*名前変換なし
*4主は男
*本編後



 美しいその色は、どうにも荒れ果てたこの場所には不似合いだった。
 険しい山道を越えてずっと歩き続けた先に、ひっそりとその場所はあった。崩れた家屋と、枯れた草木と、死んだ大地。カエルの鳴き声さえ聞こえないこの場所にも、かつては命の営みが在ったのだろう。小さな集落、あるいは村の跡地。終わりを迎えてしまった地。私が足を踏み入れたのは、きっとそういう場所だ。
 風が吹き、砂埃が舞った。視界を遮るそれが晴れた時、一点の美しい緑を見た。瑞々しく透き通るようなその色は、私の知る命の色によく似ている。麻でできた服を纏って、美しい緑の髪の隙間からスライムピアスを覗かせるその人は、私に気がつかないままどこかを見ていた。髪の毛と同じ色をした宝石のような瞳には、まるで表情がなかった。
 死人みたいだと、思った。生き生きとした色にさす影は、この場所に漂うそれと同じだ。
 死人のような彼は崩れた廃屋の剥き出しになった基礎のところにもたれかかって、ただまっすぐに何もないところを見つめている。そっと近づいたつもりでも、乾燥しきった地面はざりざりと鳴って私の歩みを示した。人ひとり分の隙間を空けて隣に腰かけた私に、彼は目もくれない。

「……あんた、死にに来たのか」

 私が腰を下ろしてどれくらい経っただろう。一時間くらいかもしれないし、十分かもしれない。一切が死んだこの場所は時間さえ死んでいるのかも。彼に声をかけられた時、そんなことを考えてしまった。彼の声は、耳馴染みが良くて聞きやすかった。

「そんなところ、かも」

 答えながら、私の口元は少し笑っていた。
 何もかも捨ててしまいたくなって、誰もいないところを探していた。死のう、と明確に決めたわけではないけれど、今より楽になる方法がそれしかないなら構わない、そんな短絡的な考えだった。今は、同じ考えかどうか自分でも分からない。ここに蔓延る死の数々は、あまりにも寂しすぎた。
 彼は視線を一切私に向けない。遠くを見たまま、眉を寄せた。彼の『表情』だった。

「それなら他に行ってくれ」
「……あなたがここで死ぬから?」
「………」

 沈黙のあと、彼は私を一瞥した。もう険しい表情は取り払われて、色のない顔がほんの少し私を捉えただけ。

「ここは、俺の生きる場所だから」
「生きる場所?」
「だから、ここで死ぬなら許さない。そうじゃないならどうでもいい」
「………」

 言い終わった次の瞬間には、もう彼は私を見ていなかった。
 生きる場所、そう彼は言った。死の色の中で柔らかく揺れる緑は、たしかにこの場所で唯一の生命だ。彼の纏うくたびれた麻の服の裾が、時折風に吹かれてぱたぱた揺れる。それでも、彼は死人に似ている。

「……ここを出て、山道を下れば、町があるよ」
「知ってる」
「知ってるのに、ずっとあなたはここを離れないの?」
「ここは俺の生きる場所だって、言っただろ」
「でも、まるで死人みたいだったから」

 彼は私を見た。

「……この場所で、俺は生きてた。あそこにあった家で寝て、起きて、飯を食った。小さな村で、裕福じゃなかったけど、俺の人生はここにあった」
「………」
「ここは俺の生きる場所だった。みんな死んでから、ここが俺の生きる理由になった。これからも、ずっと」

 死人みたいでも良い、と彼は言う。「ここだけが俺に残ったものだから、俺はここで生きていくんだ」言葉の最後の方は風に攫われていって、聞き取るのに苦労した。
 なんて悲しく、寂しくて救いがないのだろう。
 彼がどんな人生を歩んできたのか、そんなことは知る由もないけれど、彼の中にあるべきものは一切呼吸をしていない。死んで、そして彼を縛る枷となった。死でできた牢獄はきっと彼を殺すのに、彼はここで『生きる』という。
 吹きすさぶ砂の向こうに、果てない青空の下に、満ちる陽の光のなかに、彼は何を見るのだろう。

「ねえ」
「……なんだよ」
「私も、ここにいていい?」

 私は彼を見るのをやめて、問うた。彼と同じ方向に視線を向ける。舞い上がった砂埃に太陽の光が反射して、きらきらと降る。同じところを見ても、彼と同じものを見ているとは到底思えなかった。

「好きにすればいい」
「そっか。ありがとう」

 それきり、私たちは言葉を交わさなかった。お互いにただ目の前を見つめているだけ。何も話さず、何も為さず。陽が暮れるのも昇るのも構わないで、呼吸も瞬きも自然に任せたままにして。そうすれば彼と同じものを見られると思ったから、そうした。
 別に、彼と同じになりたいわけではない。彼が見ているものが気になっただけ。死んだ場所で生きる彼にとっての生と死を、知りたいと思っただけだ。
 彼の緑は、荒れ果てたこの場所には不似合いだ。本に出てくる世界樹に茂る葉に似た色と煤けた死の色は、どうしたって結びつかない。そして今日、新しく増えた私の姿も、きっとこの場所には似合わないんだろうなと、思う。
 死ばかりの世界を見つめながら、彼と私はこの場所で生きる。乾いた風が、剥き出しの肌を撫ぜた。

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