(これのあと)
基本的に巳波は厄介なやつだということを、巳波との予定を入れた時の俺はすっかり忘れていた。
子供の頃から芸能界に身を置いていたせいなのか元々の性格か、巳波は丁寧な言葉遣いの隙間から尖ったナイフで刺してくるようなところがあった。加えて冷静で計算高い。それこそ、格闘ゲームじゃ冷静にコマンドを打ち込んでいくタイプだろう。論理的に攻めるタイプ。落ち着いた雰囲気を持っているくせして実は過激派だし、あとは基本的にねちっこい。――決して悪口を言いたいわけではない。あくまで巳波はこういうやつだという話だ。
巳波の作る曲は最高だし、独特な声質も人気がある。役者としての評価ももちろん高い。ねちっこさも解釈のしようによっては魅力になりうるらしい。巷じゃ抱かれたい男ランキング二位だ。掃いて捨てるほどいる芸能人を並び替えると、上から数えて二番目に来るということだ。いやまあ、俺の方が上だが。
直接伝えるわけでもないフォローはさて置いて、巳波はそういう、敵に回したくない厄介なところがあるやつだ。ほどよく付き合う分には良くても、親しくするには相当の対人スキルを要求される。怒らせた? 最悪。地雷を踏んだ? 死んだ方がマシ。
それともう一つ、巳波の厄介を引き出すのは、あいつの女が――なまえが絡んだ時だ。普段の厄介とは方向性が少しばかり違うが、冷静なやつが我を失った時こそ真の厄介とでも言うべき、もはや災害だと思う。
御堂さん、今日の収録の後は空いてますか。そんな風に声をかけてきたのが珍しかったから、あとは女との予定が入っていなかったから、ついうっかり場をセッティングしてしまった。よく使うバーに連れてきてから「私、未成年なんですけれど」と言われて、ノンアルのカクテルでも飲んどけよなんて返した時の俺の内心のモノローグ――忘れてた。
「……それで。今日はなんでまた、わざわざ俺を誘った? あいつらに聞かれたくない話か?」
「そうですね。亥清さんは、まあ。狗丸さんにお話ししてもわからないでしょうし」
トウマにはわからないという口ぶりで、ははあ色恋か、と察する。俺が適任ということはほぼ確実にそっちの方面だろう。
巳波で色恋というとなまえのことしかないわけで、それで俺は巳波との予定を入れたことを軽く後悔した。確実に面倒だ。聞く前からわかる。
「へえ。何の話だ、言ってみろよ」
「相談というか、愚痴というか……。愚痴ですかね。ふふふ」
ニヤニヤしながら愚痴を言うやつがいるか。おまえのそれは本当に愚痴か? 一度胸に手を当てて考えるか鏡を見るかした方がいいぜ。そんな助言をするかどうか、一瞬本気で考えてしまった。まあ待とう、大体察せてしまったとしても、話は聞いてみるまではわからない。
とはいえ、なまえが絡んだ時の巳波は本当にわかりやすい。とりあえずパッと見で二パターンに大別できる。
一、浮かれているパターン。ポーカーフェイスはどこへやら、常に満面の笑みを浮かべながら花を飛ばす。雰囲気だけじゃない、思考回路まで見事にお花畑だ。二、悩んでいるパターン。俗に言うマジ病みというやつだ。よく泣きそうになっているし、花も飛ばない。土までが死んだ焼け野原に似ている。今回は前者だ。
「愚痴か。そうは見えないが……まあ、聞くだけ聞いてやる。なまえのことだろ?」
「はい。……実は私、なまえさんとしたこと、まだないんですけど」
「いきなりぶっこんできたな……」
危ない。もしも今口の中に酒を含んでいたら全部噴き出すところだった。何のカミングアウトだ。
しかし、確かに意外ではあるというか。巳波と付き合うつもりはないと言っていたなまえが巳波と付き合いだした時点で、その辺のことも考えているのだとばかり思っていた。
「はあ、まあ意外だな。とっくにやることやってそうなもんだが」
「それが、いつもさっさと眠ってしまって。いい雰囲気にはなってもかわされてしまうんです」
「なるほどな、それで悩んでたのか」
「いえ。それは解決したんですけれど」
「したのかよ」
しまった、真面目に聞いてしまった。巳波が思わずニヤニヤするような『愚痴』だ。そのつもりで聞いておいた方が多分良い。だがまあ、興味のある話ではある。
「私が痺れを切らして、実力行使に出たと言いますか。しようとしたんですね。ですが断られました」
「キッツ……。よく平気だな。俺なら断られて数日は落ち込むね」
「なまえさんいわく、私が未成年のうちは、そういうことをするつもりはないそうです。キスまでは良くて、それ以上はだめだそうで。ああ、ハグはオーケーですね」
「何だかな。巳波だって初めてじゃないだろ。そんなこと気にしなくたっていいんじゃないか」
「まあ、そうですね。私もそれはすこし思いました」
「強引にいっちまえよ。一線なんて、一度越えりゃ無かったのと同じになってる」
「いえ、だって……、ふふ」
「何だ?」
ああ、花が飛んでる飛んでる。こんなに浮かれている顔、俺たちやなまえ以外が見たら巳波の印象が崩壊するだろう。というか、まず間違いなく引く。
「私は無理になんてしない、信じて待ってる……、と言われてしまいまして」
「………」
「そんなことを言われてしまったら、来るべき時が来るのを待つ以外になくなるじゃないですか。本当にずるい人ですよね」
「……まさか、それが愚痴か?」
「ええ」
「……、いいことを教えてやる。それは愚痴じゃなくて惚気だ」
こんな惚気を聞くために俺はわざわざ仕事の後の時間を巳波に使ったのか。もともと予定はなかったとはいえ、後からいくらでも埋められたわけで、泣けてくる。
スイッチの入ったらしい巳波がなまえのずるい言動プレイバックをそれは楽しそうに喋り始めて、俺はそれを聞き流しながらグラスをちびちび傾ける。滔々と話す巳波、さながら相槌マシンの俺。その温度差はアンバランスだったが、巳波はそんなことお構いなしといった感じだった。
早く帰るには巳波を酔わせて解散するのがベストかというところまで考えて、違う、こいつは未成年だった、と気がついて。巳波が満足するまで帰れないことを察して、仕方なく「同じの」とカウンターの向こう側にいるマスターに声をかけた。