自分の誕生日には色が無い。歳を重ねるにつれて、鮮やかに存在していたはずのそれはどこかへと消えていった。
両親や兄たちに囲まれてケーキの蝋燭を吹き消したあの頃に戻りたいわけではない。今だって誕生日には家族から祝いの言葉をもらえるし、プレゼントの箱も手渡される。そもそも物が欲しいわけでもないのだから、何も不満はない。
三月十五日。その日が無色の、何でもない日に成り下がったのはいつのことだろう。初めて彼女ができた年かもしれないし、もう少し最近かもしれない。
誕生日には、毎年違う女と会う。同じ女ではない理由はいたってシンプル。毎年、付き合う女が変わっているのだ。その日が近づくと、毎年違う人間を相手にしているのに、まるでそういう決まりでもあるかのようにラビチャのメッセージが届く。
『三月十四日空いてる? 十五日でもいいよ』
それは終わりが近いことを示す合言葉のようなものだった。白けた煙の前触れ、細く切れそうな糸の軋み。このラビチャが届いた時点で終わったようなものかもしれない。今年もか、と思った時には八割くらいは終わっている。
それでも残りの二割への期待に似た何かを捨てられなくて、俺は返事をするのだ。十五日なら空いてる、と。そしてその期待は裏切られ、十五日に必ず言われる。昨日ホワイトデーだったでしょ、私、バレンタインにあげたよね──と。
三月十五日のデートコースは、隣を歩く女が違ったところで変わり映えしない。繁華街を歩き、服なりバッグなり、言われたものを言われた通りに買う、それで終わりだ。まだ肌寒い気温の中、絡められた腕はいつだってぬるかった。毎年同じ。世界で三番目くらいに下らない風物詩。
別に、誕生日を祝われたいわけではない。おめでとうの一言が何だという。欲しいものがあれば自分で買えばいい。そう思えば思うほど、三月十五日からあらゆる色彩が抜け落ちて、無になっていく。隣を歩く女のリップの色すらどうでもいい。
三月十五日はホワイトデーの翌日。俺と付き合う女にとって、頭の中のカレンダーにつけられた印はその程度の意味しか持たない。俺は相手の誕生日を嫌というほど聞かされるが、相手は俺の誕生日を聞くことさえないのだ。
別れ際に「誕生日に会えて嬉しかった」と社交辞令を添えれば「知らなかった。今度お祝いするから」と言われる。台本を読み上げるみたいに毎年同じことを繰り返して、三月十六日には女と関係を絶っている。
それが、俺にとっての三月十五日だ。
「三月十五日は空いてる?」
ソファでスマホを弄っていた時、唐突にナマエに声をかけられて顔を上げた。毎月買っているファッション誌を捲っていた手を止めて、ナマエは俺の顔を見ていた。俺が返事をしないからか、「あ、でもŹOOĻのメンバーとか、ご実家とか、顔出す予定あるかな」そう言って困ったように眉を下げる。
「……夜には実家に顔を出す。グループのメンバーは……、今のところ、会う予定はないな」
「そうなんだ。じゃあ、私と会ってくれる?」
「ああ、いいよ。三月十五日だな」
「うん。虎於くんの、誕生日」
スマホのカレンダーの、今日から二つ下の段にある三月十五日の日付をタップしようとして、画面に触れる寸前で親指が止まった。既に登録してある項目の名前と同じことを、ナマエの声が言ったから。
「………」
「どこか行きたいところがあったら教えて。プレゼントの候補は考えてあるから大丈夫……どうしたの? 私、何か変なこと言った?」
「いや。……三月十五日だぞ。そんなことに使って良いのか?」
「……何それ? 私が祝いたくてするんだから、いいの。それとも誕生日祝いは嫌?」
ナマエは軽く噴き出して、読んでいた雑誌を閉じる。あちこちのページを折ってあるそれを閉じたら、どの辺りを読んでいたのか分からなくなるんじゃないのか。頭の片隅で思いながら、そういうわけじゃない、と答えると「じゃあ決まりね」とナマエは声を弾ませる。頭の中のカレンダーには赤い丸がつけられているらしかった。ホワイトデーの翌日ではなくて、三月十五日の上につけられた丸が。
三月十五日は空いてるか。その問いは終わりを示す合言葉のようなものだった。三月十五日を迎えたら十六日は来ない、名前のない虚しさだけをもたらす滅びの呪文。もしかしたら十六日が来るかもしれない、毎年のように心に射すほのかな光は、今年はたしかな熱を帯びて。
その熱の肌ざわりに任せて、俺は聞くのだ。十五日に新しく予定を入れた親指をひとつ左にずらして、ナマエ、と名を呼ぶ。聞くより先に、予定を追加するボタンをタップして。
「三月十四日は空いてるか?」
ナマエは緩やかに口角を上げた。細められた目が口より先に答えを言う。「もちろん」と。