天上の月




人の器を手に入れて得たもの


嬉しい、悲しい、愛しい、苦しい
人がもつ感情が俺の中のほとんどをしめて、君を好きだと自覚したと同時に
君の心が俺に向くことはないのだと分かった

でも、届かないと知っていても欲しいと思う
その欲も人になって手に入れたもの





「大丈夫かー?」
「うむ…だいしょう、ぶ…だ」
「大丈夫じゃないか」



主から任された内番をこなしている最中、今日の相方である三日月が倒れたのが数刻前
途中見舞いに来た主と薬研は疲労ではないかと言っていた
主は無理な出陣を繰り返すタイプではないし、手入れが間に合っていない訳ではない

首を傾げ何やら話ながら去っていく二人に、考えても知らない限りは分からないだろうと
心の中で呟いた



「鶴」
「ん、なんだ?」
「手を煩わせてすまぬな、…仕事に戻っても、大丈夫だぞ」

「そんな顔でよく言う」



青白い顔で微笑む三日月に思わずため息が出る
いつもはこれでもかという位マイペースなのにこんな時ばかり気を使う
だいたいこの暑さじゃ誰かに扇いでもらわなきゃ居られないだろ

パタパタと手にした団扇で風を送ってやるとその表情が少し柔らかくなる
さらさらと揺れる髪見ていると触れたいという欲求が溢れ出して、いつのまにか手を伸ばしていた
頬を指先で撫でると擽ったそうに細められる瞳



「んっ…どうした」
「髪、顔にはりついてたぜ?」
「おぉ、そうかっ…すまぬな」


 
揺れる髪の向こう、服で殆んど隠れているがほんの少し出ている首筋の緋
それが目に入り三日月が倒れた理由はやはりそれなのだなと分かった

さしずめアイツのせいだろう



「三日月、昨晩は早く寝れたのか?」
「ん?あぁ…よい月夜であったからなぁ、小狐丸と晩酌をしておった」

「ったく、それ主に言ったら泣くぜ?」
「はっはっは、では俺と鶴と小狐の秘密にしようぞ」



ご名答
三日月の晩酌の相手は小狐丸しか居ないんじゃないかって思う位、酒の話になるとその名前しか出てこない
いや、もしかしたら他の奴と飲むなとどこぞの狐に言われてるのかもしれないな



「そんなに盛り上がったのか、晩酌」
「まぁ…そんな所だ」

ほんのりと赤く染まる頬
この顔を見て分からないという奴が何処にいると言うのか
晩酌の流れでされたであろう行為と、その薄い唇から漏れる甘い声を想像する
きっと月に照されるその体はしなやかで、触り心地がいいに違いない
恥ずかしがりながらも艶かな声をあげるその姿が簡単に目に浮かんだ

目の前の三日月はまだ顔色が良くなくて、少し辛そうに眉を寄せている
それでもこのまま襲ってしまおうか
今を逃したらこの先はないのではないかと
頭の中で繰り返されるやりとり

黙りこんだ俺が気になったのか不思議そうに小首を傾げた三日月がその唇を開こうとした瞬間、
バタンと大きな音がして開く襖
向こう側には遠征の帰りにそのまま立ち寄ったらしい小狐丸がまるで三日月が壊れてしまうとでも言うかの面持ちで入ってきた



「宗近っ!」



あぁ、俺もその名前で呼べたらどんなにいいか

小狐丸が来てから三日月の瞳が俺を写すことは無くなった
優しげな瞳
俺と居るときよりも柔らかな表情
こんな顔を見せられると勝てる気もしなくなる
それからはその腹いせにと小狐丸をいじりにいじり倒していたが、
ついに三日月からのまてが入ってここまでかと苦笑いを浮かべた



「んじゃ彼が来たから俺はそろそろ退散するぜ?」



俺が居てやるから本当は来なくもよかった
その言葉を飲み込んでなんとか表情を作る
持っていた団扇を小狐丸に押し付けて、まだ顔色のよくない三日月と一言二言交わしてから部屋を出た



パタンと、襖を閉めるともう月が天に昇っていて、
遠征組が帰ってきたのだから遅い時間なのだろうと思ってはいたが、もうそんな時間だったのかと息を吐いた
三日月と居ると心臓に悪い
良からぬ事をしたくなる
それでも



「…手に入れたい」



届く筈のない三日月に手を伸ばしてグッと唇を噛み締めた
届かないものほど美しく、欲しいと思ってしまう
夜空を彩る三日月も、天下五剣の三日月宗近も


きっとこの手には入らないだろう
そう思いながら独りその部屋を後にした


天上の月

(そんな事、君は全く知りもしないんだろうな)

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