「地上には綺麗なものがたくさんあるんだ」
リーベルの言ったことを、私はあまり理解できなかった。地上はわかる。今いるこの場所だ。わからないのはその後。
「……きれい? って、なに?」
聞いたことのない言葉。いや、そもそも私にはわかることよりもわからないことの方が多いけれど、言葉がわからないとリーベルの言いたいこともわからない。
リーベルは私の返事を聞いて、目をすこしだけ見開いた。すぐに「わからないのか?」と聞かれて、首を縦に振る。
「そうか……」
「教えて。リーベル」
服の裾を摘んで言うと、リーベルはしばらく考えてからよし、と言って私を見た。なんだかうれしそうだ。
「南に少し行くと海がある。実際に見たらわかるだろう」
ああ、またわからない言葉だ。海ってなに。私の疑問は、リーベルの服を掴んでいた手を握られるのに遮られて、答えてもらえなかった。
住処を出て、リーベルは私を連れて歩いた。さくさく、地面を踏む音がする。まっすぐに前を見るリーベルは何も話さない。
どれくらい歩いたかわからないけれど、唐突に視界が開けて、目の前に青いものが広がった。青いものは表面に光が射してきらきらと光っている。それと、なんだかさっきまでとは違う匂いがする。
これが何なのか、私は何を言ったらいいのかわからなくて、リーベルを見た。
「海だ。綺麗だろう?」
「きれいなの?」
「綺麗だ、とつい言いたくならないか? それが綺麗ということだと思えばいいと考えたんだが……」
「ごめんなさい。わからない」
「そうか……」
リーベルはまた何かを考える。眉と眉の間に皺を寄せて、ふむ、と小さな声を漏らすのが、考えているときのリーベルだ。
少し待つと、わかった、という声とともに手を引かれる。
「綺麗なものを見ると、それから目が離せなくなる。無意識にはっと息を呑むんだ。そういうものに出会ったら、それが『綺麗』だ」
リーベルは目の前の海を見て、顔を綻ばせた。はっ、息を吸う音が聞こえる。繋いだままの手をきゅっと握られるのがわかったけれど、彼の言うことがいまいちわからないままの私はじっとリーベルを見ていた。
その時、風が吹いて、リーベルの前髪をふわりと持ち上げる。長い前髪で隠れていた瞳が、現れた。
「……、………」
海の表面のきらきらが、リーベルの銀色の瞳のなかに映って、揺らめいている。白い肌が少しだけ赤らんでいて、薄い唇はうれしそうな形をしていた。
リーベルにそんな顔をさせる海を見なければと思ったのだけれど、そちらに目を向けられなかった。さっきリーベルから聞いたような息を吸い込む音が、自分からする。冷えた空気が喉を通り抜けたのがわかった。
「リー、ベル」
それだけ言うのでやっとだった。
――目が離せなくなって、無意識にはっと息を呑む。それがきれいということなら、私は。
でも、私を見たリーベルに、それを伝えることはできなかった。自分の思ったことが合っているのか、自信がなくて。でも、リーベルのことを見て、きれいと言いたくなったかもしれない。きれいが何かも知らない私だから、それを言ったら笑われてしまうかもしれないけれど。
何も言わない私に、「綺麗、わかったか?」とリーベルが聞く。答え合わせもしないで、けれど私はこくりと頷く。
いつか、確信が持てたらリーベルに言おう。それまではこの気持ちは私の内側にしまっておくことにして、またリーベルに手を引かれて、元来た道を歩いた。