結婚を決めて迎える最初の朝は、想像していたよりずっと穏やかだった。
――いや、最初の朝と言っても、実際に結婚を決めたのはつい四時間ほど前の話なのだけれど。真夜中もいいところといった時間、月明かりがぼんやりと辺りの景色を照らすベランダで、風がすこし肌寒い中で将来の約束をして、それからふたりでベッドに戻った。
世間一般の基準でいえばそんな婚約の仕方は珍しいかもしれないけれど、私たちらしいといえばその通りだろう。きっと、そのお陰で窓から射し込む朝の陽光も小鳥のさえずりも、何だかとても尊いものに思えるのだ。
恋人――私の家族になる人の髪をそっと撫でると、あたたかい気持ちは一層膨らんで、私をじんわりと満たしていく。これを幸せと呼ばずして何と言ったらいいのだろう。たった四文字で構成された音だけれど、その中身はこんなにも重たくて、大切で、愛おしい。ふふ、と笑いがこぼれる。なまえさんはまだ、眠ったままだった。
この一週間、ほとんど眠れていなかったというから寝かせておこう。そう思って、私が目を覚ました時に目覚ましを切っておいたのに。寝顔を眺めるだけでいるのはできなくて、つい、頭を撫でたりして。なまえさんは眠りが浅いところがあるから、起きてしまうかも。
ん、と短く呻いて、なまえさんがゆっくり瞼を押し上げる。ああ、ほら、言わんこっちゃない。おはよう、とだけ告げたなまえさんの目は、眠そうな重めの色をしていた。
「すみません。起こしてしまいましたね。まだ眠っていても大丈夫ですよ」
なまえさんは仕事が休みですし、私が出る時に起こしますから。そう告げると、なまえさんは話を理解するのにすこし時間をかけて、ゆっくり、ううんと返した。
「いいよ。朝ごはん、食べるでしょ」
「無理をしなくてもいいんですよ」
「だいじょうぶ、……ねえ、巳波くん」
「はい」
なまえさんがもぞ、と動いて、私にぴったりくっつく。その背に腕を回してやれば、私の胸元に顔を寄せて、夢じゃないよね、と呟いた。
「……ええ。大丈夫ですよ、左手の薬指を見て」
「……、本当だ」
ぐり、と頭を押しつけて、なまえさんは「よかった」とこぼす。その姿がなんだかとても可愛らしくて、くすくすと笑ってしまった。
「……巳波くんが笑った」
「ふふ、すみません。不安になってしまったんですか?」
「少しだけ。ああいうの、はじめてだったから。朝になってもし、都合のいい夢ってわかったらどうしようって……」
「そうですか。……ふふふ」
夜に話した時も思ったけれど、この人、一緒にいる間に随分変わったなあ。私といる間にというのは自惚れなんかでは決してなくて、だからこそ一緒になることを決意してくれたのだと思うと、愛おしくってたまらなかった。当の本人は、また笑った、なんて不満そうにしているけれど。
「なんだかなまえさんがとても可愛くて」
「なにそれ」
「ふふ。……それにね、なまえさん」
――もし本当に夢だったとしても、何度でも正夢にして差し上げますから、大丈夫ですよ。
目を丸くしたなまえさんが「うん」と微笑んで、ちょうどその時、ひときわ眩しい光がなまえさんの左手の薬指に反射して、きらり、輝いた。