唯一の特異点にして魂の伴侶――因みに彼奴は俺様の魂の半身、予定――が、労働後の自由時間に俺様を指名し、半ば強制的に俺様を連行した。
 連れて来られた場所は、いつも人気のない遺跡。暇潰しにもならないこの場所には、採取以外では誰も近寄らない。
 そんな場所で特異点――友人――は、俺様と周囲の様子を窺いながら口を開いた。

「なあ田中。こんな質問をいきなりするのは失礼なんだろうけど――お前もしかして、左右田のことが好きなのか?」
「っは――」

 一瞬、呼吸が止まった。
 何故知っている? いやそれよりもその事実を彼奴は、左右田は知っているのか?
 どうしよう。この想いが左右田に知られていたとしたら、俺様はもう――。

「お、おい田中、大丈夫か? 顔面蒼白になってるぞ。何を考えたのか知らないけど、左右田は何も知らないから安心しろ」

 此奴は人の心が読めるのではなかろうか、というくらいに的確な言葉が俺様に掛けられる。
 何と返答すべきか悩んでいると、特異点は気拙そうに再び口を開いた。

「何というか、最近、左右田を見るお前の目が、妙に熱っぽいというか。しつこいくらいにべたべた左右田に構ってるし。それにほら、左右田が好きなコーラとか機械のパーツとか、貢いでるだろ?」

 ――だからもしかして、左右田のことが好きなのかなあ、と思って。
 などと苦笑混じりに言いながら、特異点は俺様の目をじっと見つめた。
 特異点の目は、さっさと白状して楽になれよと俺様に訴えかけていた。友人はちゃんと選ばないと駄目だと思った。




――――




「何だよ焦れったいなあ。当たって砕けてこいよ」

 洗いざらい自分の感情を吐き出した結果、特異点は無責任で残酷な言葉を吐いた。少し泣きそうになった。

「それが出来れば俺様は、地獄の業火に焼かれるが如き苦悩などしていない」
「砕けるのが怖いのは判るけど、このままだと一番辛くて苦しい目に遭うのはお前だろ?」

 ぐ、と息が詰まる。何でも良いから言い返してやりたかったが、言い返す言葉が見付からない。

「そりゃあ気拙くなってもう二度と会話も出来なくなるかも知れないけど、もしかしたら上手くいって付き合えるかも知れないじゃないか」
「憶測で語るな」

 可能性が限りなく皆無に等しいというのに、この男は何故こうも前向きな意見しか吐かないのだろうか。頭の中がお花畑なのだろうか。草刈り機に突っ込んでやろうか。

「憶測、か。確かに、まあ、憶測かも知れないけど」
「かも知れないかも知れないと、貴様はそれしか言えんのか」
「ああ、うん、ごめん」

 苦笑混じりに返答し、特異点は俺様から視線を逸らした。それから何かを躊躇うように何度も口を開閉させ、ああ、ううん、と言語にならない声を上げ、苛立たしげに頭を掻いた。

「何がしたいのだ」
「いや、まあ、その、えっと」

 そう言って特異点は、俺様の目を見た。先程とは違い、何かを決心した漢の目をしていた。

「多分な、左右田もお前のこと、好きなんじゃないかなあ、って」
「っは――」

 呼吸停止、二回目。
 だが今回は内容が内容だったので、俺様の回復は早かった。

「どういうことだ。左右田が俺様のことを好いているのか? どういう意味で、どれくらい、いつから!」
「落ち着け、ちょっと日本語崩壊してるぞ」
「そんなことはどうでも良いんです! それより詳しく説明してください!」
「判った、判ったから落ち着け、がっくんがっくんしないでくれ」

 いつの間にか俺様は、特異点の胸座を掴んで揺さぶっていたようで、慌ててその手を放した。俺様の手から解放された特異点は、軽く服の乱れを整えると、俺様と距離を取ってから口を開いた。

「友情なのか愛情なのか、それは俺にも判らないけど、左右田はお前のことが好きだと思う」
「その根拠は」

 根拠、と特異点は反復する。

「根拠というか、そういうのはないんだけども。左右田が俺に、お前の話をしてくるから」
「俺様の話、だと?」
「お前が何々してくれた、とか。お前と何処其処へ行った、とか」
「その程度のことでは――」

 好きだと判断出来ない――と俺様が言いかけた瞬間、特異点がさらりと宣った。

「凄く嬉しそうに頬を赤くして言ってくるんだぞ」
「っは――」

 三度目の呼吸停止。だがしかし、特異点は止まらない。

「ソニアの話をする時は餓鬼みたいにはしゃいでるだけなのに、お前の話をする時だけ赤面しながらぽつりぽつりと語り出すんだぞ」
「な、ななっ――」
「他の奴の話をする時は普通なんだ。だけどな、お前の話をする時だけ、表情が違うんだよ。ああ、何て言ったら良いのかな。恋する乙女みたいな?」
「こ、恋、おと、め」

 何なんだ。何なのだ一体。急展開すぎて付いていけない。
 まさか、そんな。会う度に挨拶代わりの口喧嘩を交わす、そんな程度の存在でしかない筈の俺様を、そんな。
 これは夢か?

「これが夢なら、醒めないでくれ」
「夢じゃないから安心しろ」

 特異点はそう言って、俺様の肩をばしりと叩いた。かなり痛い。

「ゆ、夢ではない、な」
「ああ、夢じゃない。これが現実だ」

 これが、現実。
 絶望的に不利な現実が、一縷の希望すらなかった現実が――少しだけ、命を賭けるに値する現実に変わった。
 ああ、今なら――出来る。

「特異点よ」
「ああ」
「俺様はこれから、左右田のところへ行ってくる」
「ああ、行ってこい。骨は拾ってやるよ」
「笑止! 砕けたが最期、俺様の身は骨一つ残らん!」

 そう、残らない。残してやるものか。当たって砕けたら、綺麗に去ってやるのだ。
 何故なら俺様は――。

「――俺様は、制圧せし氷の覇王だからな!」




――――




「で、左右田とはどうなったんだ?」

 夕食後。俺様が一人になったその隙を突くように、特異点が話し掛けてきた。

「生きてるってことは、成功したってことか?」
「――ふっ」

 俺様は不敵に微笑み、得意の恰好良いポーズを決め、高らかに言い放ってやった。

「当然だ! こうなることは因果律により、既に決定されていたことなのだからな!」
「ああ、はいはい」

 おめでとうさん。と特異点は言い、俺様の肩を軽く叩いた。

「でもまあ、その、頑張れよ」
「――は?」

 何を頑張れと云うのだ。ああそうか、同性愛に対する偏見や差別に対して『頑張れよ』ということか。

「ふっ、それなら問題ない。俺様は覇王だからな」
「え、ああ、そうか。なら大丈夫か」

 でもな、と特異点は言う。

「彼奴を裏切ったりしたら、絶対駄目だからな」

 多分彼奴、ヤンデレだから。と、特異点は遠い目をしながら呟いた。

「ヤン、デレ?」
「ヤンデレ、知らないか?」
「いや、意味は知っているが――どういうことですか?」

 実はな、と特異点が頬を掻きながら口を開く。

「ずっと、お前に言うべきか否か迷ってたんだけど――その、彼奴、昔の親友に、ストーカー的なことをしていたみたいで」
「ストー、カー?」
「お前も左右田との希望の欠片を全部埋めてるから知ってるだろうけど。ほら、左右田を裏切った親友がいたって話、知ってるだろ?」
「あ、ああ」
「あれな。実は疎遠になって終わり、じゃあなかったんだよ」
「え――」

 それから特異点は、長く恐ろしい左右田と親友の後日談を語った。
 内容は割愛する。俺様の精神衛生上、とても悪いからだ。
 唯一つ言えることは――。

「――俺様は、とんでもない魔物を半身にしてしまったということか」
「まあ、うん、頑張れよ」

 頑張れよ、じゃないだろ。何でもっと早く言ってくれないのだ。

「大丈夫、お前は覇王だし。左右田くらい何とか操縦出来るって」

 さっきの話を聞いて、操縦出来る気が全くしないのだが。

「愛があれば逝ける逝ける」

 何だか誤字があったような。

「まあ、その、骨は拾ってやるから」

 果たして左右田は、拾えるだけの骨を残しておいてくれるのだろうか。
 ふと、特異点が俺の背後を見た。その瞬間、特異点は引き攣ったような笑みを浮かべ、そそくさと俺様から離れていった。
 どれだけ鈍感な人間でも感知出来るであろう殺気が、俺様に向けられている。じっとりと、背中から嫌な汗が出てきた。

「田中。今、日向と何を喋ってたんだ?」

 ゆっくりと、振り返る。
 普段と何も変わらない、愛しい愛しい左右田の笑顔がそこにあった。
 唯一違う点は、その目が全く笑っていないことだった。
 ――ああ、これも現実か。
 現実は厳しいなあと、何処か他人事のように考えながら、この場をどう凌ぐべきか思案することにした。

[ 75/256 ]

[*戻る] [進む#]
[目次]
[栞を挟む]


戻る


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -