わたしの今までは何だったんだろう――何度目かわからない問いを自分自身に投げかけながら、暮らしをつないでいくにはあまりにも少ない荷物のつめこまれたボストンバッグを乱雑に地へ落とした。コンクリートにぶつかったチェック柄が、ぼふん、と音を立てる。
出て行きます、不名誉除隊扱いでかまいません。そう告げたときのレン様のお顔は、心底どうでもよさそうだった。話を切り出す前、わたしの再教育を命じたときからずっと変わらず、そんな顔をしていた。レン様の中では一度負けた人間は必要でなくなること、はじめから知っていたのに。
けれどわたしは馬鹿みたいに、期待をしていたのだ。わたしならきっと、負けてしまったけれど許してもらえる。そんな自惚れに、わたしは気がつかないうちにはまりこんでいた。
「レン様、さようなら」
わたしの心の内なんて知らないとでも言うようにすっきり晴れた青い空を、わたしの口から漏れ出た言葉がのぼっていく。もうここでカードファイトをすることも、レン様の隣に立つこともない。今になってそれを実感したわたしの中を、寂しさと悲しみとがぐるぐると渦巻いて、到底一言では表しきれないような複雑な感情が駆け巡っていた。
本当に、わたしは今まで何のために戦ってきたのだろうか。レン様に認めてもらいたくて、見放されたくなくて勝ち続けてきたけれど、築き上げてきたものなんて負けた瞬間に全部崩れ去ってしまった。努力が無になるのは一瞬だった。そんな、一瞬で無くなってしまうもののためにわたしは頑張ってきたのかと、自分自身に何度も聞いた。けれどわたしには分からないのだ。わたしは何のために戦ってきたのか、どうしてレン様に認めてもらいたかったのか。
背の高いビルを見上げると、首が疲れる。上を向いていた首を戻すと、見慣れた赤い髪が見えた。
「おや」
「レン様……」
「まだいたんですね。てっきりもう帰ったものかと」
口元に笑みをたたえたレン様の瞳は笑っていない。当然だ、レン様が弱者に興味など持たないことくらい、分かっていたはずだった。それなのに寂しさを感じて、またわたしは無駄な期待を抱いていたことを思い知る。
なんて馬鹿なんだろう。わたしを見捨てたレン様の視線の冷たさを知ってもなお、まだみっともなく自惚れている。ほんとうに、ばかだ。そんな自分を葬れなかったわたし自身が情けなくて、わたしはただ俯いて唇を噛むことしかできなかった。しばらく無言の時間が流れたが、それを打ち破るレン様の問いかけに顔を上げる。
「どうして再教育を拒んだんですか?」
「はい……?」
「それほどにフーファイターに未練があるのに、どうして君は出て行くと言ったのか……それが、何となく気になりまして」
「それは……」
まさか、言えない。自分がレン様に特別扱いされていると驕って、再教育なしで今までわたしが立っていた場所へ戻してほしいなどと望んでいたなんて。出て行くと言えば、きっとレン様がわたしを引き留めてくれると思っていたなんて。
目をあちこちに泳がせながら黙り込んでいるわたしに、レン様はため息をつく。これ以上話しても無駄だと思われたのかもしれない。
「言えないなら、別に構いませんけど」
「ごめんなさい……」
「そろそろ行ったらどうですか? 陽が暮れてしまいますよ」
「は、い……、さようなら」
かすれた声で別れの挨拶を済ませ、レン様に背を向ける。もう行こうと右足を前に出した、そのときだった。
「ナマエ」
「………」
「僕はナマエのこと、好きでしたよ」
わたしも好きでしたなんて、わたしにそんなことを言う資格は無い。だからわたしははっと息を飲んで、レン様の言葉を胸に仕舞うように自分の両肩を抱いた。たとえ過去形であっても、レン様がわたしを好きでいてくれた事実は変わり無い。それだけでわたしは幸せ者だから、一向に構わないのだ。
前に出した右足に、左足がついてこない。レン様の言葉を聞いたときに、何度も投げかけた自分への問いの答えを見つけてしまったからだ。
わたしが戦っていたのは、レン様のことが好きだったからだ――。悩んだ時間に比例しない、複雑さを一切持たないシンプルな答えだった。わたしはレン様に恋をしていたから、レン様の隣に立てるように勝ち続けようとしてきたのだ。
わたしは、ばかだ。いつからか、レン様を好きという単純な気持ちさえ忘れてしまっていた。ただ勝つことにばかり執着するようになって、カードを持つ手も迷いに震えるようになって、気がついたときにはもう、その迷いの中に恋心を沈めてしまっていた。わたしの感情に「恋心」という名前がついていたことを、無かったことにしてしまっていた。
もしももっと早く、わたしがそのことに気がつけていたら。そうしたら、こんな終わりを迎えることは無かったのだろうか。冷静さを保っている別の自分が、そんなことはあり得ないと返答する。失恋をしたのは今日だけど、恋を失ったのはもっとずっと前だ。むしろ、とっくに好きを失くしていたくせに、ずっとレン様の隣にいられたことに感謝するべきなのだ。
悲しいなあ、ぼんやりとそんなことを思う。好きだったのに忘れてしまうなんて。迷いの向こう側に気持ちを沈めて、それでもわたしは幸せだったなんて、あまりに滑稽で寂しくて、悲しい。
悲しいから、レン様がわたしの失くした感情を迷いの中から取り出して攫ってきてくれたら良かったのに、なんて、随分と他力本願で自分本位なことを考えていた。絶対にあり得ない、夢物語みたいな話だけれど、そう願っていればいつかまたレン様の特別に収まれるかもしれないと期待するような――そんな傲慢さだけは相変わらず、わたしの中に息づいている。