壁を背にして携帯に視線を落とすなまえさんを遠目に見る。待ち合わせの時間まではあと十分ほど。なまえさんはいつも通り十五分前には到着して、手持ち無沙汰に携帯の画面を見ていた。
ラビチャもラビッターもラビスタグラムも大して見ないくせに一体なにを見ているのか。その答えは謎に包まれている。本人いわく、こういう時間に私の仕事の情報を追うそうだ。それにしてはなまえさんは私の出演情報や音楽情報を知らなさすぎるけれども。
「あの……一人ですか?」
ふいに知らない男が近づいて、なまえさんに声をかける。何と言っているかまでは聞こえないけれど、恐らくはナンパだろう。ねえ彼女、暇? 俺と遊ばない? 的な、あれである。昼前に待ち合わせの定番スポットで一人でしばらく立っているものだから、いけると思わせてしまったのだろう。
――かわいそうに。こういう場面を見るのは初めてではないから、自然とそんなことを思ってしまう。なまえさんに声をかけた人が期待した結果を得られる可能性は、残念ながら万に一つもないからだ。
「………」
「……? あの、誰かと待ち合わせですか? もし一人なら、僕と……」
「………」
なまえさんは携帯から顔を上げることなく、下手をすれば声をかけられていることにすら気づいていない様子で、私を待ち続けている。健気……というと疑問符がつきそうだが、かわいらしい。
今回声をかけてきた男は気弱そうだ。先程からぺこぺこと頭を下げている。容姿だけで人を評価する気はないけれども、低姿勢で食い下がっている様を見ていると、“ワンチャン”を期待するにしても声をかける相手を間違えすぎていて面白い。なぜいけると思ったのかは甚だ疑問だけれど。
普段は何かを勘違いしている人間がなまえさんに近づくことが多くて気が気ではないところ、今日は何もなさそうだ。うっかりマンホールの蓋をぶん投げてしまう可能性も限りなく低そうで安心である。
「その、すごく綺麗だなと思って……今日は都合が悪いなら、せめて連絡先だけでも」
「………」
「交換、お願いできませんか……あの……」
男は頭を下げて、下から覗き込むようになまえさんの顔を見た。ああ、ストップ。そこまで。それ以上はいくらなまえさんが無視していても不愉快です。視界に入り込もうとしないで。マンホールの蓋、やっぱりお見舞いしようかな。ちょうど真後ろにマンホールもあることだし。
観察をやめて、早足でなまえさんに近づく。待ち合わせの五分前、時間的にもちょうど良い。
自分の存在を示すように、いつもよりも靴音を鳴らして歩く。なまえさんが弾かれたように携帯から顔を上げる瞬間が好きだ。靴音で私だとわかるんですね。優越感がどうしようもなく気持ち良い。
「巳波くん」
「お待たせしてすみません。結構待ちましたか?」
「大丈夫。さっき来たところ」
「ふふ、良かった。では行きましょうか」
見せつけるように手を取る。本当は腕を組むくらいのことをしてやりたいけれど、なまえさんは人前で過剰なスキンシップをしたがらないから、手を繋ぐ程度に留めておいた。関係をアピールするように、指はしっかりと絡めさせていただくけれども。
ちらり、男を一瞥する。落胆している様子の男に一言「では、そういうことですので」とことわって、一歩を踏み出した。私の一言でなまえさんは初めて男の存在を認識した様子で、男と私を交互に見て「……誰?」と問う。これもまた気持ちが良くて、これだから待ち合わせにすこし早く来ることをやめられない。
「巳波くんの知り合い?」
「いいえ。……パッと見、なまえさんに気がある様子でしたよ」
「そうなの?」
「ええ。パッと見では」
本当はガン見していたけれど、なまえさんの手前、そういうことには触れないでおく。もう彼も十二分に理解したことだろう、なまえさんにとって、私以外アウトオブ眼中だということは。笑いだしそうなのを堪え、去り際に顔だけ振り返り――同情しますと呟けば、男は今度こそ肩を落として、項垂れた。