下
「ジャギ、すまないが酒を貰えないか」
「へ? あ、ああ」
トキの申し出の内容に少し抵抗を感じるも、断って何かされるのは怖いので、ジャギは近くに転がっている未開封の酒瓶を拾い、トキに手渡した。
「ありがとう」
そう云ってトキは酒瓶の蓋を開け、中身を口に含んだ。と同時にアミバの顔を自分の方へ向けさせ、間も置かずにキスをした。
ジャギは絶句した。
トキが口移しで、アミバに酒を飲ませている。酔っ払いの行動原理は理解し難いものがある、ということは知っている。だがこれは酷すぎるだろうと、ジャギは頭が痛くなった。
「そういうのは余所でやってくれ……」
「嫉妬しているのか?」
「俺は女が好きだっつーのッ」
「そうか。安心した」
そしてまたトキは酒を呷り、アミバに口移しで飲ませた。
「一度こういうことをしてみたかったんだ」
「……さいですか」
「あわよくばその先も」
「此処では止めろよ。フリじゃねーからな」
ジャギは別に二人が付き合っていようが――アミバは認めていないが――何をしていようが構わなかった。
ジャギにとって、アミバは良き相棒だ。それ以上でも以下でもない、掛け替えのない強敵だ。
血は繋がっていないが、トキのことを兄弟だと思っている。
柄ではないが、それなりに二人の幸せも願ってやっている。
だがしかし、それはあくまで自分に害のない範囲内のことである。このように所構わずいちゃつかれると、精神的に大変宜しくない。
しかも自分の目の前で。
ジャギには男色の気があるわけではないが、何となく、そう、何となくむかつくのだ。
「では、アミバを持ち帰っても良いか?」
と云いながら、トキはがっちりとアミバの身体を抱き締めて離さない。
「苦しい」
「良いよな?」
「苦しいー」
「持ち帰って良いよな?」
苦しいと訴えるアミバを無視して、トキはぎゅうぎゅうと抱き締め続けている。目は完全に据わっている。
自分の生命が助かる上に、目に毒な奴らを追い出せる。
答えはもう、一つしかない。
「どうぞどうぞ」
ジャギの返事は酷く疲れ切ったものだったが、妙に晴れ晴れとしていたと、後に部下の一人が語っている。
以下、無駄な後日談的なもの。
次の朝、アミバはベッドの上で目を覚ました。
トキに抱き締められた状態で。
「……」
声も出ないとはまさにこのことだと、アミバは他人事のように思った。自棄になって酒を呷ってから、その後の記憶が全くない。
何故トキがいるのかと思ったが、視界の端に映る見慣れぬ壁や物を見る限り、恐らく此処はトキの住む家だろう。
つまり自分は、隠れ家からわざわざこんな所まで来て、トキと一緒に寝ていると?
その考えに行き着いたアミバは、無性に泣きたくなった。もし今の自分やトキが裸、もしくは半裸だったとしたら、すぐにでも自決していたかも知れない。
そういえばジャギはどうしたのだろうか、自分が何かしてしまったのだろうか、もしかしてそのせいでこんなことになっているのだろうか。
悪い考えばかりが頭に過ぎる。酒なんて飲まなければ良かったと、あの時の自分を殴りたくなった。
しかし過去の自分を殴ることはできない。なのでアミバは、目の前で寝ているトキを殴ることにした。
何とも云えぬ幸せそうな顔が憎たらしい。アミバは手を上げると、手首の力を利かせてトキの頬を叩いた。
「痛っ」
最悪な起こし方をされたトキは、叩かれて少し赤らんだ自身の頬を撫でた。
「酷いな。もう少し優しく起こしてくれ」
「黙れ。それより何故俺がこんな目に」
「全く覚えていないのか?」
「何をだ」
「いや、覚えていないのならそれはそれで」
「云え。何があった」
「聞きたいのか?」
聖者と崇められている人間がするとは到底思えぬ程の嫌らしい笑みを浮かべながら、トキはアミバの髪を梳くように撫で、流れるように頬、顎、そして唇を撫でた。
妙に意味あり気なその行動に、アミバは戦慄した。聞いてしまったら、精神衛生上悪い気がした。
「やっぱり云わなくて良い」
「そうか、残念だな」
などと意味深な振る舞いをしているトキだが、別にアミバと何かあった訳ではなかったりする。
トキ自身も酒がそれほど強い訳でもないので、自宅までアミバを連れ込むことはできたが、睡魔には勝てず、そのまま現在まで眠りこけてしまっていたのだ。
にも拘わらずこのような振る舞いをしているのは、単にアミバの反応が面白いからである。
まさに外道。
「それよりアミバ、温和しいな」
普段のアミバなら、トキに触れられるだけで怒り狂う筈だ。だが今のアミバは、トキに温和しく抱き締められた状態である。嬉しい状況ではあるが、トキは不思議で仕方なかったのだ。
「もしかして、私のことが」
「違うッ。頭痛と吐気がして動きたくないんだよ」
「ああ、二日酔いか」
「何だ、その残念そうな顔は」
「いや、素直になってくれたのかと」
「俺はいつでも自分に正直だ」
「そうか。私の顔を叩く元気はあるのに、動けないのが正直なのか。うんうん、確かに正直だなぁ」
「……」
殺気を込めに込めた目で睨むアミバだったが、トキは怯むことなくにこにこ笑うだけで効果がない。
「そう睨むな。益々目付きが悪くなるぞ」
「余計なお世話だッ」
黙れと云わんばかりに、アミバはトキの胸に頭突きを食らわせた。が、そこまで強い衝撃でもなく、トキは眉一つ歪めなかった。
寧ろ多大な損害を受けたのは、頭突きをした本人だった。
「気持ち悪い……」
「だ、大丈夫か?」
アミバは自身が二日酔いであることを忘れていた。頭を振ったのと、頭痛した時の衝撃で気分が益々悪くなったのだ。
「大丈夫じゃない……畜生、全部貴様のせいだ」
「理不尽……と云いたいところだが……まあそうだな、私が悪いな。だから責任をとろう」
そう云ってトキは、アミバの背中を撫でた。
「何をしている」
「介抱だ。私も二日酔いで気分が悪い故、これ以上はできないが」
「……なら温和しく枕代わりにでもなっとけ」
「抱き枕か?」
「……」
「抱き枕か?」
「お前は余計な一言が多すぎるッ」
二日酔いの人間が繰り出したとは思えない強烈な掌底打ちが、トキの臍部へ見事に決まった。
不意打ちだったのと、体調が万全でなかったせいでまともに食らってしまい、トキはベッドから勢い良く落ちた。
「い、痛い……」
「き、気持ち悪い……」
アミバは掌底打ちの構えのまま、普段から悪い顔色を更に悪くして唸る。
「なら殴らなければ良かったのに……」
じんじんと痛む腹を押さえながら、トキはゆっくりと立ち上がり、ベッドに戻った。
「またぶっ飛ばされたいのか?」
「いや、もう何も云わない。お前の好きにしてくれ」
「……最初からそうすれば良いんだよ」
そう云うとアミバは、隣に戻ってきたトキを抱き締めた。
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